剱岳(点の記)登山(富山県)
第一 剱岳登山へのプロローグー映画「剱岳点の記」全国公開
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1. 木村大作監督の「剱岳点の記」が2009(平成21)年6月20日全国公開された。
この映画は,新田次郎作「剱岳〈点の記〉」の小説に脚色を加えたもので,立山や剱岳の山容が非常に美しい映画である 。 -
2. 筋書きは,日露戦争後の1907(明治40)年,国防のため日本地図の完成を急ぐ陸軍は,陸軍参謀本部陸地測量部の測量手・柴崎芳太郎ら7名を剱岳に送り込んだ。剱岳はまだ誰も足跡を残していない国内最後の地図の空白地帯であり,剱岳に登頂して三等三角点を設置するのが柴崎芳太郎らの使命だった。
3. ちなみに,この物語の主人公である柴崎芳太郎は,私の郷土山形県の出身である。
柴崎芳太郎は,1876年山形県北村山郡大石田町で出生し,27歳のときの明治36年陸地測量部修技所に入学し,卒業後,陸地測量手として陸軍参謀本部陸地測量部三角課配属となり陸地測量の第一線で活躍した人物である。4. この物語のもう一人の主人公は,宇治長次郎である。
宇治長次郎は,1874年富山県上新川郡大山村和田に生まれ,若いころから杣(そま・木材を切り出す人をいう。きこり)の仕事に従事し,伐採や木材流しで身体能力や登山技術を養った。急峻な岩壁をヤモリのごとく登降する技術は卓抜しており,彼の登山に関する数々の伝説がある。
彼は,30代から測量登山の案内等の仕事が増え,1907(明治40)年柴崎芳太郎率いる測量隊を剱岳へ導いた。その2年後の明治42年に登山家吉田孫四郎らと同じ谷を再登攀して再度剱岳に登頂した。
その谷は「長次郎谷」と命名され,現在も剱岳登山の有名なルートの一つである。5. 剱岳は,立山信仰において,立山曼陀羅で「死の世界を象徴する山」として描かれているように,登ってはならない山として畏れられていたのである。
それで,柴崎芳太郎は,立山信仰の本拠地で宿坊が多数あった立山町の岩峅寺(いわくらじ)や芦峅寺(あしくらじ)の人から剱岳への登山ガイドの協力が得られず,芦峅寺の川の対岸にある大山村和田の宇治長次郎に剱岳への登山の案内を頼んだという筋書きである。6. 宇治長次郎の案内で長次郎谷の雪渓から剱岳登頂に成功した柴崎芳太郎らが剱岳頂上で見たものは何だったのか?
柴崎芳太郎らは,剱岳頂上で錆び付いた宝剣と錫杖を発見した。
数百年前に修験者が宝剣と錫杖を剱岳山頂まで運び上げたものと思われる。
その宝剣と錫杖は,富山地方鉄道立山線立山駅近くの立山町芦峅寺(あしくらじ)にある富山県[立山博物館]に展示してある。
その詳しい経緯は,新田次郎の「剱岳〈点の記〉」の小説や映画「剱岳点の記」をご覧ありたい。7. そのようなことで,郷土山形県の大先輩柴崎芳太郎が命懸けで登ったが,あまりに急峻で覘標(てんびょう)資材や測量機器を頂上に運び上げることが困難なため三等三角点設置を断念して,四等三角点を設置した剱岳に登ってみようということに山仲間と相成った。
なお,現在剱岳頂上には,三等三角点があるが,その三等三角点は,柴崎芳太郎の登頂100周年を記念して平成16年に国土地理院北陸地方測量部がヘリコプター搬送により設置したものである。
第二 岩壁登攀と安全装備
1. 剱岳は,極めて急峻な岩壁が切立った岩峰である。
2. 剱岳の登攀ルートには,急峻な岩壁が連続的に存在しており,滑落の危険が付きまとう。また,夏でも谷に残雪があり,一部ルートでは急傾斜の雪渓を横切ったり,登攀しなければならない。
そして,雪渓があまりに急であり,雪渓で転んだらピッケルを持っていない限り停止することは難しく,一気にはるか下の谷底まで滑落してしまう危険がある。
