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01物干し竿 岩波三樹緒 |
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エッセイ
怒りの書
山本瑛二
(一)女性専用車
二00五年暮れのこと。相鉄線の横浜駅で、発車間際の急行にとび乗つたはいいのですが、車内を見渡すと、そこには女性の顔ばかり。「ハッ」と気がついた時はすでに遅し、車掌がすつとんできて、「お客さん、困ります。女性専用車ですから、すぐ降りてください」と、両手で背中を押されてプラットホームに連れだされてしまった。
私が悪いのでしょうが、車掌のエラそうな態度が気にさわる。
「男が乗ったら罰金を取るの? 女性専用って、法律で決まってるの?」
「いや、そういう規則になってますから、ご協力ねがいます」
「女性優先ならわかるが、専用ってのはおかしいね。だって、例えば満員電車で困ってる小学生の男の子が、女性専用車にとび乗ってきてもつまみ出すのかい? 若くてピンピンしてる女の子のほうが子供より大事というわけ?」
返答に窮している車掌を見かねてか、もうひとりの年配の車掌が駆けつけてきた。痴漢対策の一環として、実験的にやっているのでご協力ねがいたいと、こちらは丁重でした。
言いたい事は山ほどありましたが、専用車の女性達が軽蔑の眼(まなこ)で私を睨んでいるような気がして、この辺が潮時と、すごすごと男女混合車に乗りかえたのでありました。
二、三日経っても、どうにも腹の虫がおさまらない。そこで、女性専用車について調べてみました。
驚いたことに、世界中どこを捜しても女性専用車は存在しないのです。つい最近、ロシアの長距離寝台列車に、初めて女性専用コンパートメントが登場しました。シベリア鉄道を想像してみてください。ウオッカをがぶ飲みし、パイプをぷかぷかやるロシア男と、一週間近くも同じコンパートメントに閉じ込められるとしたら、相客の女性はたまったものではない。そこで、女性専用コンパートメント指定席券が発売されることになりましたが、料金は二割増しだそうです。これなら、納得できます。
日本の場合、グリーン券が最低七百五十円のプレミアムですから、女性専用車はイエロー券にして、五十円か百円の割り増し料金にしてはいかがでしょう。
さらに驚いたことは、わが国の女性専用車の歴史が意外と古いのです。
先ず、一九一二年(明治四五年)、中央線中野―昌平橋(現在のお茶ノ水と神田の中間位)間に婦人専用車が登場しました。目的は、同じ時間帯に通学する男子学生と女子学生を同乗させないためです。電車の中で、男子学生が女子学生にラヴレター(当時、付け文とかおとし文といった)を強引に押しつける事件が頻発したらしい。ですが、これはアッという間に姿を消しました。
次は、一九四七年(昭和二十二年)、省線の中央線と京浜線に婦人子供専用車が出現。戦後間もない頃の省線は、定員の三倍を超える殺人的ラツシュだったため、女・子供は乗るに乗れない状況だった。通勤女性と通学児童を救済するのが目的ですから、これは妥当な措置といえましょう(何故か山手線にはなかった)。
しかし、一九五六年(昭和三十一年)、これは廃止されました。理由は、混雑が緩和されたこともあるが、女性客が専用車から逃げ出してしまったため、ガラガラ車になってしまったのです(まさか、男と一緒がいいと考えてかどうか……)。
翌五七年、中央線の二等車(省線に二等車があったのだ)が廃止され、老人・幼児優先車と名称を変えたのはいいのですが、老人と幼児の数が減少し、やはりガラガラになってしまった。そこで五十八年、婦人・子供専用車に戻し、これが七十三年(昭和四十八年)まで続くのですが、やはり他の車輌より極端に空いているのはおかしいとの理由で廃止されました。
