スペイン・グラナダのアルハンブラ宮殿とメスキータ(回教寺院)
2013(平成25)年12月27日改訂
昨年スペインに旅行して,「世界史」で習ったスペインのレコンキスタ(キリスト教徒のイスラム教徒からの領土回復運動)を理解できた。
スペインがあるイベリア半島は,中世期アフリカ大陸から侵入してきたイスラム教徒に支配されていた。
ジブラルタル海峡は,ヨーロッパ南西端とアフリカ北西端間の海峡で地中海の西の出入り口である。
海峡の幅は13キロメートルないし37キロメートルで,フェリーで約1時間で横断できる。
スペインの南西の港町アルへシラスからアフリカ大陸のモロッコあたりが,モロッコのタンジェからはイベリア半島が地中海を挟んですぐ向こうに見えている。
だから,アフリカ大陸のモロッコ付近からイスラム教徒が船で簡単にイベリア半島に侵入してスペインそしてポルトガルを植民地化したのであろう。
イスラム教徒は当時の最先端の科学や建築・土木の知識及び技術を有していた。
そのイスラム教徒のイベリア半島支配を覆す運動がレコンキスタで,西暦720年頃から1492年グラナダ奪回までの約800年間に及ぶ独立運動だったのである。
1492年に奪回されたグラナダには有名なアルハンブラ宮殿があるが,それは当時スペインを支配していたイスラム王国の宮殿で,13世紀に創建され,14世紀末に完成した建築物で建築及び装飾ともにイスラム芸術の頂点を示すものと評価されている。
実際アルハンブラ宮殿内部を観るとイスラム独特の精緻な幾何学文様の内部装飾がいたるところに施されている。
また,コルドバのメスキータ(回教寺院)は,イスラム教の大寺院であったが,それを利用して,回教寺院の中にカトリック経(キリスト経)の大教会が建築されている。
すなわち,レコンキスタによってスペインが独立を果たし,それまで支配していたイスラム教徒の使用していたイスラム教の大寺院をそのまま利用してカトリック経の大教会を建築したのである。
レコンキスタの後,今度はスペインがコロンブスのアメリカ大陸発見等により世界各地を植民地化して,イスラム圏のアフリカ大陸のモロッコもスペインの植民地にした。
その名残がモロッコ国内にあるセウタという港町がスペインの領土であることに窺える。
スペインが世界各地を植民地化した後に台頭したのがイギリスである。
ドレークらの率いるイギリス艦隊が1588年にスペインの無敵艦隊との戦いで勝利すると今度はイギリスが世界を植民地化した。
そして,ジブラルタル海峡のあるスペインのジブラルタル(イベリア半島南端のところにある岩山の要塞で戦略上の拠点として重要。イギリスの海軍基地がある。スペインの港町アルヘシラスのすぐ近くにある。)をイギリスが植民地にして現在もその領有を宣言している。