剱岳は,そういう意味で,一般登山ルートでは日本国内で最難関の山の1つである。3. 私は,ハイグレード登山技術(菊地敏之著・東京新聞出版局)38ないし52頁,及び全図解レスキューテクニック(初級編)(堤信夫著・山と渓谷社)72ないし77頁を読んで,安全装備として,ハーネス(安全ベルト)とスリング(強度の強いロープやテープ製の輪)とカラビナ(鋼鉄製の輪)を持参した。
4. 引率してくれたロッククライマーのI氏の指導により,それらを組み合わせてスワミベルトをつくり,急峻な岩壁に設置されたステンレス製の頑丈な鎖にカラビナをかけ,誤って手が滑ってその鎖を離してしまっても,ハーネスとスリングとカラビナにより身体をスリングの長さ以上には落下しないように安全確保をした。
5. また,私は,雪渓で滑落しないように,アイゼンとピッケルを持参した。
しかし,別山乗越から剣山荘まで直接行くルートの急傾斜の雪渓を横切る箇所では,歩く幅に除雪して平らな雪道をつくってくれていたので,アイゼンを装着する必要はなかった。
ただ,ピッケルは安全確保のために雪渓に突きながら雪渓を歩いた。6. 剱岳に登山される方には,出来ればこれらの装備を用意し,また,登山前にそれらの取り扱いに習熟されることをお薦めします。
第三 剱岳登頂の行程
1. 剱岳に登ったのは平成21年7月下旬であるが,その全行程中梅雨明け宣言はなかった。(ちなみに,この年山形県には梅雨明け宣言はなかった。)
更に天気予報では,剱岳のある富山地方は大雨の週間天気予報だった。
しかし,メンバー3人の精進がよかったのであろう,剱岳登頂までは何とか曇り空がもってくれて雨は降らなかった。
剱岳登頂を果たして,帰路前剱を過ぎた頃及び剣山荘からデポジットした荷物を受け取り,室堂まで帰る行程で雨にあっただけである。
もし剱岳に登るときに雨が本格的に降ってきたら,剱岳登頂は断念せざるを得なかった。
雨が本格的に降ったら岩が非常に滑りやすくなり,急な岩壁登攀が連続する剱岳登山は危険度を増すからである。
2. 岩と雪の殿堂として知られる剱岳に登るには,岩場と雪渓を登るしかない。
今回選んだルートは,剱岳へのポピュラーな一般ルートとして知られる「別山尾根ルート」であるが,気の抜けない岩壁の登攀と下降が連続する登路である。
3. 一日目 (山形→新潟黒崎サービスエリア)
1) 法律事務所の仕事を午後3時に終了して早引きして家に帰り,用意していたリュックと登山靴,バーナーやコッヘルを入れたトートバッグ,そして,銀色のスポンジマットを持参して自宅近くのコンビニエンスストアの駐車場に歩いて行った。
午後6時過ぎに,走行距離が40万キロを超えたI氏のエスティマでI氏とT氏がコンビニの駐車場に迎えにきてくれた。
今回の登山は3名パーティーである。
2) 国道113号線を新潟方面に向い一向(ひたすら)西進した。
赤湯から長井,飯豊町,小国町を通り,新潟県の関川村に出て,平成21年7月18日に新しく開通したばかりの荒川胎内インターチェンジから日本海東北道路に入った。
午後9時頃関越自動車道の新潟市の黒崎サービスエリアに停車して,サービスエリアの駐車場に近い草地にI氏が持参したテントを張った。
3) その草地に備え付けてある木製のテーブルと椅子があり,そのテーブルにバーナーをセットして,I氏が持参したフライパンで味付けされた焼き肉用の肉を焼き,その焼き肉を食べながら,I氏が持参した缶ビールと私が持参したイタリアのオーガニックワインを飲み,更に,北海道四つ葉のカマンベールチーズや宮内ハムのサラミをつまみにして歓談した。
最後にバーナーでお湯を沸かして,ドリップコーヒーを楽しんだ。
