神殿の儀式に幻滅した人

インターネットで神殿について検索していたら次のような発言に遭遇した。

「神殿参入して儀式を受ければハッキリ言われるし誓約を宣言させられるから
馬鹿でも解かるけどモルモン教の奥義ってのは結局「教団と指導者への服従」なワケよ。
どんなキリスト教よりモルモン教素晴らしい唯一真の教えだと教え込まれてたのに
その奥義がヤクザの盃もどき絶対服従の誓約なんだもんな。」

この人は神殿の儀式に幻滅したようである。
従順の律法、犠牲の律法、奉献の律法について、いやな思いをしたのだろう。
もう、教会に来ていない人かもしれない。
神殿に入るには、まだ早かったようだ。

この人は奥義というものを勘違いしている。
神殿の中での聖約だと思っているようだが、
実際は、神殿の中で聖霊と通して得られる真理である。
神殿の中の言葉やしるしが奥義でなく、そこから得られる霊感の方である。
だから、この人は奥義を知ってはいない。

私の場合は、神殿に初めて入ったとき、神様の愛を感じることができた。
何を感じるかは、受け取る側のレベルの差で変わるのだろう。
支配されていると捉えるか、神の愛と捉えるか。

これを親子の関係に例えてみよう。
まだ未熟な子供は、親が自分の言うことを聞きなさいと言うと、
支配されていると感じて不満を持つ。
あれをしてはだめとか、家の手伝いや勉強をしなさいとか。
親に愛されているはずだが、感謝の気持ちを抱くことはない。
しかし、親になった今、それは、子供を危険から守るためだとか、
子供の成長を思ってのことだと、実感できる。
また、親はどんなにか子供のために骨身を削っているかわかる。
今では、親の愛を十分理解できる。

つまり、この人は聖約の中の義務にだけ気を取られ、
それに伴う神様からの祝福にまったく気づくことができなかった。
つまり、霊的に未熟な状態だったのだ。

気付かないかもしれないが、私たちは知らず知らずのうちに、
神様から多くのことを受けている。
常に、神様の愛が私たちに降り注いでいる。
霊的に成熟した人はそれを感じることができる。
霊的に未熟な人は、神様の助けを感じる感受性が足りないから、
神様から受けていることへの感謝が足りない。

神殿推薦状を発行してもらうときの面接で問われることは、
いままで、一般に公開されていなかったが、2019年10月の
総大会で公表された。
この人が嫌った、従順の律法、犠牲の律法、奉献の律法に関する
質問事項の部分は以下のものである。

・末日聖徒イエス・キリスト教会の大管長を預言者、聖見者、啓示者として、
  また、すべての神権の鍵を行使する権限を託された、地上で唯一の人として
  支持していますか。
  大管長会および十二使徒定員会の会員を預言者、聖見者、啓示者として
  支持していますか。
  教会のそのほかの中央幹部と地元の指導者を支持していますか。

・家族やほかの人々と個人的に、また公に接するときに、イエス・キリスト
  の教会の教えに従っていますか。

・末日聖徒イエス・キリスト教会の教えや慣行や教義に反する教え、慣行、
  教義を支援したり、奨励したりしていませんか。

・什分の一を完全に納めていますか。

事前に公表することによって、この人のように、神殿に入ってから、
このことを知って、とまどうことの無いようにしているのだろう。


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