ゴールデンアンラッキー(バッティングセンターwithクルマ)
2003.3.3
バッティングセンターに初めて行ったのは中学のときだ。
西船橋の総武線と東西線がちょうど分かれるところの脇に、わりと奥行きのある広いバッティングセンターがあった。
小遣いが少なかった中学のときは何度かしか行かなかったが、高校時代は週二度は必ずチャリンコで通っていたときがある。
そこの壁には「160km/h出たことを証明します。テレビ朝日」という貼り紙があった。
当時は160km/h出るバッティングセンターは珍しく(今もそんなにないか⋯)、テレビ番組で取材に来て、計測したら160km/hを超えた。
その豪速球ボックスは1打席だけ。私は幾度となく挑戦して、しょっちゅう当たるまでになった頃、マシンの調子が落ちて140km/hマシーンに変身。
マット・ウインタースのマネをしながら、今度はしょっちゅうヒット性の打球が打てるようになった。
93年の1月だったか。大学受験を間近に控え、ストレス解消のつもりで夜にふと訪れると、
普段メンテナンスのバイトが1人いるだけのバッティングセンターに経営者のようなオッサンたちが
「このネットはもっと後ろにあったほうがいい。振ったバットが当たる」などという会話を打席で交わしていた。
「リニューアルするんですか?」と聞くと、「きょうで閉店なんです。市川のほうに新しく作る予定があります」という悲しい答えだった。
家からチャリンコで行ける唯一のバッティングセンターがなくなってしまった。
大学受験は1浪でも失敗し、さっさとあきらめ専門学校生になると、都内のバッティングセンターを探して回った。
電話帳で調べたり、地図で探したり。当時はインターネットはまだまだ普及していなかった。
私の住む市川市には、南行徳の駅の近くにもあったのだが、私が小学生の頃ツブれた。
車の免許を取ってからは、車じゃないと行けないところにもあちこち行った。
そして、市内唯一となった大慶園バッティングスタジアムか、船橋市の夏見台バッティングセンターに週末必ず通うパターンができた。
ともに鎌ヶ谷のFsタウンからそう遠くないところだ。歩いての移動は苦しいが。
夜のバッティングセンター通いでは車がらみでイヤな体験が二度あった。
免許を取って半年の夏休み、専門学校の野球サークルの合宿にOBとして参加して帰ってきた翌日だった。
練習でイマイチいい当たりがなかったので、打ち直しをしたかったのだ。
合宿は福島の猪苗代のほうで、夜中の東北道をカッ飛ばして行った。それでも長距離トラッカーにアオられたしもしたけど。
そんなノリで運転していた翌日の夜のバッティングセンター詣ででは、何度も前にトロい車が現れ、イライラが頂点に達していた。
さしかかかろうとした交差点で信号が黄色になり、普段なら進むところを敢えて停まった。前のトロい車を先に行かせるためだ。
先は交通量が少なく、信号もしばらくないので快走できる。青になったところでAT車のフルアクセルで爆裂スタート(爆み)
幅員の広い1車線道路。左側は川の土手で桜並木が並んでいる。その並木をなめるようにゆるやかな左カーブを爆走して抜けると
「止・ま・れ♪」
の▼標識が目の高さに現れた! 並木に隠れていたネズミ獲り警官が差し出したのだった。
路肩が広くて捕まえた車を停めるスペースがじゅうぶんある所。恰好の捕獲ポイントだった。
40km/h制限の道路を80km/hで走り、40キロオーバー・6点減点で一発免停を喰らった。
「30km/hオーバーまではキロ100円、それ以降はちょっと罰金のレートが上がるから」とおまわっていた人に言われた。
「9月4日の水曜に簡易裁判所に行け」と言われ、会社を半休して裁判所へ。ちなみにこの会社に入ったのは9月2日。
プーながら就職が決まっていた状態で捕まったため、なんと入社3日目にして半休を取ることになってしまった。
実際は入りたてなので遅刻扱いだったが。
裁判所へ行くと、老若男女、マトモそうな人から族みたいなヤツまでいろんな人がいた。
簡易裁判所では集団で健康診断を受けるような感じで行列を作って順番を待つため、前方の違反者たちのやりとりが全部聞こえてくる。
ほとんどの人間が、言い渡された罰金を「いまは持ち合わせがありません」と答え、後日の振込を指示されて帰って行く。
キロ100円のレートが“ちょっと”上がるんなら、1.5倍くらいだろ、ということで6万円を持参した私は