4) なお,テーブルの下の足元に,アウトドア用の携帯器具に蚊取り線香を焚(た)いて虫がこないようにした。お陰で蚊や虫に刺されなかった。
久方ぶりのテント泊で大変楽しかった。
サービスエリアの駐車場には沢山の大型トラックが夜中中駐車していて,その中で運転手が仮眠をしていた。エンジンがつけっぱなしなのでエンジン音が夜通しうるさかった。
4.二日目 (新潟黒崎サービスエリア→立山駅→室堂→別山乗越→剣山荘)
1) 朝4時に起床して,黒崎サービスエリアのトイレで顔を洗い,テントを撤収して朝五時に車で出発した。
関越自動車道から北陸自動車道に入り,親不知(おやしらず)トンネルを越えて富山県に入り,立山インターチェンジを降りて,富山地方鉄道立山線立山駅近くの無料駐車場に着いたのが午前9時頃である。無料駐車場はほぼ満車状態だった。ようやく空きを見つけて駐車した。
この時は太陽がまぶしく照っていて,すごく暑かった。汗をかきながら登山の身支度をした。
いよいよこれから剱岳に登るのだと思うと少し興奮してきた。
駐車した車の後ろの歩道で,サンダルからマインドル製の登山靴(昨年甑岳で登山靴のソールが剥がれてしまい,急遽購入したマインドル製の軽量でハイカットの本格的登山靴)に履き替え(ちなみに,I氏は私と同じマインドル製の登山靴,T氏はイタリアの有名なザンバラン製の登山靴だった。),トレッキングスパッツを履いたうえにトレッキングパンツを履き,Tシャツの上に登山用の長袖シャツを着て,帽子をかぶり,オーガニックの赤ワイン1本や沢山のパンなどが入ったカリマー製の45+10リットルのリュックを背負い,ピッケルを持ってケーブルカーの立山駅に向かった。
2) このケーブルカーは,二本の線路の上を走行するが,動力は,ケーブルカーの上駅(美女平駅)で鋼鉄製のワイヤーで車両を引っ張り揚げる形式のものである。
非常に傾斜がきつくて最大斜度が29度もあり,その斜度に合せてケーブルカー自体が傾斜しており,ケーブルカー内部が階段状になっている特殊なものである。
ケーブルカーの乗り場もそのケーブルカーの傾斜に合わせて急勾配の階段になっている。ケーブルカーの乗り口は3つくらいある。
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ケーブルカーの上駅(美女平駅)までの所要時間は7分間である。
ケーブルカーが山の急斜面をはい上がっていくのをケーブルカー内部から見ていたが,ケーブルカーの軌道がある山の傾斜が非常にきついので迫力があった。
高所恐怖症の人はこれを見ただけでも大変だろうと思った。
3) ケーブルカーの上駅である美女平駅に着き,ケーブルカーを下車して,今度は登山(高原)バスに乗り換えた。
ケーブルカーの美女平駅から室堂ターミナルまでバスで約50分かかる。
途中有名な二つの滝と杉の巨木を見ることができる。
なお,ケーブルカーと登山(高原)バスの往復券で一人4190円だった。
また,リュックの重さが10キログラムを超えた場合は,追加料金をとられる。
ちなみに私のリュックの重さは15キログラムくらいであったろうか。
重さ10キログラムを超えるリュックはやはり大きい。45リットルの私のリュックだと大きい方になってしまう。
4) 室堂ターミナルには午前11時20分頃バスで到着した。
ターミナルビルから出て,室堂の遊歩道のところにある木製のテーブルに腰掛けて,昼食に山形からI氏が持参したカップ入りの炊き込みご飯を食べて,午前11時50分に今日の宿泊場所の剣山荘に向けて出発した。
室堂遊歩道から剱岳方面
