全体のTOPへ
山崎哲
講座案内
茶房ドラマを書く
作品紹介

「作品紹介」へ戻る


茶房ドラマを書く/作品紹介


石喰ひ日記

夫を追う

小泉八重子


第1回山崎賞・最優秀賞受賞



 二十七歳で結婚してからこの方、およそ三十年にわたる夫婦生活は殆ど体をなしていなかった。終りを通り越して、形だけが残っているこの状況を幽霊夫婦と名づけてもいいだろう。幻を生きるというのは楽ではない。この幻を支えているのは金である。
 からだの関係は一児がうまれる前の三十歳で終りとなった。私五十五歳。現在息子と暮していたF市の一戸建てを出て駅前の賃貸マンションにいる。仕事はまだない。夫、信夫六十一歳。都心の分譲マンションでサラリーマンとして暮す。息子二十五歳。三十歳の女性とアパート暮し。接客業のアルバイトをしている。女性は三十歳。薬会社の正社員。
 冷たい関係である。怒りだけは凄まじく熱かった。次に記した三日間の記録は、私の五十五歳の梅雨と真夏の二日間を切り取ったものである。つまり現在をくりぬいたものである。リアルタイムで生々しいから読むにたえぬものになっていると思う。それでも懸命に記した。なぜか記さねばならない気がした。
 毎日が記さねばならないと思うのは以前からだが、こうして追い詰められてみると、更に記さねばならないように思える。最後まで読んでくれるように祈る。


 二〇〇四年 六月二十六日(土)


 五月半ばより、電話連絡の途絶えた信夫のマンションに行かねばならないと思っていた。きっぱりとした気持ちではなくけだるい気持ちでそう思ってたのだ。
 信夫と私が冷静に話し合える場所はF市のカウンセリングルームだけとなっていた。夫婦関係のもつれから気が違ってしまった私は保健所に電話して救いを求めた結果ここに辿り着いたのであった。症状はおさまったものの夫婦は元に戻らず、最後の話し合いは、一戸建ての家を貸すか否かの課題を巡ってのものだった。

 部屋の中では世間話に終始する。一般的には意外に思われるかもしれないが、カウンセリングルームは実は世間話が主なのだ。カウンセラー当人がいうのだから間違いないだろう。そうして緊張をほぐして本題に入るのだ。
「家を貸して家賃を折半しましょうよ」
 残り三十分となって私は口火をきった。
「名義が俺だけじゃないからねえ」
 困惑しきったように信夫はいった。
「掃除して、何か始めようかと思ったけどだめだったわ。リサイクルやっても大したもうけにはならないのよ。貸せば一番もうかるわ」
「家賃はどのくらい?」
「二十万はとれるっていってた、不動産が」
「どこの?」
「S洋ハウスの刈谷さんよ。あれこれ考えてる暇はないわ」
 時間がきた。F駅まで見送る。

「貴方、お母さんに負けないでね。名義は貴方のものでもあるんだし、これから私たち一家が崩壊しながら進んで行くにはこの方法しかないのよ。家の修理代は私が出す。だから賃料は折半にしてくれない? いい、負けないでよ。負けないで」
 そういって信夫の肩を抱きしめF駅の改札で見送った。禿頭の丸顔。いかつい躰を背広に包んだ信夫の足取りはよろめきがちになった。背広は年々安物になっているようだった。皺だらけの背広の肩をわしづかみにしながら私はいった。
「いい? 私は自分の母を切ったのよ。貴方もお母さんを切って」
 頷く信夫の横顔が白い。手をふりながら階段を下りる姿が消えた。

 その後、信夫の自宅であるマンションに電話すると、呼び出し音が鳴るだけで一向に出ない。携帯は「電波の届かない所におられるか、電源を切っておられるか」という応答の声が聞こえるのみである。
 ついに頭を抱えた。これは一戸建ての家を貸したくないという意志のあらわれ以外の何ものでもない。わかりながらもう一度信夫に詰め寄りたいという気が起こる。家は出たけど、その家を物として考えた場合、やはり惜しい。つまりは金だった。
 現在信夫は滞りながらも十万単位で金をふりこむ。いつ、いくらふりこまれるのかいちいち確かめる時間はなくなった。気持ちのゆとりがない。末期が近いと身のふり方に気を取られるばかりで、あてになるのは父の遺産だけだった。然し、これに手をつけるわけにはいかなかった。倒れたときにどこからも救いの手はさしのべられない。