「ヘ、オレはちゃんと用意してあるのさ。しっかりこの場で払ってやろうじゃないの」と意気込んでいた。
いざ順番が回って来て裁判所のババァに言われた額は
「は・ち・ま・ん・え・ん♪」
「は、はらえましぇん」と答えて空しく帰った(笑み) おまわってた人め、はっきり8万って言えばいいじゃねぇか。
給料が10日締め・25日払いだった初月給は、2日〜10日分なので8万円ちょっとだったのがまた空しい。
もう一つ。
やはり夜にバッティングセンターへ行った帰り、片側2車線の道路の左側車線を走っていたら、
脇道からその2車線の道へ右折しようとする車が左カーブの先で道をふさいでいた。
カーブの先の見えにくいところに突然現れたので、私はクラクションを長鳴らしして威嚇した。
車がどかないのでよけてその場を後にし、先の交差点で赤で停車していると、その車が私の目の前に横付けしてきた。
信号待ちの先頭だったので、そいつが私の行く手を塞ぐ恰好のスペースができていた。
「ヤバイ!」と思った直後、グリップ部分に白テープを格子状に巻き付けた鉄パイプがその車の窓の中に光った。
私は対向車がないことをとっさに確認して急発進・なんとかUターンし、反対方向へ逃げたが、「ガッシャーン」という音とともに外気が後ろから入ってきた。
リアガラスが粉々に吹っ飛んでいた。さらに追いかけてくるのが見えたので逃げるも、渋滞の末尾にハマってしまった。
脇道が見えたので左折して逃げる。ところがそこに点対称に2台の路駐があった上に、対向車がその合間を抜ける途中だった。
そこでさらなる足止めを喰らってる間にまた襲われ、後部座席の右側ガラスにヒビ、運転席側ガラスにキズがつく。
フロントガラスも殴られたが、一部穴が開けられたところで対向車が抜けきったので、またもや急発進で逃げ、振り切った。
路駐の車の右リアを小突いて(笑み)
その後は渋滞にハマらず、相手もあきらめたのでなんとか収まったが、車を降りて応戦していたら殺されてたかもしれない。
“クラクション殺人”ならぬ“クラクション鉄パイプ”だった。
犯人は族そのものの男だった。中村ノリに髪型も顔も似ていたのを今も憶えている(笑み)
しかし車のナンバーは見るヒマもなく、警察へ直行し被害届を出したが、それが決定的なミス。
「白いセダン」としか言えず、「探しようがない」と警官に半ば小バカにされたような態度をとられて非常にアタマに来た。
車の修理の見積もりは40万円。いろいろとガマンすれば24万円、ということで、その通り24万円が飛んでいった。
バンパーや運転席のガラスは未だにキズが残っている。
そんなこともありながらも、車でのバッティングセンター詣では続く。
そして、西船橋のセンターの業者とは違うかも知れないが、市川市のニッケコルトンプラザ内に新しくバッティングドームができた。
以後、ここが3年ほどホームグラウンドとなる。行き帰りの運転も、注意を払うように心がけた(笑み)
ちなみに、なんの因縁か市川の簡易裁判所はこのバッティングドームのすぐ近くだ。
実家から江戸川放水路を西へ渡った先に引っ越した現在、バッティングセンターに行かなくなっていた。
車はあくまで親名義の「家の持ち物」であり、私専用のものではないため、いま住んでいるところには持ってきていない。
ともに60代の両親は土日にそれぞれ働いているので、土日は私が草野球に行ったりするのに借りていることが多い。
さて、遠回りに遠回りを重ねたこのコラムの本題がここからだ(爆み)
前回のコラムに書いたとおり、2月12日、1,200円のブ厚いマンガ単行本2冊⋯税込み2,520円分をタダで手に入れてしまった。
しかし世の中そういいことばかりでなく、きっちり帳尻合わせが来る。ときには赤字になることもある。
2月16日・23日と二週連続で、雨で地元草野球が中止。運動不足が解消されない。
2月は2・3・4週の週末がすべて雨がらみで、東京の草野球プレーヤーはヤキモキさせられた。
28日の金曜の夜、あまりにも野球から遠ざかっているのでバッティングセンターに久々に行きたくなった。
バッティングセンター詣でのために実家から車を持ち出し、帰ってきてそのまんま今住む部屋の近所に停めた。
翌1日の夜に車を返しがてら実家で夕メシを喰うことにしてたのだ。
とくに出かける用事もないので、雨になった1日は近鉄の着メロを大量に作って過ごしていた。
19時すぎ、そろそろ喰いに帰るかと、降りが強くなった雨の中を車のところへ歩いて行くと、⋯ない! 車がない!!
