キリストの教義

2ニーファイ31,32;3ニーファイ11には「キリストの教義」が載せられている。
一方、3ニーファイ27には「キリストの福音」が載せられている。
キリストの教義とキリストの福音はどう違うのだろうか。

キリストご自身が述べられた言葉を見てみよう。

キリストの教義
3ニーファイ11
32 これから述べるのがわたしの教義であり、父がわたしに与えてくださった教義である。
  わたしは父のことを証し、父はわたしのことを証され、聖霊は父とわたしのことを証する。
  父は、どこにいる人でもすべての人に、悔い改めてわたしを信じるように命じておられる
  ことを、わたしは証する。
33 わたしを信じてバプテスマを受ける者は、だれでも救われる。
  神の王国を受け継ぐのはこれらの者である。
34 また、わたしを信じないでバプテスマを受けない者は、だれでも罰の定めを受ける。
35 まことに、まことに、あなたがたに言う。これがわたしの教義である。
  わたしは、父から告げられたとおりにこれを証する。
  わたしを信じる者は父をも信じるのである。
  その者に、父はわたしのことを証されるであろう。
  父はその者に火と聖霊を与えられる。
36 このようにして、父はわたしのことを証され、
  聖霊はその者に父とわたしのことを証する。
  父とわたしと聖霊は一つである。
37 もう一度あなたがたに言う。
  あなたがたは悔い改め、幼子のようになり、
  わたしの名によってバプテスマを受けなければならない。
  そうしなければ、あなたがたは決してこれらのものを受けることができない。
38 もう一度あなたがたに言う。あなたがたは悔い改め、
  わたしの名によってバプテスマを受け、幼子のようにならなければならない。
  そうしなければ、あなたがたは決して神の王国を受け継ぐことができない。
39 まことに、まことに、あなたがたに言う。
  これがわたしの教義である。

キリストの福音
3ニーファイ27
13 わたしがあなたがたに告げた福音とは、次のとおりである。
  すなわち、父がわたしを遣わされたので、わたしは父の御心を行うために世に来た。
14 父は、わたしが十字架に上げられるようにと、わたしを遣わされた。
  十字架に上げられた後で、わたしはすべての人をわたしのもとに引き寄せた。
  わたしは人々によって上げられたが、そのように人々は、父によって上げられて
  わたしの前に立ち、自分の行いが善いか悪いかによって、行いを裁かれるのである。
15 このために、わたしは上げられたのである。
  それで、父の力によってすべての人をわたしのもとに引き寄せ、
  彼らが各々の行いに応じて裁かれるようにするのである。
16 さて、悔い改めて、わたしの名によってバプテスマを受ける者はだれであろうと、
  満たされるであろう。そして、最後まで堪え忍ぶならば、見よ、わたしはその者を、
  わたしが立って世の人々を裁くその日に、わたしの父の御前で罪のない者としよう。
17 また、最後まで堪え忍ばない者は、切り倒されて火の中に投げ込まれ、
  父の正義のゆえに、そこから二度と戻ることができない。
18 これは父が人の子らに告げられた御言葉である。
  父は御自分の正義のゆえに、御自分が告げられた御言葉をことごとく成就される。
  父は偽らず、御自分の御言葉をことごとく成就される。
19 清くない者は、決して父の王国に入ることができない。
  したがって、信仰を持ち、罪をすべて悔い改め、最後まで忠実であることによって、
  わたしの血により衣を洗われた者のほかには、父の安息に入る者はいない。
20 さて、戒めは次のとおりである。
  地の果てに至るすべての者よ、悔い改めて、わたしのもとに来て、
  わたしの名によってバプテスマを受けなさい。
  そうすれば、あなたがたは聖霊を受けて聖められ、
  終わりの日にわたしの前に染みのない状態で立てるであろう。
21 まことに、まことに、あなたがたに言う。以上がわたしの福音である。

3ニーファイ11のまとめ
・神会の御三方
  ・御子は御父のことを証する。
  ・御父は御子のことを証する。
  ・聖霊は御父と御子のことを証する。
  ・御父と御子と聖霊は一つである。
・私たちがすべきこと
  ・キリストを信じる
  ・悔い改める
  ・バプテスマを受ける
  ・幼子のようになる
・私たちへの祝福
  ・救われる。
  ・神の王国を受け継ぐ。
  ・罰の定めを受けない。
  ・火と聖霊を与えられる。

3ニーファイ27のまとめ
・御子は御父の御心を行うために世に来た。
  ・御子は十字架に上げられる(贖罪)ため、遣わされた。
  ・人々は上げられて御子の前に立ち、行いを裁かれる。
・私たちがすべきこと
  ・信仰を持つ。
  ・悔い改める。
  ・バプテスマを受ける。
  ・最後まで堪え忍ぶ、忠実である。
・私たちへの祝福
  ・満たされる。
  ・聖霊を受けて聖められる。
  ・罪のない者となる。
  ・切り倒されて火の中に投げ込まれない。
  ・御父の王国に入る。
  ・御父の安息に入る。

このことからわかるのは、次の等式である。

  キリストの贖罪 + キリストの教義 = キリストの福音

言い換えれば、

  キリストがされたこと + 私たちがすること → 私たちが受ける祝福

キリストの教義は、キリストの贖罪を通して可能になったあらゆる祝福を
私たちが手にすることを可能にする唯一の手段である。

2ニーファイ31,32でも、キリストの教義について説明されてるが、
ニーファイは、聖霊の賜物について特に強調している。
聖霊の賜物を受けるために、悔い改めとバプテスマが必要である。
聖霊の賜物によって、バプテスマを受けた後の信仰生活で、
必要な導きを受けることができる。

キリストは基本中の基本しか教えない。
それから先は聖霊から学びなさいということである。

ニーファイ人の元にキリストが訪れたとき、
まず最初に、バプテスマの方法を教え、上記の基本の教義を教えた。
その後に新約聖書の山上の垂訓と同じ内容を伝えたのである。

ちなみに、セミナリーの生徒用資料によると、基本的教義が9つある。
  1.神会
    父なる神、イエス・キリスト、聖霊
  2.救いの計画
    前世、創造、堕落、死すべき生涯、死後の生活
  3.イエス・キリストの贖罪
    イエス・キリストを信じる信仰、悔い改め
  4.神権時代、背教、回復
  5.預言者と啓示
  6.神権と神権の鍵
    アロン神権、メルキゼデク神権
  7.儀式と聖約
  8.結婚と家族
  9.戒め
    2つの大切な戒め、十戒、祈りと断食、純潔、什分の一、知恵の言葉など

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