 最後通牒を受け取りながらなお逢いたい。
 あきらめに行くのだ。今日も午後まで迷っていた。無駄骨を折りに行く予感が濃厚である。次の一歩がこれかと思うと情けなくもある。

 やっと腰を上げたのが夕刻だった。宿泊先は都心のY会館だった。今日中にするべきことは信夫のマンションの場所の確認だけだ。頭が真っ白だった。電車に乗ってる間信夫の住んでる場所と宿泊先がかなり遠いのがわかった。交通の便が悪い。
 荷物は最小限にしたものの気温は三十七度と蒸し暑い。JR線はがらがらだった。
 都心駅に辿り着いたとき、そのままUターンしてなつかしい家に帰りたいと思った。F駅前のマンションではなく、インターネットの「うつ病サロン」というチャットルームである。このサロンには自殺未遂を重ねるゾーリンゲンというスクリーンネームの三十五歳の男、余命いくばくもない五十歳の元看護婦のヤマボウシ、吃音に悩む神経質な四十歳の歯科医マコトなどがいる。ネットで出逢う彼らとは毎晩チャットルームとよばれる十センチ×二十センチ四方の白い画面で語りあう。「こんばんは。調子はどう?」「最低」「降下中」。無声で交される会話に救いがあるわけではない。

 都心駅に立った瞬間家に帰りたいと思った、その「家」が「うつ病サロン」であることに愕然とした。どこか間違ってると思う。幻に幻を重ねるこの暮しが息苦しくなっている。
 そのまま、サロンのオフ会に利用してはどうかと思われるステイションホテルに向い、パンフレットを貰った。何をやっているのだという自嘲がこみあげる。
 銀の鈴という待ち合わせ場所近くのラーメン屋で定食を頼み、夕食とする。
 荷物をもったまま地下鉄に乗る。H駅で降りた。ここから先途方に暮れた。信夫のマンションはK坂にあったという記憶しかない。近所に金魚屋があり、明治期の著名な女流作家の生家跡らしい暗い長屋と井戸があった。全く役にも立たない。

 交番を二軒まわって住所を示し、道順を聞く。遊園地を脇にみて四車線の道をひたすら歩く。この辺りの植物園近くに信夫とともに住んでいたことを思い出す。黴のはえた押入れ、木の手すりのある窓際。そこで息子が生れた。通りを右に折れると下町風情の細い二車線に入る。結構な距離だった。汗だくになる。

 ハイシティH郷の看板は植え込みに隠れるように置かれていた。ざらついたタイル張りの道を進むと小さな庇をのせたガラス扉があらわれた。初めてみる信夫の棲家だった。
 扉は二重になっており、二機のエレベーターがみえた。オートロックは難なく通過できるような気がした。張り込みのためどうでもいい服を着てきた。最近殆どどうでもいい服で過している。一時間ほど下見したが今日粘るのには無理があった。

 長い道を戻り、地下鉄に乗る。時代を逆行しているような重い疲労がある。駅で乗り換える際延々と地下道を歩かなければならないはめに陥った。息があがる。もうだめだ。
 地下鉄線を乗り換える。最近になって周囲との連絡を断ったのは、私が自分の生きる道を誰かに理解してもらおうと思わなくなってからだった。私は虫だ。わけのわからない方向にむかって地べたを這う死にかけの黄金虫だ。電車が止まった。地上に出て携帯でY会館への道を聞く。迷ううち一人の男が歩いてきたので聞くと手前の脇道を戻る方向にあるという。

 エントランスには落ち着いた華やかさがある。こんな所に来る身分ではないはずだと思いながらも、ほっとする。受付ロビーで浴衣に革靴という変な姿の中高年の男が誰にともなく「こんな格好で」と笑いながら照れた。安定剤ソラナックス、抗鬱剤パキシルをのみ眠る。


 二〇〇四年 六月二十七日(日)


