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01物干し竿 岩波三樹緒 |
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<エッセイ> 「日本一多くの木を植えた男」を読んで 石川信一郎
最近地球の温暖化の影響で、樹木の立ち枯れ、伐採が問題になり、テレビ、新聞などマスコミに取りあげられるようになった。
わたくしなども国内を旅行した時にいろいろ目撃している。 よく行く宮城県の金華山なども松の林の立ち枯れが激しく、そこへ台風が来て、大きな木が倒れ、地面が剥き出しとなり無残な様相を呈していた。 また武蔵野のかっては、樹木の整っていた雑木林が、その後の手入れが悪く、乱雑な林となっている。 さらに日本の商社がボルネオなどの林、チーク材の林を買い取り乱伐し、森林を裸山にしてしまっているとも言われている。
最近もっと気になっているのは、石油が高騰し、バイオ燃料としてとうもろこしが注目され、その増産がブラジルなどで図られていることである。 これがアマゾンなどの森林伐採まで及ぶのではないかと心配である。 日本を離れて海外に行くと、たいへん禿げ山が眼につく。 木の植わってない山々が多い。
こんな話を見聞きしている時、宮脇昭の「日本一多くの木を植えた男」という本を読んだ。
著者の宮脇昭は、一九二八年生まれ、広島文理科大学生物学科、ドイツ国立植生図研究所で学び、横浜国立大学教授などを経て、現在は同大学の名誉教授、国際生態学センター研究所所長である。
著者は、これまで木を植える主な目的は木材生産にあり、スギ、ヒノキなどが植えられてきた。次の目的は都市の美化、緑化であり、さらに砂防工事といわれる防風や防砂を目的とするものである。しかし今、もっとも大事な、新しい真の目的としてあげるべきは、土地本来の森をつくることであると言う。
土地本来の森造りとは、地域に根ざした文化と遺伝子を守る本来の森づくり、心のふるさ ととしてのいのちの森づくりである。 突然襲ってくる台風、地震、大火などの災害に対する防災、環境保全林をつくることである。 動物、人間は地球上で、緑の植物に寄生する立場でしか持続的に生きてゆけない。森の回復、創造こそ、いま私たちがしなければならない緊急の責務であると述べている。
この本のなかでわたくしが特に興味を持ったのは、森が災害を守ってくれたということである。
今から三十年ほど前の酒田市の大火事のとき、本間家(大変有名な名家で殿様より力があったといわれている)にあった二本のタブの木を境にして、火が止まったという。 またあの関東大震災のとき、本所の被服廠の跡が空き地であったため、四万もの人が逃げ込んだが、四方から燃え上がった火が風にあおられ、あっという間に火風となって、この地を襲い、わずか三十分で三万八千の人が亡くなった。 もちろん逃げ込んだ人々が持ち込んだ衣類など荷物に火が移ったことも大きな災害をうんだのだろう。 ところが、この被服廠跡からわずか南方二キロにあった岩崎氏別邸には、二万の人々が逃げ込んだが、まわりから火に囲まれたにもかかわらず、死者はゼロだったそうである。 これは、この庭園に植えられていた常緑広葉樹が、火防木の働きをしたものと思われる。 さらに一九九五年一月一七日の阪神淡路大震災でも、樹木に囲まれた公園で火が止められ、市民の逃げ場所になったところがあった。
このように各地に植えられた木々、森が万一の時の火事や地震に際して、火防木の役割を果たしたわけである。木々や森が火災や地震から人々の生活を守るばかりでなく、防音、防塵、空気の浄化、水源涵養、水質保全など、多彩な防災、環境保全林としての機能をもっているのだ。
木を植えることの重要なことが判ってきたが、ただ木を植えればいいのだろうか。
わたくしがかって訪れた秋田と青森のあいだに位置する白神山地は、ブナの自然林が世界遺産となっているが、ここでわたくしは無残に倒れているスギの木を見た。 土地の人に言わせれば、戦後の植林政策でこれらのスギは植えられたが、白神山地にはスギはなじめず、みんな育たなかったようである。 このようにスギやヒノキは早く育ち、材木として早く使えるのでほうぼうで植えられたが、育たなかったところがあったようである。 やみくもに木を植えればいいわけではない。 その土地に適した木を植えなければならない。 この本によれば海岸などにマツを植えるにしてもただ植えるのでは駄目なようである。 それまでその土地にあった、育ってきた木々を上手に組み合わせて植えなければいけないようである。 それがうまく合えば、万里の長城の周りにも森林がつくれると言う。 わたくがこの前通ったタクラマカン砂漠の高速道路の脇にスプリングクーラーをつけて、柳の一種を植えていた。これが育てば、砂漠のなかに高速道路と森林ができるかもしれない。これが今後その付近の土地にどんな影響をあたえるのか注目してゆきたい。 森林や木が自然に与える影響はいろんな意味で問題があるように思われるが、東北の気 仙沼の海から牡蠣がとれなくなったときに、気仙沼の山に常緑広葉樹を植えたら牡蠣が戻っ てきた。 また北海道の一地区で昆布が採れなくなったが、山に植樹したことにより戻ったという例もあったようである。 だが最初にあげた、雑木林は今荒れてきているが、雑木林はもともと人間がたえず手を入れてきたものである。冬になれば炭を焼くために枝を落とし、日当たりをよくして、下草をはやし、これが鶏や山羊など小動物のえさとなり、その草は時間をかけて肥料となる。 これだけ人間が手をいれて造りあげてきたものだが、これは自然の植生にあるいは反するかもしれない。いま荒れているとわたくしたちが思っているような状態のほうが、本来の姿、植生なのかもしれない。
日本人には自然に対する崇敬の念があり、木や石を祭るという風習がある。 こういう日本人の良き風習を生かし、自然のありさまをよく観察し、木を植え、森林を造り、再生させることにより人間の、動植物の生存、生活を未来、永遠に保障して、緑の濃縮した木、森林の回復、創造させていくことこそ、いまわれわれがしなければならないことだと思う。
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