完全な円を描く |
中世の画家ジョットは、ローマ法王の前で画力を見せよと命じられたとき、 ただ、一円を描いた。 シンプルで欠けることの無い丸い円をフリーハンドで書くのは難しい。 私たちは道徳の上で、このジョットの一円形を得ねばならない。 教会で言われている道徳的なことは、8歳にでも理解できるが、 80歳になってもすることが難しい。 完全な円は私たちの中にあるので、描かれた円が、完全なものかどうかは、 誰にでも判断がつくが、実際はほとんどの人は描けない。 道徳、善、生きる意味についても同じで、その完全なものは、既に私たちの中にある。 善というものは、努力して作りあげていくものではなくて、 既にあるものを発見していくことだ。 生きる意味は私たちの中にあって、それを私たちが見つけていくのであって、 生きる意味を作っていくのではない。 |