回文的逆行可能なカノン
モーツアルトの回文的逆行可能なカノン 下の楽譜は、モーツアルトが作ったとされる、「回文的逆行可能なカノン」と呼ばれるもので す。(実際は、モーツアルトの作ではないというのが定説になっているようです) (「フラクタル音楽」マーチンガードナー著/丸善)より掲載させていただきました。 これは2人のバイオリンのための曲で、2人がこの楽譜を上下に挟んで同時に弾いていきます。 この楽譜をひっくりかえしてみるとわかりますが1オクターブ間隔の同じ旋律になっています。 ですから、楽師が同時に弾くと、オクターブ平行移動した同じメロディーが奏でられます。 ところで、この曲を楽譜を上下逆にせずに、楽譜を後ろから逆読みにして演奏すればどうなる でしょう。違うメロディーが得られますね。つまり、この曲は上下逆にして回文的であるとともに、 逆読みしたときに別の曲になっているという2つの面白さがあるのです(ひっくり返せば同じ曲、 逆さに読めば違う曲)。 では、この曲を3通りのパターンで聴いてみましょう。 1 普通に演奏 ←ここをクリック 2 逆向きに演奏←ここをクリック 3 1と2を同時に演奏←ここをクリック 1,2はピアノで、3は表をピアノ、裏をビブラフォンで演じてみました。3を聴いてわかるとお り、この曲は逆行するメロディーと同時に弾いてみて、初めて面白さがわかる曲なのですね。 音楽の作品としては、評価は低いようですが、ともかく、パズル的で数学的だなあと私は感心し てしまうのです。なお、この話は、東京の足立先生や愛知の勝野先生が数学の授業の中 で実践されています。 蟹のカノン 〜バッハの「音楽の捧げもの」より〜 名著「ゲーデルエッシャーバッハ/ダグラス・R・ホフスタッター著」(白揚社)の中に、バッハの 「2声の逆行カノン」(楽譜参照・楽譜はゲーデルエッシャーバッハより掲載させていただきました)の話がでて きます。 これは、2声の一方の音符を逆向きに読んだものが、ちょうど他方の旋律と同じにものなって います。つまり、さきほどのモーツアルト(としておきます)のものは上下ひっくりかえして回文に なりましたが、今度はこの楽譜を裏から透かして見たものが同じ譜面になっているのです。ト音 記号と、曲のタイトル CRAB CANONも鏡像になっていることに注意してください。曲も前のも のに比べ格調が高いです。しかも、この曲は、フリードリッヒ大王が主題として与えた8小節を元 にただちにまとめあげたものというから、あらためてバッハの凄さを感じます。 蟹のカノン←ここをクリック M・Cエッシャー『蟹のカノン』(ゲーデルエッシャーバッハより) 「ゲーデルエッシャーバッハ」の、この蟹のカノンが紹介されている章では、この楽譜とともに、 「アキレスと亀の会話」と「DNAの2重螺旋構造」と「エッシャーの『蟹のカノン』の絵」の話が語ら れていて、そしてそのまとめとして間接的自己言及について、そしてゲーデルの字形的数論へと 話題が進んでいきます(難しい難しい)。 この中で「アキレスと亀の会話」が凄い!ので以下にその部分を紹介したいと思います。 「ゲーデルエッシャーバッハ」より抜粋 亀 :いい日だな、アキ公。 アキレス:まったくだ。 亀 :いいところであったよ。 アキレス:ぼくもそう思ったところさ。 亀 :それに申し分ない散歩日和だし。このままぶらぶら家まで歩いて帰ろうと思ってね。 アキレス:ほんとかい?歩くのが何よりいいらしいな。 亀 :ところできみは近頃ずいぶん溌剌としてるじゃないか、ほんとに。 アキレス:嬉しいことをいってくれるね。 亀 :そうかね。どうだい、葉巻を一本やらないか? アキレス:君も俗物だなあ。この地域では、オランダびいきはそうとうに趣味が劣るんだぜ、そう 思わないかい? 亀 :同調しかねるな、この場合は。しかし趣味といえば、君の大のお気に入りの画家、M・ Cエッシャーの『蟹のカノン』、このあいだとある画廊でやっと見たよ。たった一個のテ ーマ、それ自体が後ろにも前にも進む網の目を、あれほど美しく巧妙に仕上げたのに はまったく感心するね。しかしぼくとしてはバッハのほうがエッシャーより上だという気 がいつもするんだ。 アキレス:どうかなあ。しかしひとつ確かなのは、ぼくの趣味の議論に頭を悩ませたりしないとい うことだ。De gustibus non est disputandum. [趣味を論ずること能わざるなり。] 亀 :どんなふうなんだい、きみの年頃というのは?