前の記事で宣教師のレッスンの内容をまとめてみたが、
そこでいろいろと感じることが、いくつかあった。
一つ目は、このレッスン内容は、キリスト教文化の国の人々向けのものではないか
というものである。キリスト教の基盤のない日本になじみのないことがでてくる。
・キリスト教が多くの宗派に分かれていて、教義がそれぞれどのように違っている
かということは、日本人は分からないので、福音の回復の必要性がぴんとこない。
・日本人は聖書の話になじみがないので、モルモン書を読んでも、分かりにくい。
せめて、創世記と出エジプト記と福音書の話を知っていた方がよい。
・アダムによる背きのため、人類に罪が入って来て、それをキリストが取り除いた。
だから、キリスト教に改宗して、その罪を取ってもらわないと天国に行けない。
このような教えに、日本人はなじめないし、心が惹かれない。
・むしろ、日本人は、死後のどうなるのか、家族とともにいられるのかということに
関心があると思う。つまり、レッスン1や3より、2が心惹かれるのかもしれない。
二つ目は、人によって宗教に求めるものは違うということである。
心が癒されたい人、安らぎを得たい人、より良い人になりたい人、家族の絆を深めたい人、
死後の世界に関心がある人、社会的に成功したい人など。
また、当教会に係ることになったきっかけも、さまざまである。
英会話から入った人、宣教師の人柄に惹かれた人、友人きっかけの人、家族きっかけの人、
真理を求めた探していた人、教会のWEBサイトから知った人、モルモン書を見つけた人。
いろいろな人の要望を満たせるレッスン内容であったらと思った。
なぜ私が教会に入ることになったのかと人から尋ねられることがある。
心の癒しがほしかったのかとか、悩みがあったのとか言われる。
しかし、私が教会に関わることになったきっかけは知的好奇心だと思う。
教会にかかわるずっと前、人の知恵では解決できない社会の問題を、
人知を超えた存在によって、解決できるのではないかと考えた。
そのような存在から知識を学ぼうと思った。
その知識を使って、世の中をよりよくできるからだ。
神様に会ったり、宇宙人に会ったりした人が、得た知識を書いた本を探して読んだ。
そのような中で、1981年、ローマ教皇が初来日し、
私はキリスト教に興味を持ち、聖書を買って読み始めた。
あるとき、聖書以外にも聖書のような本があると噂を聞き、
本屋を探し回り、ある古本屋で、モルモン書を見つけた。
2日後、末日聖徒イエス・キリスト教会の宣教師に道で声を掛けられた。
それが、私が末日聖徒イエス・キリスト教会と係りを持つきっかけである。
末日聖徒イエス・キリスト教会では神様からの知識が、
今も預言者を通して与えられている。
それだけでなく、聖霊を通して、自分に直接、神様からの
知識をいただけるということが、最も惹かれる点だった。
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