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炊き込みご飯が冷えて固まっていたので,のどにつかえたが無理してのどに押し込んだ。これから3時間半の剣山荘までの登りの行程で飯を沢山食べて体力をつけなければならないと思ったからである。
ちなみに今回の剱岳登山で沢山食べ過ぎてしまい,剱岳から下山して体重を計ったら2キログラムも増えてしまっていた。あまりに食べ過ぎた。
ミクリガ池を通り過ぎ,石段の遊歩道を下りて,ロッジ立山連峰と雷鳥沢ヒュッテの間を下りて雷鳥沢キャンプ場に至り,浄土川を渡り,沢を左に折れて,雷鳥坂の取付から登りとなった。
雷鳥坂の取付から別山乗越まで標高差約350ないし500メートルの登りである。
中間あたりに通称「大曲」というトラバースがある。
室堂から別山乗越途中の大曲-
そこから,室堂平や地獄谷が見える。
5) 剱御前小舎がある別山乗越には,午後2時40分頃着いた。
別山乗越には剱御前小舎近くに有料のトイレがある。
6) 別山乗越で約20分の休憩をして,午後3時に剣山荘に向けて出発した。
私たちは別山乗越から直接剣山荘へ下るルートを取った。(ちなみに,他のルートは剱沢小屋を経由するルートである。)
このルートは,剱御前(標高2776メートル)山の東側斜面を巻くようにたどるルートで高山植物が豊富だが,急峻な幅の広い雪渓が数箇所あった。
別山乗越から剣山荘まで行く途中の
急傾斜の雪渓
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幸いにも横断する箇所の雪渓を除雪して人が歩く幅だけ平らにしてくれていたので,アイゼンは装着しなかったが,万が一雪渓で滑ったら,はるか下の谷底まで滑落して少なくとも重傷を負うであろう危険な雪渓だった。
私は,滑らないようにピッケルを雪渓に刺しながら雪渓を通過した。
7) 午後4時に剣山荘に到着した。
剣山荘到着
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午後5時までシャワーが使えるとのことだったので,到着して直ぐに急いでシャワーを浴びて身体の汗を洗い流した。
こんな2000メートルを超える標高にある山小屋でシャワー設備があるのは珍しいしありがたい。
この山小屋で剣山荘のロゴのある剱岳2999メートルの文字と剱岳のイラストが描かれたTシャツを購入した。
このTシャツは普通の綿のTシャツではない。登山をやる人が必ず着るダクロンQDの吸汗速乾の素材を使った優れもののTシャツである。値段もよかったが良い記念になった。
午後5時から夕食で,I氏が背負ってきた缶ビールと私が背負ってきたオーガニックの赤ワインを開けて乾杯した。T氏の持参したつまみや,私が持参した宮内ハムのサラミ,オーヌマデパートの地下で買ったモッツアレーラチーズなどが酒のつまみになった。
剣山荘の眼の前に剱岳がある(但し,剣山荘から直接剱岳は見えない。)。3人とも明日の剱岳登山に気持ちが高ぶり大いに盛り上がった。
午後7時に寝た。
比較的空いていたので,贅沢に二段ベッドの2階で一つ置きの布団に横たわって寝た。
清潔な寝具だったのでシュラフカバーは使用しないでそのまま寝た。
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5.三日目 (剣山荘→剱岳→剣山荘→剣沢小屋→別山乗越→ロッジ立山連峰)
1) 朝4時頃起床した。
既に同室者の大半は起きていて登山の身支度を整えていた。
私は,昨日到着後にカリマー製のリュックからセカンドリュックのバウデ製の16リットルのリュックを取り出し,剱岳登山に最低必要な装備を移し替えていた。
カリマー製のリュックは剣山荘に預かってもらった。
外は真っ暗だった。