同年、各車輌にシルバーシートが設置された。老人・妊婦・乳児・身体障害者に優先権(フアースト・プライオリテイ)を与えようというものです。「専用」でないのが好感できます。専用とは、英語のイクスクルーシブ・ユースにあたり、特権を意味します。御前様(殿様)のお席であって、家臣は絶対に座れない。まかり間違って座ろうものなら、切腹ものです。かかる席を専用席と呼ぶ。私にも、苦い経験があります。千葉県にある格式を誇る「鷹の台」ゴルフクラブでのこと。新日鉄が作ったコースなのですが、クラブハウスでの昼食の後、ラウンジの奥まった所にあるソフアに座ったとたん、ボーイがすっとんできた。「お客さん、困ります。そこは御前様のお席です」と、他の席へ追い立てられてしまった。「御前様って、誰のこと?」と聞くと、新日鉄の某会長のことだそうな。ゴマをするのもいい加減にしろと言いたくなります。
女性専用車に戻りますと、二000年(平成十二年)に京王線で復活を果たしました。京王線沿線に、うるさ型のマダムが多く住んでいるのか、それとも京王電鉄がフェミニスト揃いなのかどうか知りませんが、痴漢対策と称して女性だけを乗せた車輌が走りだしたのです。これに、首都圏のJR,私鉄が追随した。一方、地方では、シルバーシートで十分ではないかと、女性専用車は走っていません。
果たして、痴漢は減るだろうか。これが問題です。以下は、私と私の友人の居酒屋談義です。
「痴漢が減るわけないよな。だってさ、痴漢、痴漢って騒ぐ女がいたらな、痴漢されるのが嫌なら、なんで専用車に乗らないんだって言えるからさ……」
「痴漢の八割はえん罪だっていうぜ。痴漢常習犯がいるとすれば、絶対に見つからないように痴漢する。例えば、囮りの男の背後から手をのばすとかね。痴漢呼ばわりされる男は、よほど要領が悪いかモテないタイプだね」
「電車の中での触り魔のことを痴漢と呼ぶなら、痴女だっていっぱいいるぜ。むしろ、痴女のほうが多いんじゃないか。学生時代、おばさんに触られた経験のない奴は殆どいないんじゃないの。痴漢と痴女の違いは、痴漢の場合は被害届が出るから犯罪になるが、痴女されて被害届を出す男はいないからねえ」
「うん。痴女多数説に賛成。やたらに触りたがるのは、女の本能なんだと思うよ。愛しいものに触れたがる、例えば赤ちゃんを愛撫するとかさ。大相撲だって、花道を引き揚げる裸の力士の背中に手をのばすのは、殆どおばさん。競馬場でも、パドック(競走馬の下見所)から馬道(本馬場に通じる地下道)への入り口で、武豊(関西の天才的ジョッキー)の勝負服にキャーキャーいいながら触るのは若いギャル達だけ。男は、決して手をださない。神聖な勝負服に他人の手が触れるのをジョッキーが極端に嫌うと知っているからだ。ところが、彼女達はそんなことお構いなし、ただ「武さん、ステキーー」とばかり触るのだと思うよ。
「専用車を設けても、痴漢が減らない場合はどうするか。おそらく、専用車をもっと増やせと、京王線のマダムが言いだすだろう。となれば、行きつくところは、十輌編成なら半分の五輌は女だけ、あとの五輌は男だけということになる。味気ない風景だねえ……」
酒の勢いを借りた、男の身勝手な言い分ととられては心外ですから、ここは女性にも登場してもらいましょう。
正月明けの、六本木のとあるスナックでのこと。ママと、若いホステスひとりだけの店。
「あたし、女性専用車なんかに絶対に乗らないわよ。だって、男がいてこそ女はなんぼのもの。女は、四十にもなると、いつも男の視線が気になるのよね。まだ、男を惹きつけるだけの魅力が残ってるかどうかとか、男に「触りたい」と思わせないようになったら女もお終いだとかね。だからね、電車の中だって、男と一緒にいることが大事なの。愛ちゃんはどう?」
