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エッセイ
イブスキのお兄さん
瑠璃子
その頃、多摩の一連の開発とともに、町田では大がかりな宅地造成が進んでいた。樹木は切り倒され、田畑は埋められて、焦土のようになった土地にカーポート付きの洒落た家が建ち並んだ。町田第五小学校には、二種類の生徒がいた。都心から郊外の新居へ越してきた裕福な家の子どもと、その子らが発散する華やかな雰囲気にまぶしげに目を細める地元育ちの子どもたちと。私は後者の一員だった。家は長屋タイプの公営住宅だった。一緒に遊ぶのは、たいてい同じ団地の子か、駅前に出店した大型スーパーに圧され気味の小さな商店の子が多かった。私たちの親は、ほとんどが共稼ぎだった。帰宅しても「お帰り」と迎えてくれる母親も、手作りのおやつも待っていない。その代わり、都会っ子たちのように塾やピアノやバレエのレッスンに通う必要もなかった。私たちは放課後、三々五々集まっては日が暮れるまで、独りぼっちの時間を身を寄せ合うようにして過ごした。
よく校庭で遊んだ。町田第五小学校の校庭は東西に平べったく、腕を開いたような鉄筋校舎の右手に体育館、左手にプール、正面の奥には小さな植物園があった。グラウンドは固い土で、ころんでも怪我をしないように細かな砂がまかれていた。風が強い日など砂は広げた布のようにめくれ上がり、人も遊具も建物も、視界のすべてを黄色く覆った。
昭和四十六年、冬。私は小学五年生だった。いつものように校庭へ行くと、見かけない人がいた。植物園のそばの鉄棒の下。背の高い男の人で、夕日を浴びた足元に細長い影が落ちていた。その人はすいと手を伸ばし、一番高い鉄棒をつかんだ。勢いをつけ、両足を蹴り上げると、私たちが見ている前で見事な車輪を描いて回転した。テレビで見たオリンピック選手みたいだった。ぽんと弾みをつけて地面に降り、その人は鉄柱に寄りかかって休んだ。もう一度やって。皆でせがんだ。すごいね。口々に賞賛すると、はにかんだように笑った。名を訊くと、「イブスキ」と答えた。変わった名前。九州の地名だよ。そのあたりに住んでいる人はみんなイブスキって名字なんだ、と教えてくれた。
それから時々、私たちは校庭で会った。イブスキのお兄さんは痩せていて、少し猫背で、前髪を長く伸ばしていた。低い声で穏やかに話し、こちらが話しかけなればあまりしゃべらなかった。私はお兄さんが好きだった。なんと言っても鉄棒の達人だったし、頼むと快く簡単な技を教えてくれた。鉄棒に飽きると、私たちは缶蹴りやドッジボールに興じた。気が向くとお兄さんも加わった。何をしても誰よりも、お兄さんは一番上手だった。
母はいい顔をしなかった。どこで噂を聞いたのか、私からいろいろ聞き出そうとした。誰なの。よく知らない。何してる人。大学生だって。どこの。玉川大学。母は疑わしそうに目をそばめた。それから声をひそめて、まるで内緒話のように囁いた。顔に大きな痣があるんですって、その人。不思議な気がした。たしかにお兄さんの右まぶたから頬にかけて、赤ん坊の手跡のような紫の痣があった。けれど、そんなこと気にかけたことは一度もなかった。私の目から見れば、お兄さんは理想の大人だった。私たちを邪魔にも馬鹿にもせず、受け入れて、あれこれ命令もしないただ一人の大人。そのことの方がずっと大事だった。気をつけなさいよ、と母は言った。昼間からふらふらして、子ども相手に遊んでるなんておかしいじゃない。用心してね。変な目的があるのかも知れないわ。
とても寒い日だった。吐く息が凍り、運動靴のつま先が冷え切って痛かった。その日は、待っても友だちが校庭に現れなかった。お兄さんと私二人きり。本当を言うと、冬場の鉄棒は好きじゃない。握ると氷柱のように冷たいんだもの。けれど、お兄さんが見ていると思うと私は張り切った。赤いカーディガンを鉄棒に巻き付けて、折った膝を腕で抱えてくるくると回った。うまいね。お兄さんが言った。褒められて心臓がどきどきした。ああそうだ。思い出したように言うと、お兄さんはジャンパーのポケットを探った。きみにあげる。真新しいトランプだった。当時テレビで放映していた人形劇、チロリン村の絵柄。ピーナッツ頭の女の子と栗頭の男の子が、お花畑の真ん中でにこにこ笑って立っている。特別だよ、みんなには秘密にね。そう言ってお兄さんは微笑んだ。私が特別。私が特別。それは歌のように耳に響いた。
子どもたちと過ごすうち、お兄さんは次第にうち解けてきた。朗らかになり、よくしゃべるようになった。私は、他の子と親しげにするお兄さんを見るのが嫌だった。冗談をかわして笑いあったりしていると胸が苦しくなった。私が特別。特別なはずなのに。私はだんだん不機嫌になり、みんなから距離を置くようになった。ふくれっ面をして、わざと遊びの輪からはずれたりした。どうしたの、おいで、とお兄さんに言って欲しかった。けれど、お兄さんはそんな私を気に留めているように思えなかった。時折、不思議そうな眼差しでこちらを見ることはあっても、わざわざそばに来て訳を尋ねてはくれなかった。
私はふさぎ込むようになり、そのうち校庭から足が遠のいていった。誘いに来る友だちも、何度も断るうちに素通りするようになった。私は家で独り、本を読んだり、テレビを見たりして過ごした。淋しくてたまらなかった。みんな、どうしているかしら。とうとう我慢できなくなって、ある夕方、学校へ行った。笑い声が聞こえた。校舎の陰からそっとのぞいた。みんなが走っていた。校庭を駆け回って、鬼ごっこのような遊びをしている。私のお兄さんが、私の友人たちと。どの顔も楽しそうだった。何一つ欠けたものがないみたいに。
目の奥がつんとした。私は家に帰り、毛布をかぶって寝てしまった。母が仕事から帰ってきて訊いた。どうしたの。こらえていた涙がいっぺんにあふれた。イブスキのお兄さんが、と私は涙声で訴えた。母の表情が険しくなった。何かあったの。私は泣きじゃくった。何かされたの。答えなかった。母が何を心配しているのかわからないほど子どもじゃなかった。きちんと説明しないと、よくないことが起こるだろうことも、母の顔つきから何となく感じた。わかった上で私は口を閉ざした。もう、どうでもよかった。どうでもいい、どうでもいい、みんな壊れてしまえばいい。母は立ち上がり、電話を何本かかけ、それから部屋を出ていった。
二、三日、学校を休んだ。気分が悪いと言うと、母は何も訊かずに布団を敷いてくれた。仕事を休んで、私のためにお粥を炊いたりリンゴを摺ってくれたりした。週明けに学校に行くと、大丈夫なの、と級友が声をかけてくれた。私は黙ってうなずいた。それ以来、校庭からイブスキのお兄さんの姿が消えた。お兄さん、来ないね。どうしたんだろうね。みんなは首をかしげた。私は誰にも何も言わなかった。
お兄さんからもらったトランプは薄いセロファンに包んだまま、長いこと机の奥にしまっておいた。私たち一家は、それから何度か引っ越しをした。その度に私は学校を変わった。引き出しの中のトランプも、いつの間にかなくしてしまった。
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