2コリント12:2に「第三の天」という言葉が出てくる。これは何を表すのだろうか。
「第三の天」とは、天の御父が住んでいらっしゃる日の栄えの王国のことである。
「福音の原則」という本には次のように書かれている。
聖文から、天には3つの栄光の王国があることが分かります。使徒パウロは、「第三の天
にまで引き上げられた」人を知っていると述べています(2コリント12:2)。また、パウ
ロは天にある二つの王国について触れています。「天に属するもの」と「地に属するもの」
です(1コリント15:40-42)。「天に属するもの」とは最高の王国である日の栄えの王国
を、「地に属するもの」とは第2の王国である月の栄えの王国を指します。末日の啓示か
ら、第3の王国が星の栄えの王国であることが分かります(教義と聖約76:81)。そして、
日の栄えの王国にはさらに3つの天、すなわち3つの階級があることも分かっています(教
義と聖約131:1)。
パウロが知っていると語ったこの人は、パウロ自身であった。ジョセフ・スミスは次のよ
うに語っている。
「パウロは第三の天にまで昇り、ヤコブのはしごの3つの主要な段階を理解することがで
きた。すなわち星の栄えと月の栄え、それに日の栄えあるいは王国である。そしてそこで
パウロは人に語ってはならないとされた事柄を見聞きした。」
一般的なキリスト教会では、来世は天国と地獄の2つがあると教えている。キリストの教
えを受け入れた人は天国に行き、受け入れなかった人は地獄に行く。この世の人生でキリ
ストの教えを聞く機会のなかった人も地獄に行く。
末日聖徒イエス・キリスト教会では、来世は「栄光の王国」と「外の暗闇」があると教え
ている。「栄光の王国」は「日の栄え」「月の栄え」「星の栄え」に分かれている。
日の栄え
イエスの証を受け入れ、その名を信じ、バプテスマを受けた人々が行く。戒めを守ること
によって、すべての罪から洗われて清くされ、聖なる御霊を受けた者である。信仰によっ
て世に打ち勝ち、聖霊が祝福を結び固められる正しくかつ真実な人々である。日の栄えを
受け継ぐ人は皆、天の御父とイエス・キリストとともに永遠に住むことになる。黄金のよ
うな光に満ちた場所である。この世の人生でキリストの教えを聞く機会がなかったが、霊
界で受け入れた人々もこの王国に行く。
月の栄え
現世で福音を拒み、後に霊界で受け入れた人々が行く。地上では高潔だったが、人間の悪
巧みによってキリストの福音に心を開かなかった人である。またこの中には、キリストの
福音と証を受け入れながら、雄々しくなかった人もいる。彼らはキリストの訪れは受ける
が、天の御父の訪れは受けない。エデンの園のような状態の場所である。
星の栄え
地上でも霊界でもイエスの福音や証を受け入れなかった人々が行く。福千年の後に復活す
るまで、自分の犯した罪のゆえに苦しむ。彼らは、偽りを言う者、魔術を使う者、姦淫を
行う者、みだらな行いをする者、また偽りを好んで行う者である。空の星や海岸の砂のよ
うに数知れず、聖霊の訪れは受けるが、御父と御子の訪れは受けない。現在の地球のよう
な状態の場所である。
外の暗闇
かつて聖霊によってイエスの証を得、主の力を知っていたにもかかわらず、サタンに身を
ゆだねた人々が行く。彼らは真理を拒み、主の力に反抗した。決して赦しが与えられない。
聖なる御霊を受けた後に否定したからだ。栄光の王国を受け継ぐことはない。永遠の暗闇
と責め苦と悲しみの中で、サタンとその使いとともに永久に住む。神の栄光がまったく届
かない暗闇の場所である。地上に生を受けた人で、この場所に行くのは極少数である。
最終的に自分が一番居心地の良い「栄光の王国」に行く。「星の栄え」に行ったとしても
これは罰ではなく、神から与えられる祝福である。「星の栄え」でも、現在の地球の状態
であり、病気や老いや死がない分、今より幸せだろう。
「日の栄え」のルールに従いない人は、「日の栄え」に耐えられない。
「月の栄え」のルールに従いない人は、「月の栄え」に耐えられない。
「星の栄え」のルールに従いない人は、「星の栄え」に耐えられない。
例えて言うなら、学校のレベルに合った学力が必要なのに似ている。
大学レベルの学力がない人が、大学で授業を受けても苦痛でしかない。
高校レベルの学力がない人が、高校で授業を受けても苦痛でしかない。
中学レベルの学力がない人が、中学で授業を受けても苦痛でしかない。
つまり、自分がついてゆける場所が定められるのである。
参照聖句
1コリント15:40-41
天に属するからだもあれば、地に属するからだもある。天に属するものの栄光は、地
に属するものの栄光と違っている。日の栄光があり、月の栄光があり、星の栄光があ
る。また、この星とあの星との間に、栄光の差がある。
2コリント12:2
わたしはキリストにあるひとりの人を知っている。この人は十四年前に第三の天にま
で引き上げられた。それが、からだのままであったか、わたしは知らない。からだを
離れてであったか、それも知らない。神がご存じである。
|