「あたしも男女混合のほうがいいな。だって、キムタクみたいな男の子に出会えるかもしれないし……。あたし、タイプの男だったら、少しぐらい触らせてあげてもいいかなって思うときあるわよ。でも、現実は厳しいのよね。タイプじゃない、イヤな奴ばかり寄ってくるんだもの。満員電車だと、逃げるに逃げられないのよ。痴漢をやっつけるいい方法ないかなあー」
「簡単よ。痴漢の足を踏んづけてやればいいの。ハイヒールだと効くわよ。それでもやめなかったら、チン蹴りを喰らわせるのよ。これは、絶対よ。痴漢が怖くて電車に乗れますかってんだ」
いいですねえ。男性諸君、この店をひいきにいたしましょう。
ママは、少林寺拳法を習ったことがあるとかで、接近戦のときは膝小僧で男の急所を突き、すこし離れているときは足のつま先を伸ばして蹴り上げるのだという。夜道で暴漢に襲われたとき、これをやって相手がひるむ隙に逃げ出せばよいのだそうです。最近、護身術として少林寺拳法を習う女子中高生が増えたといいます。
自分の身は、自分で守る。そして、少々触られた位でガタガタ言わないおうようさ。これぞ、大和撫子(やまとなでしこ)の鑑ではないでしょうか。
劇団四季の歌・「メモリー」に、こういう一節があります。「……わたしにさわってください。わたしを抱いてください……」とね。
(二)差別用語
横浜にある、フエリス女学院大学が主催するオープン・カレッジのエッセイ教室に、助手みたいなかたちで参加していた時のことです。
中年の女性から、「あなたの作品に、老女という言葉があるが、これは差別用語ですよ」と言われて驚いた。「老」という字は、歳をとった目上の人に敬称として用いるものだと思っていたから、老女がなぜ差別に当たるのか、私には理解できない。「老人と言われて怒る男はいませんよ。だって、水戸の老公とかいうじゃないですか」と切り返したら、辞書らしきものをパラパラめくりながら、たしかに「老人」は差別用語になってませんねという。
売春婦とか娼婦といった、女性の職業に関する侮蔑的な言葉も差別用語に入っていないそうで、「私は娼婦だけど、バカにしないでよ」と名乗りでる女性がいないからかもしれません。
どうやら、「ケシカラン」とわめく圧力団体が存在すると差別用語になり、そうでないと、たとえ罵詈雑言に近い言葉であっても大丈夫のようです。
私は、差別待遇とはいうが、差別用語なる言葉があるとは知らなかった(少なくとも、広辞苑には載っていない)。ましてや、差別用語辞典まで存在するとは。恐らく、同和問題が発端となって、それが次第にエスカレートして「使ってはいけない言葉」の集大成になったのではと思います。
この問題について、新聞社にいる友人に確かめたところ、「差別用語辞典という名の辞書はないが、それに似たものはあるらしい。が、出版社もわからない」という。公に存在する出版物としては、新聞記者用の「新聞用字用語集」(共同通信社)と、アナウンサー用の「NHK放送用語集」(NHK出版)の二つがある。差別語・不快用語として、使ってはならない言葉と、極力避けたい表現が例示してあります。例えば、女中はお手伝いさん、乞食はホームレス、ジプシーはロマ民族、支那そばは中華そば、妾・ツバメは愛人、属国は周辺国、バカチョンカメラは簡易カメラと言い換えなさいと書いてある。使ってはいけない言葉として、同和、第三国人、黒んぼなどが挙げられている。しかし、新聞や放送業界が自主規制している話であって、使ってはいけない言葉を使ったからといって法律で罰せられる性質のものではありません。
