「わたしは悔改めのために、水でおまえたちにバプテスマを授けている。しかし、わたし
のあとから来る人はわたしよりも力のあるかたで、わたしはそのくつをぬがせてあげる値
うちもない。このかたは、聖霊と火とによっておまえたちにバプテスマをお授けになるで
あろう。」(マタイ3:11)
「聖霊と火のバプテスマ」という言葉があるが、これは、「聖霊の賜物」のことである。
「聖霊」は分かるが、「火」とはなんだろうか。
「水のバプテスマ」の場合は、文字通り、水に全身を沈めるが、「火のバプテスマ」の場
合は、全身が火で焼かれるわけではない。
「きよめ」には「清め(cleansing)」と「聖め(sanctifying)」という二つの言葉がある。
「水のバプテスマ」は清め、「火のバプテスマ」は聖める。
水による清めは、表面に付いた汚れを水で洗い流し、元の状態に戻す。罪の赦しを表す。
火による聖めは、金属の精錬のように、一旦溶かして、不純物を取り除き、作り直すこと、
つまり、新しく別のものを生み出す。キリストのようになる過程を表す。
「だれでも、水と霊とから生れなければ、神の国にはいることはできない。」(ヨハネ3:5)
これは、水に沈めるバプテスマと聖霊の賜物について言っている。
また、これは、人の誕生についての比喩にもなっている。人は生まれる前には、母胎の羊
水に包まれ、そこに人の霊が入ることによってこの世に生まれてくる。
また、これは、地球の誕生にもたとえられる。「地は形なく、むなしく、やみが淵のおも
てにあり、神の霊が水のおもてをおおっていた。」(創世記1:2)地球が誕生する前に、水と
神の霊(聖霊)が地球をおおっていた。
人が新たに生まれるために、水と火のバプテスマを受けるように、地球も新たに生まれる
ために、水と火のバプテスマを受ける。水のバプテスマに相当するのがノアの洪水であり、
火のバプテスマに相当するのが、キリストの再臨時に行われる全地の焼き払いである。義
人は焼き払いの間、上空に挙げられ、この災害から逃れる。
旧約聖書時代、動物の犠牲を焼き尽くす儀式は、聖霊が火で聖めることを象徴している。
一般的なキリスト教会では、完成までの過程を「義認」「聖化」「栄化」という言葉で説
明している。
・義認(過去形の救い)
キリストを受け入れた段階で与えられる祝福。
義認を受けたということは、善良な人間になったということではない。
父なる神との関係が変化した、父なる神と和解させられた、ということ。
罪の裁きからの解放を表す。
・聖化(現在進行形の救い)
救いの完成に向かうプロセス。
クリスチャンはみな、この過程を歩んでいる。
クリスチャンは、時とともにキリストに似た者に変えられて行く。
義認の祝福を受けた者は例外なしに、この過程を歩み始める。
聖化が可能な理由は「キリストとの一体化」にある。
人間的な努力では聖化は不可能。
聖化は聖霊によって可能になる。
聖化には「恵み」が必要。
罪の力からの解放を表す。
・栄化(未来形の救い)
救いが完成した状態。
私たちはやがて栄光の姿に変えられる。
復活して不死不滅の体になる。
罪を犯すことのできない者になる。
末日聖徒イエス・キリスト教会では、これらの言葉を用いない。あえて言うなら、
義認は「水のバプテスマ」によって、聖化は「聖霊と火のバプテスマ」によって行われ、
栄化は「不死不滅と永遠の命」という言葉で表されている。
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