 ホテルの朝食をとる。刈り込まれた植木に芝生の眺めがいい。紅い花々がなごむ。昨晩予約を入れたCインというホテルに荷物を預けに行く。
 今日こそは本番だと思いながらいまひとつ気合いが入らない。一日中張り込んでもよさそうなものだが、ポイントは夕食時から朝にかけての張り込みだと思った。

 信夫の勤め先はこのマンションから電車で一時間半の所にある。彼がマンションを出るのは食事時と会社に行く時刻である。午後五時から翌日の朝という張り込み計画を立てた。無謀であった。あたって砕けろの精神であった。信夫をつかまえて先ず言いたい言葉がみつからなかった。怒涛のままこりかたまった感情だけがある。

 それまでの時間をC駅で過ごした。この駅に近い産婦人科で不妊症の診断を受けたことを思い出す。姑がすすめる医師であった。下からすくいあげるような目で「子宮後屈です」といわれた。結婚して一年も満たない頃から子供を作るように急く姑と信夫が理解できなかった。
 橋のたもとにある凸型の黒い石のベンチに座る。近頃浮浪者が妙に目に付く。怖ろしさの感情だけではなく、近い内に仲間入りする人々の暮しぶりを学ぶ気持ちもある。橋の隙間からみえる川はどこも濁っている。

 本屋の前の露天の商品にさえ手が出ない経済状態となった。金が欲しい。出ていくばかりの金が恨めしい。月々三十万をおくられ、その上に何が不足かといわれれば返す言葉もない。蓄えを崩すのが怖ろしいのだといえば車を手放せといわれるだろう。そのつもりだ。バイクも廃車にした。自転車は息子の残したのを使っている。

 やがて五時を過ぎ、マンションに着いたのは六時だった。緑の庇が迎えた。
 握り飯三個と飴一袋、水のペットボトルはのみやすい小さいサイズで五本。これで一晩をしのぐつもりだった。ゴングはなった。

 オートロックの扉を二人連れの女性が開けた拍子に入ったものの、エレベーターに乗って上まで行く勇気が出せなくて再び外の植え込みに座った。植え込みの囲いのコンクリに座って彼を待った。夜になっても猛暑だった。管理人室はカーテンで閉ざされたままだった。ポリバケツと棒雑巾をもった作業服の男が怪訝な目で私をみた。しみだらけのズボンに極彩色の龍が描かれた黒のメンシャツ。斜めにかけた黒のショルダーに黒と茶色の縞の手提げ袋。男は足早に過ぎていった。

 屈強な男の二人組が入ったときには滑り込むのにためらった。それから三十分ほどしてイラク系の彫りの深い顔立ちの小太りの男が、日本人の女を伴い現れる。半ズボンにスーパーの袋をぶら下げている。女をみつめる優しいまなざしに乗じて私はオートロックを突破した。

 エレベーターで六階に上がった。
 六〇一号室の前に立ち、じっと息を殺した。私からの電話を受け取らないということは他の電話の一切も受け取っていないことになるのだろうか。最新機器に疎い私は頭が混乱する。尋常ではない日常はもうたくさんだという気がこみあげる。合成皮革のアイボリー調の色の扉。インターフォン。六階はおよそ五部屋に別れた小ぶりのホールである。小さな吹き抜け。床は防音タイプの藤色のマットでかなり豪華な分譲マンションと見受けた。

 さきほど買ったかつお節の包み紙を床に敷き扉を背にしてもたれた。角部屋である。ショルダーバッグを置き、週刊誌を取り出す。水をのみながら週刊誌を読む。マンションのかげにほてった夜空がみえた。
 三時間は何とかしのげた。やがて尿意をもよおした。さきほどオートロックを開いてくれたイラン人風の男がエレベーターに向って歩いてきた。私を見下ろしていった。
「ここの人訪ねてきたのね」
 流暢な日本語だった。
「そうです」
「親しい人ね?」
「はい」
「大変ね」
 軽蔑の色がないのが救いだった。エレベーターに吸い込まれた男を見送って彼の部屋をみた。明るい光のもれる部屋には女がいる。束の間か永遠かそこには平和があった。