では、小説やエッセイはどうでしょうか。かの友人に言わせると、「強制はしないが、新聞に右へならえしたほうが無難だよ」という。その例として、「七十歳の老女が交通事故に遭って死亡した」と新聞に書いたら、遺族からクレームがついた。わが家のおばあちゃんは、まだ七十歳なのに老女呼ばわりはないだろう。世間には、九十―百歳のおばあちゃんがいっぱいいるではないかというわけです。おばあちゃんと平気で呼ぶくせに、他人に老女と言われると怒る。ま、世間とはそうしたものかもしれません。
ある図書館から、読書週間に因んで友の会会報に何か書いてくれと依頼された。そこで、「漱石と読書人」と題して雑文を書いたのですが、図書館のエライ人(お役人)から、差別用語を使ってはダメとお叱りをうけました。
問題の箇所は、
「……死の直前、漱石が日記に書き遺した言葉、『自己とは何だろうと散々考えたが、結局わからない。自分が死んだらどうなるだろうかと思ったら、弟が泣いてくれるだろう位のことしか思いつかない。西洋人は、自己が見つからないから、先祖や財産で身の回りを固めて誇示する方法を思いついたのだろう……』は、生涯、人間とは何か、自我とは何かをつきつめた漱石の痛切な独白なのだろう。彼には、(知恵おくれ)の弟がひとりいた。いつまでも純な彼をことのほか愛し、あらゆる援助を惜しまなかったのだという」。
(知恵おくれ)は差別にあたる。知的障害のある弟と直せというのです。知的障害には、精神薄弱とかいろいろあって、知恵おくれもそのひとつだと思いますが、知恵おくれは差別だが、精神薄弱は差別にならないとでもいうのでしょうか。
しかし、お役人が言うことです。原稿料を貰えるのではと思っていましたから、しぶしぶ知的障害に直しました。ところが、予算がないので原稿料の代わりに狭山茶一袋で勘弁しろと言われてしまいました。
病名については、差別用語のオンパレードです。痴呆症は認知症、狂牛病はBSE、どもりは発音が不自由な人、めくらは目の見えない人、といった具合。ひと文字で意味する中味がわかる便利な日本語がどんどん使えなくなっているのです。痴呆症を認知症といったって、何の病気だかわからない。むしろ、非認知だからこそ痴呆なのではといいたくなりますが、厚生労働省が認知した病気だからそう呼ぶのだという。ひどい話です。お役所が、率先して日本語を壊しているのだと言いたくなります。
何を基準に差別用語だというのか。正義の押し売りみたいな圧力団体に屈して、古来より慣れ親しんだ日本語を放棄するのは如何なものか。差別用語を気にしていては、落語家や咄家は成り立ちません。作家だって、文体が壊れて困ってしまうのでしょう。
過去に、差別用語裁判というのがありました。いわゆる「ババア」事件です。石原都知事が、週刊誌に「文明がもたらした最も悪しきものはババア」と書いた。これに怒った「都ババア連盟」百三十一名は、損害賠償と謝罪広告を求めて東京地裁に石原知事を告訴したのです。結論は、ババア連盟の負けでした。判決文が傑作です。「原告が不愉快な感情を抱いたことは推測されるが、たいした問題ではない」と一蹴されてしまった。
謝罪広告ならまだしも、損害賠償などと、あわよくば金を取ろうなどと欲張るから負けるのです。石原氏は、知る人ぞ知る婦人参政権反対論者と聞いています。だから、彼の発言の真意は、藤原正彦著「国家の品格」(新潮新書)を借りると、「民主主義とは主権在民のことである。民が健全な判断を下せるとの前提で成り立っている制度なのだ。もし、民が愚かであれば、民主主義は衆愚政治になってしまう」と言いたかったのだと思います。
ババア連盟は、ここを追及すべきだった。「愚かなのはババアだけではないぞ。ジジイにも愚かなのがいっぱいいるぞ」と、石原発言は女性蔑視だと主張すべきだったのです。
