霊の状態を束縛と感じる

教義と聖約138:50には、こうある、
「死者は、その霊が体から長い間離れていることを一つの束縛と考えた。」

逆に、弱い肉体から解放されるのだから、自由になると思ってしまう。
飢え、渇き、暑さ、寒さ、病気などにもう悩まされることもなくなる。

しかし、今、片手を失うことを考えると、不自由になるだろう。
両手、両足ならなおさらである。
そうなると、体全部なら、まったく不自由になるのかも。

新約聖書を読むと、悪魔は救い主によって追い出されたとき、
豚の群れに入れるよう嘆願した。
たとえ豚の体であろうと、肉体を持たないよりはいいと考えた。

肉体を持つすべての者は、肉体を持たない者を支配する力を持つ。
肉体を持たない霊は、復活するまで満ちみちる喜びを得ることができない。

「わたしたちには分からない理由により、肉体に障がいを持って生まれてくる
人がいます。体の一部に異常があるかもしれません。調節機能のバランスが
崩れているかもしれません。そして、すべての肉体は、病気と死に直面します。
しかし、肉体はきわめて貴重な賜物なのです。それなしに、完全な喜びを得る
ことはできません。
神聖な目的を達成するために、完全な肉体が必要なわけではありません。
事実、最もすばらしい霊が、弱い体に宿ることもあります。肉体に障がいが
あって日々チャレンジに直面する人が、卓越した霊的な強さをはぐくむ場合が
よくあります。そのような人は、神が忠実で従順な人のために用意された
すべての祝福を受ける資格があるのです。」
ラッセル・M・ネルソン「わたしたちは神の子である」(リアホナ1999年1月号)

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