 時間とともに尿意が激しくなった。マンションを出ると再び入ることはもう難しいだろう。
 廊下伝いに目を滑らせると排水口があった。わずか十五センチ巾の蓋に縦に繰りぬかれた長方形の口が十本ほど。液体を下へ流す仕組みになっているのは明らかだった。ペットボトルの水にはまだ余りがあった。辺りは静まりかえっている。

 午後九時。部屋からいきなり出てきた人が、裸の尻を目にすることがあっても知ったことか。ズボンをおろし、左足裏を床、右足裏を柵の下の壁に押し付け、排水口をまたいでおしっこをした。尿はあたり一面に飛び散ったものの、何とか下へ流れた。思いの外の量の多さだった。ペットボトルの水で周囲を洗った。
ほっと息をつく。やがて立ったり座ったりを繰り返す。同じ姿勢でいるのが苦痛となる。と、そのとき、部屋の中から紙をまるめる音がした。信夫がいる。厳しい状況下に置かれている者がもう一人この部屋にもいる。といってもそれは当然喜びには変らない。くしゃくしゃと控えめな音が間歇的に響く中、扉に耳をあてる。

 息をひそめていないふりを続けてきたが、敵もそうだったのだろう。我慢できなくなって紙をまるめたので、お返しに扉をノックした。返事はなかった。折った中指を立てて強くノックした。こうなればもうやけで、ベルを押した。扉を拳骨で叩いた。ホールにその音を午前零時まで響かせた。

 へとへとになった。翌朝まで張り込む気力は失せた。精も魂も尽き果てマンションを出た。再び訪れることはないだろう。タクシーを拾い、Cインというホテルまで行く。Y会館とはうってかわってみすぼらしいビジネスホテルだった。

 薬をのみ這うようにバスルームに行きシャワーを浴びた。頭の芯に疲れがこびりついて眠れない。翌朝早いうちにホテルを出ようとカーテンをあけると、広い道を隔てた所の目の前に人がいてびっくりした。二階からの眺めが町中である。驚いた。JRでは泥のように眠った。


 二〇〇四年 七月二十一日(水)


 マンションを訪れてから約一ヶ月。連絡が途絶えてから約二ヶ月が過ぎた。昨日、弁護士を依頼していた友人から電話があったばかりである。頭の中は毎日まとまらない。

 今日は信夫の勤め先に行く。先日予約したのにすっぽかしたカウンセリングの料金一万円と、信夫が原因とみられる私の鬱病の治療費三千九百八十円の請求。一戸建ての家を貸す際に必要なエアコンの修理代の請求である。

 すべて請求である。女の顔は請求書といわれる。全身請求書と化した私に誇りはない。それでも堂々と胸をはって歩く。

 昨日ヤフーで検索した信夫の会社メッシュはN駅の南口にあった。この日、気温は四十度。金のためだ。やむをえない。モスバーガーとマクドナルドを過ぎた辺りにガラス張りのその社屋があった。
 怪しい者ではない。自分に言い聞かせる。この社屋に勤める社員の妻が、切羽詰った用件で訪れておかしいはずはない。早くこんな惨めな境遇から脱したい。この力を働くことに向けるべきだと思う。

 社屋の受付は五階だった。酒をのんだように顔が赤くなっている。一張羅のワンピースが汗まみれだ。ガラス扉の向うは仕事場だった。エアコンのきいたオフィスではパソコンの前でざっと見渡したところ十五人ほどの人々が働いていた。扉の右にあるベルを押しても誰が出てくるわけでもない。汗まみれの姿をさらしても涼しい顔で仕事をしている。自分の姿を扉からはずしたとき、髪の長い事務服の若い女が出てきた。もったりした印象で、俊敏そうではないのが反って救われる。

「何か?」
 という顔でガラス扉を開けた。
「お忙しいところ恐縮です。監査役のTの妻ですが、緊急の用件がありまして取り次いで頂けましたらと存じまして」
「はい、わかりました。この一階上です」
 薄笑いを浮かべた表情で女は先に立って階段をのぼった。