裁判官の適切なる判断に勇気づけられて、差別用語など気にしないで、日本古来の言葉を使い続けたいものです。
(三)意地悪は死なず
山本夏彦・山本七平対談集(平成二年、中公文庫)のタイトルです。
毒舌あい譲らぬふたりが、言いたい放題した本なのだ。
ひと昔前の郵便局員が意地悪の筆頭だったそうで、切手が斜めに貼ってあるだけで「貼り直せ」とどなる。仕事が遅いくせに威張っていた。郵便配達人が、封筒から現金を抜き取る事件が頻発したのも同時代のことである。
意地悪された客が、「あなたは、月給が少ないから意地悪するのはわかるけどね、これはあんまりひどいじゃないか……」と大声で叫んだら、さすがに局員がギョッとして立ちすくんだという。
ひとが薄給に甘んじられるのは、意地悪の愉しみが残されているからだ、というのが両氏の説なのであります。
郵便局については、私にもイヤな思い出があります。小学生の頃、担任の先生にクラス全員がハガキを出すことになった。国語教育の一環だそうな。書くスペースが足りなくなった私は、ハガキに凧の足を二本つけることにした。白い紙をハサミで切ってハガキに貼りたしたら、書きたいことが全てうまく納まった。意気揚々とわが家に帰ると、母が怖い顔をして私を睨みつける。たった今、郵便局長がきて、「子供の教育を何と心得るか。ハガキに凧の足とは言語道断」と、彼女を叱りつけたそうな。郵便局長は、その土地の名士とか資産家が多いのですが、それにしても凧の足ぐらいで血相を変えるとは大人気ない。私は、その日から郵便局が嫌いになりました。
たわいない意地悪といえばそれまでですが、この世にはどうにも許せない意地悪があります。
中世のカトリック教会では、信者に免罪符なるものを売りつけた。あの世には、天国と地獄の中間に煉獄がある。洗礼を受ける以前の罪は洗礼で消えるが、神に召されるまでの間に犯した罪は消えないから、いったん煉獄に送られる。そこで、天国行きか地獄にするか裁かれるのだが、煉獄の苦しみは大変なもので、よく常人の耐えうるところではない。免罪符はパスポートみたいなもので、これさえあれば煉獄をサッと素通りして天国に行けると説いたのです。
ヴァチカンが、聖ピエトロ寺院建造のための金集めに考えだした苦肉の策なのですが、売り上げを猫ババして私腹を肥やす牧師もいたらしい。免罪符の起源は、十一世紀に始まった十字軍にあります。兵士を募るために、従軍者には誰でも罪の赦しが与えられ、天国に行けると。その証文が免罪符という訳です。
免罪符の売れ行きが悪くなると、免罪符説教師という名の辻説法師が登場する。免罪符の効能もぐんとよくなり、買った当人の罪を帳消しにするだけでなく、すでに死んで煉獄をさまよっている先祖の霊魂も救われると言いだした。意地悪というより、殆どペテンです。
これに怒ったのがドイツ人のルターです。「真の悔い改めなしには救いはあり得ない。安易に救いを約束する免罪符はキリスト教の堕落である」といって、宗教改革に立ち上がったのです。
余談ですが、ヴァチカンへの反抗の印(しるし)として、ルターは脱走尼であるカタリナと結婚してみせるのです(聖職者の妻帯を禁じた教会法に違反する者は破門された。但し、聖書には妻帯を禁ずる記述は存在しない)。
キリスト教だけでなく、仏教だってひどいものです。お寺の住職が、「戒名がないと極楽に行けませんよ」と脅かす。冗談じゃない。お釈迦さまが、戒名が必要だなどという筈がない。「院居士」の戒名代が百万円、徳川家康並みの「大権現」(大居士)だと一千万円だという。それでも欲しいという金持ちがこの世にはいるらしい。天国とか極楽は、しょせん貧乏人には縁のない所のようです。しかし、死人に口なし。死んだ人から、「天国はほんとにあったよ。天使と楽しくやってるよ」などといった話は聞いたことがない。だから、戒名が貰えなくても気に病むことはありません。