その暗闇の中を,剱沢小屋や剱御前小舎からたくさんの人達がヘッドランプの明かりを頼りに剣山荘に向かってくるのが見えた。
剣山荘から剱岳に登る登山ルートがあるのである。
私たちは,明るくなるのを待って登り始めることにして,暗いうちから山荘の外のテーブルの上でバーナーを焚きお湯を沸かして朝食をとった。
私はパンを食べた。
2) 剣山荘から午前4時50分に剱岳登山に出発した。
私は,16リットルのバウデ製のリュックを背負い,ハーネス(安全ベルト)を装着し,補助ロープやカラビナそしてスリングを持参した。
まず一服剱(いっぷくつるぎ・標高2618メートル)まで一気に登った。
剣山荘から一服剱
までの間の高山植物
一服剱から剱山荘を見下ろした
一服剱頂上
一服剱付近の岩峰
一服剱付近の岩峰-
まさに一服するにちょうどよいピークである。
剣山荘からここまでいきなり急登攀なので非常に疲れた。
3) 一服剱から武蔵のコルの凹部まで一旦下り,武蔵のコルから前剱まで急登攀となった。
前剱ピークの手前に大きな岩(前剱大岩)があり,大岩の左側にある登攀用のチェーンを掴みながら岩の溝を抜け,岩場を登り岩稜をたどると前剱(標高2813メートル)に着いた。
前剱大岩
前剱大岩-
4) 前剱から平蔵のコルまでは,岩場をチェーンでヘツリ,更に下降してから尾根道を行き,岩場で更にチェーンに掴まりながら進んだ。
前剱付近
平蔵のコル付近の岩場
平蔵の頭(ズコ)
平蔵の頭(ズコ-
5) 平蔵のコルから有名な「カニのタテバイ」となる。
「カニのタテバイ」は,垂直に近い急勾配の岩壁を50メートル近く登らなければならない。
頑丈なボルトで太いチェーンが固定されており,チェーンやボルトに掴まりながらよじ登っていくことになる。
私たちが「カニのタテバイ」に到着したのが午前7時30分頃だった。
そこは大渋滞で10人以上の登山者が「カニのタテバイ」の取付で順番待ちをしていた。
「カニのタテバイ」の岩壁には常時5人位の人が取り付いていた。
カニのタテバイ
カニのタテバイ
カニのタテバイ
カニのタテバイ-
10分以上待っていたが,いよいよ順番が来たので,私は,ロッククライミングの基本である3点確保を心掛けながら,チェーンを頼りに一気に登り詰めた。
意外と簡単に50メートルの絶壁を登ることが出来た。
「カニのタテバイ」を登り切り,「ヤッタ」という達成感が全身に広がった。
カラビナとスリングでのビレイ(確保)は,「カニのタテバイ」ではしなかった。
剱岳登山ツアーの団体で来た登山客は,カラビナとスリングでチェーンにビレイ(確保)しながら登っていた。
ちなみに,ロッククライマーのI氏は,チェーンを掴まないで自分で登攀ルートを見つけながら岩に手や足をかけてロッククライミングで「カニのタテバイ」を登った。
6) 「カニのタテバイ」を登り切ると,傾斜の落ちたガレ場の登りとなり,早月尾根との分岐を過ぎてしばらく行って剱岳頂上(標高2999メートル)に着いた。
剱岳頂上(2999メートル)
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午前8時10分頃だった。
剱岳山頂からは,後立山連峰,立山連峰,槍・穂高,薬師岳,北方稜線などの大パノラマが堪能できるはずだが,曇り空でおまけにあいにく濃厚にガスってしまい,周りの景色は全く見えなかった。
しかし,大雨の予報だったのが雨も降らずに曇りで保ってくれた天に深く感謝した。
剱岳山頂の祠の前で記念撮影をした。
天気が崩れて雨が降りそうだったので午前8時40分には下山を始めた。
元来たルートを下るのだが,下りは登りのルートと違うルートを辿る箇所がある。
下りでは「カニのタテバイ」は通らない。
下りルートは「カニのヨコバイ」を通る。