ムム! レッカー移動されたのか!? 引っ越してきて丸2年の間幾度となく使ってる路駐ポイントだが、一度も取り締まられたことはなかった所。
片側1車線・白センターラインの裏通りは、道幅のわりには交通量が少ない。路駐の好条件が揃ってるのだ。
大雨の中をよくよく眺めたら、きのうとちょっと風景が変わっていた。新しい道路標識が設置されていたのだ。
車の駐車位置の後方に私の部屋へも行ける細い道が交わっているのだが、小学生の通学路ということで横断歩道を新たに設けたらしい。
見事、私はピンポイントでその標識設置予定地に停めてしまっていたのだ。たしかに駐禁ではあるが、工事ができないので業者が通報したんだろう。
いつも、前にある電柱とその小道の交わっているところとの間のこの位置に停めていた。
地面にチョークでなんか書いてあったが、水たまりになっていて読みとれない。
地元の警察署に電話すると「たしかにレッカーした」とのこと。
罰金のことを聞くと「レッカー代が12,000円、レッカー業者の車保管代が1時間420円、さらに駐禁の罰金」と言われた。
ついに三度目の「バッティングセンター&警察沙汰」。
警察署は京葉線の市川塩浜駅前。私の部屋から歩いて行くと30〜40分はかかる。しかも大雨。
とても歩いていく気にはなれないが、翌日までほったらかしとくと保管代が山積みになってしまうので、仕方なく署を目指して歩く。
そうか、バスがある。そう思い出し、東西線の妙典駅に出る。バス停で市川塩浜駅行きを探すと、1時間に1本しかなく、しかも出たばっかりだ。
じゃぁ行徳だ、ということで東西線でひと駅移動して行徳駅に。
バス停を見ると、やはり市川塩浜へ出るバス路線はあるのだが、こちらも待てる時間には来ない。
結局、タクシーで行くことに。800円台で済んだけど。これから罰金を払うのがわかってるので、800円でも大損な気分だ。
警察で手続きをする。昼前にレッカーしたらしく、保管代は9時間分で3,780円にもなっていた。
レッカー代12,000円+3,780円をその場で納める。さらに駐禁の罰金が15,000円。これは郵便局での振り込みとなる。
30,780円か。ナゲット1ハコや『ゴールデンラッキー』2冊をタダでゲットした帳尻合わせなのかなぁ。
それにしても、停めたところに標識立てるなんて。
ん、そうか! ⋯これって、ゴールデンアンラッキーなんだ。
前回と文体は一緒だ。でも、帳尻合ってねぇよ!
手続きが済んだところで
「レッカー屋に君を送って行こうと思ったんだけど、レッカー屋が現場に出てて、戻ってくるのに小一時間かかるらしい。
ロビーの端にテレビがあるから、自分で点けて観て待ってて」
となった。
土曜の夜で薄っ暗い警察の1階ロビーの隅っこでテレビを観る。ちょうど“めちゃイケ”をやってる時間。
前週のつづきで「笑わず嫌い王決定戦」の後半をやっていた。
年に一度の「芸人のネタ真剣勝負」のこのコーナー、バカルディー改めさまぁ〜ずが再ブレイクするきっかけになった企画なのだ。
ホントはこれを観たいのだが、とても大声を出して笑える状況ではなく断念。
渋々、裏でやっていたK-1の中量級(魔裟斗が出てるやつ)を観てガマンする。これも神の嫌がらせか?
レッカー業者はK-1中継が終わった後の21時過ぎに来た。
警察にシートベルトをせずに軽ワゴンを駆って現れた業者は気のいい兄ちゃんだった。ちょっと年下くらいかな。
バッティングセンターに行ったがためにレッカーに、という経緯を話しているうち、私がFsファンだという話になった。
すると「日ハムの選手って誰がいるんスか?」って聞いてきたので、「今だと小笠原が有名ですねぇ」と答えた。
しかし返ってきたのは「オガサワラって投手っスか?」というセリフ。ピッチャーじゃなく「投手」って口で言う若者も珍しいよなぁ。
相当知らねぇんだな、この兄ちゃん。「野球選手は松井(秀喜)と新庄と佐々木とイチローくらいしか知らない」だとさ。
Fsどころか、プロ野球自体よく知らないらしい。
止まない大雨の中、軽ワゴンで交わされるこの会話。なんかねぇ、すんごく空しかった(笑み)
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