故大河内一男(東大名誉教授)夫人の話ですが、故人の遺言に従って戒名はいらないと菩提寺の住職に言ったところ、「無戒名では墓地への埋葬は許さない」の一点張り。いまだにお骨(こつ)が宙に浮いているのだそうです。
意地悪なのか、金のためか。その両方でしょうか。
宗教は、癒しだという。人間という動物は、神や仏をバックにした宗教家に頼る意外に癒しを得る道はないのだろうか。誰かが、「宗教家とは政治家以上に無宗教な政治家だ」と言った。例外があれば教えていただきたい。
人間の最も弱いところ、それは「死への恐怖」だと思います。その弱みにつけこんだビジネスが宗教だというつもりはありません。宗教をとりまく人間が、宗教と人間の双方を食い物にしているのかもしれません。しかし、食い物にされる人間のほうもいけないのでは。
死に関しては、ひょっとして人間より動物のほうが上かもしれない。象は、死期を悟ると象の墓場へひとりで行って身を横たえ、そして象牙を残すという。猫だって、醜い死骸を人前に晒すことはない。人間様みたいに、間際になって医者だ坊主だ、やれ戒名だなどと騒いだりはしないのです。
ひとり静かにこの世を去っていく、そのようにDNAがプログラムされているのでしょうか。
(四)思い上がり
男(おとこ)論というのがある。実に多くの作家が、小説やエッセイの中で男について語っています。 例えば、矢沢永一先生。
「女のことは知らぬから、男のことだけ書く。死ぬまで直らぬ男の悪癖が二つある。ケチと臆病である。こればかりは、遺伝子に組み込まれているらしいから、確実に子孫に継承される。後天的なものとして、歳とともに表面化する最悪の病原菌がある。それは、「思い上がり」というウイルスである。破格の抜擢や桁外れの処遇にあずかったとき、それを己れに絶大な値打ちがあったからだと思いこむ自己肥大症である。放っておくと留まる処をしらない。治療法はただひとつ。本人を引き上げた張本人が、元の木阿弥に引き下ろすしかないのである」と。
某巨大銀行の元頭取氏は、八十歳にして名誉会長。本店の最上階にデンとオフイスを構えてい、一向に引退する気配がない。ところが、ある寒い日、運よく(?)軽い脳梗塞で倒れてくれた。頭取以下、これで辞めてくれるとホッとしたのも束の間、週に二回は銀行に出たいから、本店内にある診療所に入院して治療を受けると言いだした。
困ったのは、医師と看護婦です。我儘いっぱい、罵詈雑言雨あられ。「お前みたいなヤブ医者みたことない」とか、看護婦が注射でもしようものなら、「痛いっ::。この下手くそ奴。わしを誰だと思っとるんだ::」といった調子。とうとう、看護婦が辞めると言い出した。医師までが、「手に負えません。他の病院に移してください」と訴えでる始末。
やむなく、都内の一流病院のスイートルームにお引き取り願ったのですが、ここでも同じことが起きた。婦長以下、全看護婦が団結して横暴患者の担当拒否を病院側につきつけたのです。困った病院側は、治療上の理由とかなんとか口実を作って、この患者を他の病院に押しつけた。が、やはり同じ結果に終わりました。こうなると、噂が噂をよび、もはや彼を受け入れてくれる病院はありません。銀行が雇った看護婦をつけて自宅療養をせざるを得なくなったのですが、看護婦が三ヶ月と続かない。ついに、看護婦組合からも派遣を拒否されてしまった。そこで、区の介護ボランテア協会に依頼して介護人を派遣してもらうことにした。協会サイドも、悪名高き患者の話は知っていたから、当初は派遣をしぶったのですが、「困った時こそほんとの人助け」と、ボランテア精神旺盛な二人の介護人が元頭取宅を訪問したのですが……。
