最近思ったこと3

「日の栄えの考え」とは、
この地上にいる目的は、自分を訓練し、成長し、家族・隣人と愛の関係を築くことであり、
肉体的快楽、財産、権力、名声を求めることではないと理解すること。
前者は次の世に持っていくことができるが、後者は持っていくことができない。


神に頼る人は弱い人だという人は、 単に、神様からの恵みに対して鈍感なだけかもしれない。
ゲッセマネでの苦しみの本当の理由をモルモン書は教えてくれる。 イエスは殺されることを怖がっていたのではない。 全人類の罪や弱さや不完全さを引き受けたことによる苦しみだった。 モーサヤ3:7 「見よ、この御方は数々の試練に耐え、肉体の苦痛や飢え、渇き、疲労に耐えられるが、 それは、人にとっては死ぬ以外に耐えようのないものである。見よ、御自分の民の悪事と 忌まわしい行いのためにこの御方が受けられる苦しみは非常に激しく、あらゆる毛穴から 血が流れ出るほどだからである。」
神様がいるか疑う理由   ・神様や天使の姿は見ることができない。声も聞くことができない。   ・なぜ自然災害や疫病から人を助けてくれないのか。   ・なぜ殉教者を助けてくれないのか。   ・なぜこの世に苦しみや悲しみがあるのか。
教会に来なくなる人   ・「教会に来ることの負担 > 教会に来ることの喜び」 になっている。   ・教会よりも他に喜びを見つけている。   ・教会員との人間関係が悪くなった。   ・教会の教義を信じられなくなった。   ・どうしても戒めを守れない。 教会に来ることの喜びを得るには   ・神様からの愛を経験する。   ・戒めを守ることによる祝福を実感する。   ・神様から導きがあったことを感じる。   ・神様とつながることによって得られる力を実感する。
イニシアトリで祝福の提示があり、エンダウメントで聖約に同意する。
当教会は永遠の家族、死者の救いを説いている唯一のキリスト教会。
自由には責任を伴う、責任により成長する。
地獄とは、罰を与える場所というより、神の恵みが及ばない場所。 「親に会いたくないのに、金だけを無心する状態 -> 親から完全に絶縁される状態」 と似ている。
世の中には、いろんな宗教や宗派があるが、 祈ったとき、それを聞いてくださっているのは御一方のみ
多神教と一神教は、実質は同じ。 神の影響はいたる所に現れる。 現れた影響のそれぞれを別々の神によるものとするのが、多神教。 同じ神によるものとするのが、一神教。
ネルソン大管長の言う「今後、霊的に生き残れない」とは 黙示録の666と呼ばれる反キリストによる迫害による。 ・666の刻印のない者は売り買いできない。 ・買い物、電気、水道、ガス、病院、救急、消防、警察が使えない。 ・反キリストに従い、キリストへの信仰を捨てることが条件でしか、  これらのものが得られないので、多くのものが信仰を捨てる。 ・反キリストも奇跡を行なえるので、奇跡を行なえるから信じるという  ことでは、神から遠ざかることになる。 預言者に従ったのに、病気、災害、戦争などの苦難を避けられない。 初期の教会では、それが原因で教会を去ったものが多かった。 迫害を逃れ、安全な地に預言者が導いてくれるものと思ったが、 そして、土地や財産を残して、導かれた地に移ったが、 そこでも迫害が続いた。 オハイオ、ミズーリ、イリノイと転々とした。 その中で家族が死んだりもした。耐えきれなくて信仰を捨てた。 カートランド安全協会の事件。 教会が設立した銀行だったが、土地バブルの崩壊に巻き込まれて破綻した。 銀行にお金を預けていた人々は、ジョセフ・スミスの預言者としての 資質に疑問を持ち、教会を離れた。 主の再臨前の患難の時代にも、そのような人々が出てくる。 ・間違った世論を作り出す著名人 ・間違った方向に導く政治指導者 ・違いのある人々を差別、迫害、排除しようとする風潮 ・社会への不満で暴動を起こすことを正当化する考え ・性的不道徳を増長しようとする流れ ・物質的欲望、富への執着、弱者を助けない社会
地球が火で清められる間、空中に引き上げられる義人。 義人の判断は666の刻印がないもの。 666の経済圏とシオンの経済圏がある。 教会員でなくても義人はシオンの経済圏に参加できる。 教会員の目標はシオンの経済圏を作ること。 どのように作るかは今後、預言者から指示がある。 その準備として今の預言者が強調しているのは、 個人が神様から直接啓示を受けることができるようになること、 神殿への参入の頻度を増やすこと。
鉄の棒は悪魔と戦う武器になる。 神の言葉(聖文など)は悪魔の誘惑を受けたときに戦う武器になる。 荒野でイエス様が悪魔の誘惑を受けたとき、聖文を使って戦った。
「あたりまえ」と「ありがたい」 「あたりまえ」と思う人は、奇跡を「偶然」と考える。 「ありがたい」と思う人は、奇跡を「神の介在」と考える。 「あたりまえ」と思う人は、進化論や唯物論を信じる。 「ありがたい」と思う人は、神をを信じる。 「あたりまえ」と思う人は、不満を言う。 「ありがたい」と思う人は、感謝する。 私は古本屋で見つけたモルモン書を買いに行く途中で、 宣教師にであった。これは1万分の1の確率。 偶然と考えるか、神の介在と考えるか。 教会員の家庭に生まれる。これは1万分の1の確率。 あたりまえと考えるか、ありがたいと考えるか。 つらいとき、問題があるとき、 神の愛や力を感じ、幸せな気持ちを感じる。 むしろ、なんの問題のないときは感じない。
フリーハンドで正確な直線と円を描くのは難しい。 定規とコンパスを使えば描くことができる。 人は自分の力で完全になるのは難しい。 キリストの力で完全になることができる。
ゴミを拾うのは 他人が散らかしたゴミを拾うのは、 私の犯した罪を引き受けて、 苦しんでくださったイエス様を 忘れないため
アルマ書によるバプテスマの聖約と聖餐式の祝福文の対比 アルマ書        聖餐式 聖約 ・神の羊の群れに入る  キリストの御名を受ける ・神の民と呼ばれたい    〃 ・重荷を負い合う      〃 ・神の証人となる    キリストをいつも覚えている ・主の戒めを守る    キリストの戒めを守る 祝福 ・重荷が軽くなる ・神に贖われる ・第一の復活にあずかる ・永遠の命を得る ・御霊が注がれる    キリストの御霊がある
一般のキリスト教の人々がアダムとエバの堕落について次のように言うのが気になる。 「禁断の実を食べたことで、自分勝手に善悪の基準を決めるようになった。」 私の解釈では、「幼児の状態から脱却し、善悪の判断ができるようになった。」 幼児は自分のしたことの善悪が分からない、だから刑事罰も受けない。
好きな話 ・病者の祈り(詩) ・足跡(詩) ・大きな石(寓話) ・サマリアの女(福音書) ・姦淫した女(福音書) ・癒された盲人(福音書) ・良いサマリア人(福音書)

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