地球以外の惑星の人類

モーセ書1:29-38には地球以外の惑星にも人類が創造されたことが記されている。

また、彼は多くの地を見た。それぞれの地は地球と呼ばれ、その面に住む者がいた。
わたしの力の言葉によって、わたしはこれらのものを創造した。わたしの力と言葉と
は、恵みと真理に満ちている独り子のことである。
無数の世界を、わたしは創造した。また、わたし自身に目的があってこれらを創造し
た。子によって、わたしはこれらを創造した。子とは、わたしの独り子のことである。
また、すべての人の最初の者を、わたしはアダムと名付けた。すなわち、数多(あまた)
である。
しかし、この地球とこの地球に住む者の話しだけをあなたにしよう。見よ、わたしの
力の言葉によって過ぎ去った多くの世界がある。また、現在ある世界も多くあり、そ
れらは人にとって数え切れない。しかし、わたしにはすべてのものが数えられている。
それらはわたしのものであり、わたしはそれらを知っているからである。
もろもろの天は数多く、人には数えることができない。しかし、わたしには数えられ
ている。それらはわたしのものだからである。
一つの地球とその天が過ぎ去ると、まことに別のものが生じる。わたしの業にもわた
しの言葉にも、終わりがないのである。



エンダウメントの儀式では、地球以外の惑星でも、創造の御業が行われていることが
語られている。



教義と聖約88:51-61には、キリストが他の惑星に訪れることが書かれている。

見よ、わたしはこれらの王国を、畑を持っている一人の男にたとえよう。彼はその畑を
耕すために自分の僕たちをその畑に送り出した。
そして、彼は最初の僕に、「あなたは畑に行って働きなさい。第1の時に、わたしはあ
なたのところに行こう。そして、あなたはわたしの喜ぶ顔を見るであろう」と言った。
また、彼は第2の僕に、「あなたも畑に行きなさい。第2の時に、わたしは喜ぶ顔を
もってあなたを訪れよう」と言った。
そしてまた、第3の僕にも、「わたしはあなたを訪れよう」と言った。
また第4の僕にも、というようにして第12の僕に至った。
そして、畑の主人は第1の時に最初の僕のところに行って、その時間いっぱい彼ととも
にいた。そして、彼はその主人の顔の光によって喜びを得た。
その後、彼は最初の僕のもとを去って、第2の僕を訪れた。そして、第3の僕、また
第4の僕、というようにして第12の僕に至った。
このようにして、彼らは皆、その時間に、その時に、その時期に、一人一人彼らの主人
の顔の光を受けた。
すなわち、最初の僕から初めて最後に至るまで、そして最後から最初、また最初から最
後まで、
すべての者がその順序で、彼の時間が終わるまで、その主人が彼に命じたとおりに行っ
た。それにより、その主人が彼によって栄光を受け、また彼もその主人によって栄光を
受けて、彼らが皆栄光を受けるためである。
それゆえ、このたとえに、わたしはこれらすべての王国とそこに住む者をなぞらえよう。
すなわち、神が出した定めのとおりに、あらゆる王国はその時間に、その時に、その時
期に訪れを受けるのである。

それぞれの畑は、それぞれの惑星を表しており、畑の主人はイエス・キリストである。
イエス・キリストはそれぞれの惑星を訪問する。

教義と聖約のインスティテュートのテキストによる説明

教義と聖約88:51-61 このたとえは何を意味しているか。
モーセは示現の中で、救い主がこの地球と同じような世界を数多く創造し、そこにも人々
が住んでいるのを見た。これらの世界に住む人々は皆、神の息子、娘であり、神の目から
見て大切な存在である。救い主は、そのすべてに対して責任があり、時と時期に応じて彼
らのもとを訪れられるのである。オーソン・プラット長老は、次のように説いている。
「主は、自ら教えたいと思われた事柄をわたしたちがよく理解できるように、これらの王
国について説き明かそうとされた。そして、わたしたちの限られた理解力を補うために、
主はたとえを用いられた。『主がある僕のところから別の僕のところへ行くという意味が
分からない』と言う人がいる。これを理解するために、話をこの地球に戻して考えてみよ
う。わたしたちは、いつの日か主がわたしたちのもとを訪れて、およそ千年の間わたした
ちとともにいてくださるのを心待ちにしてはいないだろうか。そのとおりである。そのと
きわたしたちは主の顔の輝きによって喜びを得るであろう。主はわたしたちの中にいて、
わたしたちの王となられる。そして、王の王、主の主として統治されるのである。主はシ
オンに一つの御座を設け、またエルサレムの神殿にもう一つの御座を設けられる。主のそ
ばには、かつて主がエルサレムで教え導かれたときにともに働いた12人の弟子がいるであ
ろう。彼らは主と同じ食卓で飲食をされる。そして、シオン、すなわち心の清い者と呼ば
れるにふさわしい、この地上のすべての人々は、地が休息する千年の間、主の顔を仰いで
喜びを得るのである。その後はどうなるのだろうか。主はこの地球を離れられる。何のた
めにそうされるのだろう。別の目的を果たされるためである。地球のほかにも創造された
世界が数々あって、そこにも地球に住む人々と同じようにすばらしい神の息子たちや娘た
ちがいる。その人たちもまた主の訪れを受けて、主の顔を仰いで喜びを得ることであろう。
このように、主は時と時期に応じて、王国から王国、一つの世界から別の世界へと巡って、
それらから選び出されたシオン、すなわち心の清い人々がみもとで喜びにあずかれるよう
にされるのである。ところで、もう一つ理解しておいていただきたいことがある。このよ
うな時期は永遠には続かないということである。これはさらに偉大な事柄の準備にすぎな
いのである。それは何だろうか。やがて定められた本分を果たし、現世の状態の時を終わ
ると、それぞれの世界とそこに住むふさわしい人々はともに日の栄えの状態となり、栄光
を授けられるのである。それ以後、聖められ栄光を受けた人々と神との間を隔てる幕は永
遠に取り除かれる。そして、もはや主は一つの世界から別の世界に移り行く必要がなくな
る。彼らは皆、主のもとにいるからである。 」



人類が作った最速の宇宙船を使っても、地球に一番近い恒星系(約4.2光年)に行くのに、
約1800年かかる。日の栄えの状態になる前では、他の惑星の人々との交流は無理だろう。
UFOが他の惑星からの訪問者の乗り物だとする説があるが、その人々は日の栄えの状態に
なった人々で、観光や調査に来ているのかもしれない。




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