玄関先に現れた元頭取氏夫人が、いきなり「困るわねえ。御用聞きは裏口から来なきゃだめじゃないの」とのたもうた。唖然とした二人が、憤然として踵を返したのはいうまでもありません。
万事窮したかと思いきや、傲慢な金持ちというのはしぶといのです。銀行に大金を払わせ、三人の優秀なフイリッピン女性の看護婦を雇ったといいます。彼女達は、優秀かつ勤勉で忍耐強く、語学もできるので世界中の病院から引っ張りだこなのだそうです。
女流作家による男論はどうでしょうか。先ずは、山口令子先生。
「歳をとってももてるのは、職人気質の男。全然もてないのが、インテリタイプ。生かじりの知識は豊富だが、本物の知性を身につけていないからだ。学歴とか知識とかは、知性とは何の関係もない」と。
自他ともに許すインテリゲンチアのあなた。いささか耳が痛いのでは。
思い上がりとは関係ありませんが、山口洋子先生の男論はワサビがきいています。そば好きの男性は気をつけてください。
「俗に、辛口の男というのがいる。O型でそば好きに多いタイプ。嘘が下手で、女をどこかバカにしている。直情径行、ゴマすってまで世渡りをしようとは思わない。使うために金を貯め、やるために女と知り合う。その癖、女が秋風なら男の恥とばかり、くるりと背を向けてさっさと立ち去る男」と。
でも、まんざら嫌いなタイプじゃなさそうですね、洋子先生。
(五)ヨルダン川の水
作家・井上ひさしのエッセイ「水に敬礼」(二00三年ベスト・エッセイ集・うらやましい人・文芸春秋社)を読んで、初めて知りました。長年にわたる、イスラエル・パレスチナ紛争の最大の原因がヨルダン川の水争いだったとは……。
「イスラエル軍は、ヨルダン川上流のほぼ全域を占領し、水利権を掌中に収めた。この結果、イスラエル人はアラブ人の七倍も余計に水が使えるようになった。イギリスの科学ジャーナリスト・フイリップ・ボールの『水の伝記』(荒木文江訳・ニュートン・プレス社)を引用すると、『……水が宗教的意味合いを持つイスラム教徒にとって、この不公平はとりわけ切実に感じられるのだ。水と水が環境へ具現化したものー海、泉、雨、雲―は、コーラン全体を通して主要なテーマである。水の浄化力がイスラム信仰の強力な要素であることは、祈りの前に儀式的浄めが求められることに現れている。したがって、イスラムの伝統では水を汚したり使用を妨げるのは罰すべき罪なのである。こうした信仰に執着する者からみれば、イスラエル政府はアラブ市民の権利だけでなく、聖なる戒律を侵していることになるのだ……』」と。
イスラム教徒にとって、清らかな聖なる水が得られないだけでなく、飲み水も生活用水もヨルダン川下流の汚れた僅かな水に頼らざるをえない現状は、とうてい耐え難いものだった。これでは、紛争は終結するどころか、イスラエルに対するテロ行為がエスカレートするのもうなずけます。
殆ど水不足に悩まされることのない私たち日本人にとって、毎日が水の心配の連続である中東地域に住む人々の心情は、とても理解しきれるものではありません。
ヨルダン川の水争いの事実は、アメリカをはじめとする世界中の国が知っている筈です。勿論、日本政府も知っています。しかし、私の知る限りでは、日本のテレビや新聞で報道されたという記憶はない。新聞は、イスラエル軍が一方的にヨルダン川上流を占拠したとは語っても、それが水を独占するためだったとは書かないのです。