 ガラス扉の向うでパソコンを前にした信夫が窓際にいた。若い女が先に歩いて、私は後に従った。私をみとめると信夫は硬ばった表情のまま背広の上着をつかみ、ぎこちないあやつり人形のように立ち上がった。外はかげろうがゆらめいている。

 エレベーターで二人は無言だった。関係に進展があるとすれば、この無言だった。最早喧嘩もできない状態に突入した。呼吸が浅いまま炎天下に出た。
「どこか、あの、知ってるでしょ、貴方」
 片言でこれから入る喫茶店を指示するのが精一杯だった。マクドナルドに目をやった信夫はあきらめたように進む。やがて小さなホテルの中にある喫茶店に転がり込んだ。ソファ側に座るように私に指示すると、信夫は手前の椅子をひいて座った。
 恥ずかしそうにこちらをみつめる目は相変わらずだった。不快になり目をそむける。

「アイスコーヒー」
 信夫が頼み、
「同じもの」
 と私が続ける。笑顔の一滴ももらすまいと気を張り、続けた。
「この間、カウンセリングルームで話し合うっていってたのに、貴方来なかったわよね。約束が違うでしょう。あそこは私たちが冷静に話し合える最後の場所だったはずでしょう。この料金を請求します。一万円ね。それから私の鬱病はあなたが原因ですから、安定剤と抗鬱剤の料金を請求します。治るまで払っていただきます」
「ああ、いいよ。薬は五千円くらいか?」
 計算するのもわずらわしいといったように信夫は札を取り出した。
「ちょっと待って。計算する。三千九百八十円よ。レシートがあります。カウンセリングの方はレシートがありません」
「いいよ、これまでいくらかかった?」
「そうね、二万円」

 嘘をついた。すっぽかされて以降私はあの部屋を訪れていない。その記憶も曖昧なままに上乗せした。カウンセラーとの応答も近頃必要を感じていない。すべて電話ですましている。薬のために安定して、もしかして働けるかもしれないと思っている。それは黙っておく。

「元いた家で仕事始めようと思うんだけど、エアコンが壊れて仕事にならないのよね。修理の請求書、そちらに回してもいいですよね」
「仕事ってなに」
「まあ、リサイクルとかそんなもんです。大したもうけにはなりませんが」
 それも嘘だった。何を始めるか自分でもわかっていなかった。
「いくらくらい要るのかねえ」
「まあ、そう、万はいくかもしれないけど」
 言葉を濁した。エアコンを買って請求書を回そうという考えがひらめいた。面当て……。最後っ屁。この家を出るまでの狼藉。信夫が知らないうちに共同事業に加担させ陥れたい。
 黒く埃のつまったエアコンを思い浮かべた。

「いくぶんか太ったね」
 信夫がいった。
「そうね」
「僕はやせた」
「丁度いいんじゃない」
「いや、健康的なやせ方じゃないから」
「これからは」
 私は声を改めた。
「こんなこともしてられませんからいずれ弁護士を立てます。話し合いはその人を通してにしましょう」
「わかりましたよ」
 急速に終りが来る気がした。放り出されて路頭に迷う人をアウトローというなら、今からそれらしく目の前の人を騙せばいいのだ。

「お急ぎでしたら、どうぞ会社に戻ってください」
「じゃ、コーヒーは払うか」
「割り勘にしてください」
 レジでおろおろと手間取ってた信夫に五百五十円を手渡す。
「今度の会社、中々いいでしょう」
 笑顔で信夫はいった。
「そうね」
「N銀のおかげですよ」
 元いた職場の名を拝むようにいった。
「貴方の実力でしょう」
 横を向いて答えたら、
「え?」
 と聞き返す。心中舌打ちしながら
「貴方の実力よっ」
 と投げ捨てるように大声で答える。偉いっ、あんたは偉いっ。ベッドで立たなかったけどあんたは偉いっ。むしゃくしゃしてきた。
「お急ぎでしたら、どうぞ会社に戻ってください」

 炎天下をともに歩くのはもうたくさんだった。
 言い訳がましい言葉を残して、信夫は席を立ち、消えた。煙草をとりだした。二人で逢うのはこれで最後になるのかもしれない。
 火をつけるのをためらいながらいつまでも窓の外を眺めた。

平成16年7月24日