7) 下降路の最初の「カニのヨコバイ」には焦った。
ここは,「カニのタテバイ」では経験しなかった戦慄が走った。
下は断崖絶壁である。
カニのヨコバイ-
オーバーハングした(90度以上に傾斜した)岩壁にチェーンが横方向にかけてあるが,最初に足を置く足場が見えないのである。
ここは,足場のない岩壁に足をつけてチェーンに掴まりながら思いきって身体を岩から離さないと最初の足場になる岩の窪みが見えないのである。
恐くて身体を岩から離せないのである。思い切り「エイヤ」とかけ声をかけてチェーンにぶら下がった。これをやるには本当に度胸がいる。
最初の足場が見つかり,そこに足をのせれば次の足場が見つかるのでそれに足を移動しながら,チェーンに掴まってオーバーハングした岩壁(「カニのヨコバイ」)を通過した。
ここでは,ハーネスにカラビナでスリングを接続して,スリングの他の一方の端にもカラビナをつけて,そのカラビナをチェーンにかけてセルフビレイ(自己の安全確保)しながら渡った。
8) 「カニのヨコバイ」の鎖場を過ぎると,直ぐに長い梯子(はしご)を垂直に下りる箇所がある。
カニのヨコバイの次の長いハシゴ
カニのヨコバイの次の長いハシゴ-
梯子に乗り移る時にバランスを崩しやすいので注意しながら,梯子に乗り真っすぐ下りた。
高山植物-
さらに,チェーンのあるルンゼを下ると平蔵のコルになる。
チェーンがある急な岩峰を,ロッククライマーのI氏の指導を受けながら,チェーンを掴まないで岩だけを掴んで登り返した。
9) 下りのルートは前剱の頂上は通らず,前剱の頂上直下を巻いて通過したが,そのトラバースするルートの足下は断崖絶壁でスパッと切れていて遥か下に沢が見える高度感たっぷりのルートだった。
前剱
前剱トラバース,足下は断崖
前剱付近の岩場
前剱付近の岩場
高山植物
高山植物
高山植物-
滑落しないよう注意しながら通過した。
10) 下りの途中雨が降ってきたので雨具を出して雨具の上着だけ着て,一服剱を越えて剣山荘に帰ったのが,午前11時30分だった。
剣山荘で預かってもらっていたカリマー製のリュックを受け取り,バウデ製のリュックから荷物を詰め替えて,バウデ製のリュックを解体してカリマー製のリュックにしまい,出発の用意をしながらバーナーでお湯を沸かして昼食をとった。
私は,パンを食べた。
11) 午後0時20分に剣山荘を出発して,室堂にある地獄谷のロッジ立山連峰に向かった。
帰りは,剱沢小屋を経由して別山乗越にむかった。
剱沢小屋から前剱は見えたが,剱岳はガスがかかって見えなかった。
前剱
前剱トラバース,足下は断崖
剣岳方面
剣岳方面
剣岳方面-
別山乗越まで雪渓と岩場を登っていったが,剱沢小屋から先は雨が降ってきて,また雨具の上だけ着て黙々と登った。
12) 剱御前小舎のある別山乗越に着いたのが午後2時頃である。
そこから一気に下って沢に至り,浄土川の板橋を渡って雷鳥沢キャンプ場を通り,ロッジ立山連峰に着いたのが午後3時30分頃だった。
高山植物-
13) ロッジ立山連峰には大浴場(温泉ではない。)があり,早速大浴場に入って汗を流しながら剱岳に登頂して無事に室堂に帰り着いた喜びをかみしめた。
やはり剱岳は一般登山ルートでは最難関である。
「カニのタテバイ」も迫力があるが,「カニのヨコバイ」は最初の1歩が恐怖であり,暑さをふきとばしてくれるほどゾッとする。
風呂の後早速2階の部屋の前の階段前において3人で車座になり,I氏が運んでくれた最後の缶ビールを飲んで剱岳登頂と無事の下山を祝って乾杯した。
その後ロッジの食堂で生ビール(1杯600円)を注文して,下界の贅沢を楽しんだ。
更に夕食時に赤ワインハーフサイズ(1000円)を2本注文して飲んだ。