五年前、朝日新聞社主催の「メデイアの使命とは何か」と題するシンポジウムが、有楽町の朝日ホールで開催されました。朝日の首脳陣に加え、学者、評論家を含めたパネル・デスカッションでしたが、要するに「いかなる圧力にも屈せず、真実を国民に伝えるのが使命」という、真に立派なものでした。質問状が配られたので、私はヨルダン川の水争いを何故報道しないのかと問いました。ところが、一向に返事がない。痺れをきらして、朝日新聞本社の広報室に押しかけたのですが、まともな返事が帰ってこない。のらりくらりです。押し問答の末、やっと論説委員室の男が出てきた。なんと、「一度、日曜特集でヨルダン川を取り上げる予定だったが、外務省に差し止められた。アメリカに日本がパレスチナ寄りととられては不味いとの理由で……」というではありませんか。官の圧力に屈しないのが朝日ではないかと食いさがると、外務省に逆らうと外交関係の情報が取れなくなるのだという。これでは、戦前の軍部による記事差し止めと何ら変わるところはありません。
「無冠の帝王」とうそぶいた新聞記者魂はどこに行ったのだと、捨てゼリフを残してはきましたが……。
二00二年、神奈川近代文学館で、「夏目漱石展―二十一世紀へのことば」が開催された。併行して、名うての漱石好き作家たち、井上ひさし、久世光彦、嵐山光三郎による講演会がありました。なかでも、「作家の使命」と題する井上ひさしの話が印象的でした。
「私は、グータラ本ばかり読んでいて、ロクに働かない男です。妻にも離縁されてしまいました。しかし、本を読み現実を見つめて一生懸命考え、表流の底に潜む底流の動きを探る、それが作家である私の仕事だと考えています。川の流れは、表流は至って穏やかですが、底流は渦を巻いたり逆流したりしているかもしれない。表流と底流との対比から真実を探り当てる、それが私の思考方法です。そして、「ほんとうは、こうなんじゃないでしょうか」と、小説とかエッセイのかたちで読者にお知らせしたい。汗水流して働いている人々への、私のささやかな恩返しだと思っています」と。
謙虚なものです。純文学とかを標榜する文芸評論家の中には、「彼の作品は文学ではない」と決めつける向きもあります。しかし、文学作品と呼ばれなくてもよいではないか、この世の中、彼のような作家にいてもらわないと困るのです。少なくとも、私にとっては。
明治の頃、漱石の「我輩は猫である」が大評判となりました。ところが、当時の仏文学者たちがこぞって、「猫」は文学ではない、落語小説であると酷評しました。彼等にしてみれば、文学とは、仏文学のことだったのです。
(六)怒るに怒れなかった話
最後に、俳句を三題。
流れ星こはしと言いし人はなく(虚子)
祇園とは背中あわせの寒さかな(吉井勇)
しみじみと友の情けを知る日かな(山口瞳)
三句並べてみて、瞳さんの句が一番の上出来だという人はあまりいないでしょう。しかし、一見平凡にみえて、彼にとって一生忘れられない大事な一句なのです。
無名時代の瞳さんは貧しかった。前夜のヤケ酒が祟って、朝食を食べるお金も残っていない。やむなく、朝食抜きで会社に出勤したものの、おなかが空いて仕事にならない。
ふと、隣りの席を見ると、机の上にハンケチで包んだ弁当箱が置いてあるではないか。幸か不幸か、隣りの男は外出している。暫くは帰ってこないだろうと思うと、おなかがグウと鳴った。仲の良い友達だから、少し位食べても勘弁してくれるだろうと多寡(たか)をくくった。三分の一位食べたところで、益々おなかが空いてきた。どうにも止まらない。半分位までならいいだろうと考えた……。
気がついたら、弁当箱は空になっていた。突然、涙がでてきて止まらない。俺という奴は、なんと情けない男だろう。他人の弁当を盗み食いするまでに落ちぶれたかと。
瞳さんは、かの一句を大急ぎでノートに書きつけ、それを折りたたんで空の弁当箱に放りこんで会社を逃げだした……。
バックグラウンドがわかれば、何気ない一句がとてもいい味を出してくれるのです。
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