ぜんぜん悩みごとがないというのは本 当かい? アキレス:正確に言えば、杞憂(きゆう)がないね。 亀 :同じものだと思うがね。 アキレス:それも庭訓(ていきん)ならの話だが、たいへんな違いさ。 亀 :おい、きみはギターを弾くんじゃなかったかい? アキレス:ありゃぼくの友達だよ。あいつはしょっちゅう愚かな真似をするからな。しかしこっちは ご免だ、要らんギターにさわるなんてのは! (突然蟹がどこからかともなく現れ、片方のやや飛び出した黒い目を指さして、興奮しながらやってくる) 蟹 :やあ、やあ!どうしているね?元気かい?見えるだろう、このこぶ、この腫れあがり? 怒りん坊にちょうだいしたんだ。ふん!こんないい日だってのに。ぶらぶら公園を歩い ててさ、イラン生まれのばかでかい男によじのぼったんだ−大熊みたいなやつでね−リ ュートを奏でてるじゃないか。身の丈3メートルの大男よ、いやまったく。こいつのところ にすたこら行って、大空めがけてよじのぼり、やっと膝小僧を叩いて言ってみた。「失礼 ながら、だんな、そのリュートの曲はマズルカでしたっけ、マズイナでしたっけ?」 とこ ろが、ああ!やつはユーモアのセンスがないときた−これっぽっちもありゃしない−そし てガツン!−やつはおれさまをふり払い、目に一撃くらわせやがるじゃないか!おれさ まの性格がそうなら何蟹かまわずカニャローッと怒るところだが、そこはわが種族の由 緒ある伝統、おれは後退りした。要するにわれわれは前進するとき後退する。それが われわれの遺伝子さね、ぐるぐるぐるぐるまわるわけだ。それで思い出した−いつも考 えているんだがね、「どっちが先にきたのか−蟹か、遺伝子か?」つまり「どっちがあと からきたのか−遺伝子か蟹か?」おれはいつも、ものごとをぐるぐるまわしてみるんだ よ。それがわれわれの遺伝子だな、要するに。われわれは、後退するとき前進する。お っとっとっ!そろそろ行かなくちゃな−なんせこんないい日よりだ。蟹の人生をたたえて 歌ってくれん蟹(かに)!ターター!オーレー(現れたときと同じに突然姿をくらます) 亀 :ありゃぼくの友達だよ。あいつはしょっちゅう愚かな真似をするからな。しかしこっちは ご免だ、イラン・ギターにさわるなんてのは! アキレス:おい、きみはギターを弾くんじゃなかったかい? 亀 :それも提琴(ていきん)ならの話だが、たいへんな違いさ。 アキレス:同じものだと思うがね。 亀 :正確に言えば、弓(きゆう)がないね。 アキレス:どんなふうなんだい、きみの年頃というのは?ぜんぜん悩みごとがないというのは本 当かい? 亀 :どうかなあ。しかしひとつ確かなのは、ぼくの趣味の議論に頭を悩ませたりしないとい うことだ。De gustibus non est disputandum. [趣味を論ずること能わざるなり。] アキレス:同調しかねるな、この場合は。しかし趣味といえば、君の大のお気に入りの作曲家、 J・Sバッハの『蟹のカノン』、このあいだとあるコンサートでやっと聴いたよ。たった一 個のテーマ、それ自体が後ろにも前にも進む網の目を、あれほど美しく巧妙に仕上げ たのにはまったく感心するね。しかしぼくとしてはエッシャーのほうがバッハより上だと いう気がいつもするんだ。 亀 :君も俗物だなあ。この地域では、オランダびいきはそうとうに趣味が劣るんだぜ、そう 思わないかい? アキレス:そうかね。どうだい、葉巻を一本やらないか? 亀 :嬉しいことをいってくれるね。 アキレス:ところできみは近頃ずいぶん溌剌としてるじゃないか、ほんとに。 亀 :ほんとかい?歩くのが何よりいいらしいな。 アキレス:それに申し分ない散歩日和だし。このままぶらぶら家まで歩いて帰ろうと思ってね。 亀 :ぼくもそう思ったところさ。 アキレス:いいところであったよ。 亀 :まったくだ。 アキレス:いい日だな、亀公。 凄いですね。蟹の登場を境に、会話の前半と後半は、亀とアキレス、バッハとエッシャーを入 れ替えた双対的なものになっているのがポイント。著者によると、『アキレスと亀は、彼らが知っ ている芸術作品の説明をしているが、全く偶然に、それらの作品の構造は彼らが交わしている 対話と全く同じ構造である。(中略)また、蟹はある生物学的構造の説明をしているが、それも同 じ性質をもっている(以下略)』とのことです。
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