T氏は珍しく酒がはかどらなかった。
夕食のときに隣りの席には,I氏が平蔵のコル付近で道を教えた,モンゴルの女性とベルギーの男性の若いカップルがいて,ロッククライミングの話しで盛り上がった。
この日は午後8時には2段ベッドの下のベッドで寝た。
室堂は結構寒かった。
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6.四日目
1) 朝午前5時過ぎに目を覚まし,大浴場で朝風呂に入った。
朝6時過ぎにロッジの土間にあるテーブルでバーナーを焚いてお湯を沸かした。
T氏が持参してくれた即席の卵スープが美味しかった。
私はまたパンを食べた。
2) 午前7時にロッジ立山連峰を出発して,地獄谷を見物しながら,約30分でミクリガ池に着いた。地獄谷はあちこちから硫化水素ガスが沢山噴出していて,噴出口の周りが硫黄で黄色になっていた。
地獄谷
地獄谷
地獄谷
ミクリガ池
ミクリガ池付近の雷鳥
剣岳方面-
ミクリガ池近くで雷鳥を見つけた。
ミクリガ池付近は特に雷鳥が多いとのことで,近くを探すとほとんどの場合雷鳥を見つけることが出来るようです。
3) 午前8時に室堂ターミナルに到着した。
室堂ターミナル広場-
午前8時40分室堂ターミナル発美女平駅行きのバスに乗り,約40分で美女平駅に着いた。
午前9時30分美女平駅発のケーブルカーで立山駅に向かって急勾配の軌道を下りた。
午前9時37分に立山駅に着き,早速駐車場に行き,重いリュックを車の中に入れ,マインドルの登山靴を脱いでサンダルに履き替えた。
4) 午前10時に駐車場から出発して,立山町芦峅寺(あしくらじ)にある,富山県立山博物館で,柴崎芳太郎らが剱岳頂上で発見した錆び付いた宝剣と錫杖を見た。
博物館には立山曼陀羅の絵も展示してあった。
5) 博物館から真っすぐ北陸自動車道立山インターチェンジに入り,そこからひたすら新潟方面に向かった。
途中のサービスエリアで黒部スイカを見つけた。
黒部スイカ
ケーブルカー
第四 番外編(燕市の豚の背脂中華そば)
1. 北陸自動車道を通り,新潟県の長岡ジャンクションから関越自動車道路に入り,午後1時50分頃燕三条インターチェンジで下りて,燕市の郊外にある非常に有名な杭州飯店に午後2時過ぎに入った。
午後2時を過ぎても客が店に入り切れなくて外で待っていた。
2. 私たちはI氏の薦める牛か豚の背脂がたっぷり入った中華そば(750円)を頼んだ。その中華そばたるや,写真のように山盛りの中華そば(うどんのような極太の麺である。)で,溢れたスープが丼の下の受け皿にこぼれて運ばれてくる。大盛りになると中華そばが丼の上で山になっていて,スープは受け皿に沢山こぼれている。
この中華そばの食感は,ほとんど「うどん」である。
「背脂中華うどん」というのが正確な表現のような気がした。この中華は「うどん」なりに美味しい。
背脂が溶けているスープも美味かった。麺だけでなくスープも完食した。
満腹だった。
大盛りを頼んだら完食するのが大変だったろうと思った。
非常に珍しい食感の中華そばであった。
ついでに頼んだギョウザ(400円)もジャンボで迫力があって美味しかった。
杭州飯店メニュー
ギョウザ
(豚背脂)中華ソバ
杭州飯店-
背脂中華そばとギョウザを堪能して,午後2時30分に杭州飯店を出発して山形に向かったのであった。
以上
参考文献
山と渓谷 2009年No.890 6月号 山と渓谷社
剱岳〈点の記〉 新田次郎 著 文春文庫
剱・立山連峰 星野秀樹著 山と渓谷社
剱・立山 山と高原地図 昭文社
白馬岳・立山・剱岳 高橋敬市著 実業之日本社
ハイグレード登山技術 菊地敏之著 東京新聞出版局
全図解レスキューテクニック(初級編)堤信夫著 山と渓谷社