昨年からネタはちょいちょいたまっている。
今回はその中からひとつ。
2004年10月のある夜。
終電で地元に帰ってきた。もちろん仕事で。
基本的に仕事のあと呑みに行くことはない。とてもそんな時間に終わらないから。
コンビニで夕飯を買い込み、いつもの帰路へ。
住処のハイツに帰るには、片道2車線・全4車線のバイパスを渡る。
このバイパスはハイツのすぐ近所を通る旧街道に対してのバイパス。
市川と浦安を結ぶ幹線道路だ。
江戸川の向こうの京葉道路市川I.C方面から来る車は、わりと高速で走りがちだ。
いつも渡るバイパスの交差点は角に小学校があり、そこが正門なのだが、普段は門は閉じたままだ。
この交差点を渡っての登校はガキにとっては危険だから。
別の場所に歩道橋が設けてあって、ガキはそこを渡り、校舎の陰にある門から入ることが義務づけられている。
かつては子どもの死亡事故も起きており、花が常に生けてある小さな地蔵のようなものが角にある。
夜中の1時前くらい。
オレが交差点の横断歩道にさしかかるちょっと前に信号が青に変わった。
対向の直進車がなく、右折レーンで待っていたタクシーがすぐに交差点に入ると、
右からバイパスを直進する軽ワゴンが突っ込んできた。ドーンという鈍い音。
完全な軽ワゴンの信号無視だ。
タクシーに接触した軽ワゴンは、急ハンドルを切った勢いもあり、
片側2車線のうちセンターよりの車線の上で横転してしまった。
タクシーは右折しきったところで左寄せで駐車。
タクシーに大きな損傷はなく、運ちゃん(以下運ちゃん)もふつうに降りてきた。幸い空車だった。
オレがこれから渡ろうとした横断歩道上での出来事。
赤のうちに交差点にたどりついていたら、歩行者優先で横断歩道に入ったオレは間違いなく死んでいた。
コンビニに寄ったのが幸いだった。
通行人はオレしかおらず、ケイタイを取り出してすぐに110番。
とくにあわてもせず、落ち着いて状況を知らせることができた。
とりあえず倒れた車に向かう。
軽ワゴンは運転席側を地面に向けて倒れている。
倒れた衝撃でガラスが割れ、飛び散っている。
気づくと、2・3人の男が車の周りにいて、運転席の中を覗き、話し合っていた。
それは、通りすがりの車のドライバーたちで、赤の他人同士だった。
軽ワゴンは向かってくる車に対して黒い腹を見せて倒れていて、
内側車線…いわゆる追い越し車線を突っ走ってくる車がぶつかりかねない。
中の一人が信号の手前の追い越し車線に自分の車を置いてハザードを点ける。
これによって流れてくる車は外側車線に流れていく。
こういう事故の場面には初めて立ち会ったが、
ドライバー同士の助け合いが当然のように行われているのにいささかびっくりした。
倒れた軽ワゴンから茶髪の運転手(以下茶髪)が天を向いている助手席ドアから自力で這い出てきた。
20代前半っぽい。集まったドライバーや運ちゃんの呼びかけに丁寧語で返し、
根は悪い奴じゃなさそうだ。
同乗者はなし。茶髪は右腕を切っており、血がしたたり落ちている。
ああいう血の出方をナマで見たのは初めてだ。
応急の交通整理を行い、パトカーが来るのを待つ。
運ちゃんが救急車をよばにゃと言ってるので、それに任せ、オレはケイタイで記録写真を撮った。
当時使っていた端末がP505i。
大きな画像は保存スペースを喰うので、保存しようとしても「容量が足りないから何か捨てろ」と出る。
いらない着メロや画像をガンガン捨ててるうち、運ちゃんが
「あ、119番もしてもらってるんですか?」と言う。え? あんたまだかけてないの?
「いや、かけてません」と正直に答えると、ようやく運ちゃんが119番。
パトカーのあと、救急車もやってきて、茶髪は搬送されていった。
運ちゃん曰く「酒のにおいがした」と。
飲酒もしくは酒気帯びで居眠り運転→信号無視、で間違いないようだ。
翌日、オレのケイタイに運ちゃんからの留守電が入っていた。
「きのうの運転手です。どうもありがとうございました」
茶髪は自分の落ち度を認めていたので、100%茶髪の責任で事故は片づいたはずだが、
詳しいことをなにも述べず、自分の名前も社名も言わ
ず、お礼の品のひとつもなかったのがちょっと引っかかった。
そういえば、2月に親父が2度目の脳梗塞を起こして倒れているのを見つけて119番したんだった。
1年のうちに、別件で119番と110番の初体験をしてしまった。
オレ自身もかつて酒気帯びで居眠り運転をしてしまったことがある。
親父のいた会社の野球チームの助っ人で大宮の健保グラウンド(草野球の聖地)に行ったときだ。
試合後のクラブハウスで酒飲みのオッサンに促されて仕方なくビールを飲んだ。
健保のグラウンドから帰るには首都高大宮線が便利なのだが、戸田までの埼玉県区間で400円を獲られる。
新大宮バイパスの上に作られたこの大宮線、料金のせいで交通量が少ない上、バイパスの上ということで直線が多い。
そして、高い防音壁で風景も単調。眠くなる条件が整っていた。
酔いは気にならない程度だったが、野球をやった疲れもあり睡魔が襲ってきた。
直前を行く車がおらず、遠くにいる前の車のケツを見つめながら走っていたら、いつのまにかウトウト眠っていた。
「ガタン」という音で我に帰る。
右の路肩のラインがすこし出っ張っているらしく、それを踏んだ衝撃だった。
そこからは一気に顔が青ざめただろう。
ちょっとガマンすれば、高島平の料金所の手前にP.Aがある。そこまではオメメぱっちりで運転。
P.Aについたら速攻寝に入る。2-3時間寝ていたなぁ、たしか。
あれ以来、車での出先の場合はちょっとの飲酒もしないようにした。
運転中気づいたら寝ていたというのは、あとにもさきにもその1回だけだ。
ちなみにオレにビールを飲ませたオッサン、仕事でもつながりがあった。
(当時オレがいた印刷会社には親父のコネで入ったようなもんなので)
HITOFUDEGAKI CLUBのエクストラに載せている
ヘンなこどもの出ている「野菜の本」の編集担当だった。
オレはこの本のDTP作業をやっていたんだけど、こども向けのため総ルビで時間のかかる仕事だった。
5冊組のさいごの5冊目の責了が出た日、オッサンは気が抜けたのか、帰宅後に亡くなってしまった。
心臓が悪かったんだそうだが、亡くなる前は特にどうともなかったんだとか…。
いろんな意味で、そのオッサンには命の大事さを教えてもらったのだ。