「聖徒たち」を読んで

読んでいて気が滅入る。
本当に困難続きで、混乱続きで、ジョセフや聖徒たちはよく耐えられたなと。
自分だったら挫折して、教会から離れたかもしれない。

カートランド安全協会(銀行)の経営不振が教会員たちの ジョセフ・スミスの預言者としての資質に疑念を生じさせた。 神様から導きを受けているなら、経営不振になることないはずと。
銀行は破たんした。預言者と言えども人間。失敗することもある。 しかし、その失敗が許せなくて、教会から離反する人が多かった。 離反したものは教会を攻撃し、預言者は西へ逃げるしかなかった。 カートランド神殿は離反者たちに乗っ取られた。 自分なら、こんなつらいことがあったら教会から離れたとしても、 攻撃はしないだろう。ひそかに神様への信仰は続けると思う。 実際そうしてきた。
使徒ですら、教会に敵対するようになった。 当時は数百人の中から選ばれた使徒。 今は数百万人の中から選ばれた使徒。 レベルが低いかったのは仕方がないのかも。
エライジャという黒人の宣教師の話が載っていた。 エライジャが殺人をしたとして逮捕されそうになっていた。 ありもしない、でっち上げであった。 ジョセフ・スミスの時代には、黒人も神権を受け、エンダウメントの儀式も受けていた。 ブリガム・ヤングの時代に黒人の神権が停止された。 一部のうわさでは、黒人はカインの子孫なので、呪いを受けているというもの。 しかし、教会幹部はこれを否定している。 私個人の見解では、これは、黒人の人々を守るためではないかと思う。 エライジャも逮捕されそうになったことを見ると、 黒人が神権を持つと、宣教師になったり、指導者になったりする。 すると、それをよく思わない連中が迫害を加え、命などの危険にさらされる。 やがて、そのような迫害がなくなる時代になって、神権が黒人に回復された。 これは、黒人の人々を守る神様の愛ではないかと思う。
初期の聖徒たちは、なぜ1つの場所に集まるように言われていたのか。 当時は鉄道や通信機などの速い連絡手段がなく、 遠く離れていると教会の方針が伝わりにくい。 まだ、不安定な当時の教会員を導くには、近くに集まっていた方がよい。 今は、アメリカに集合せず、それぞれの地域で、信仰を続けることができる。 今後は、インターネットなどにより、教会にすら集まらずに、 信仰を続けることができるようになるだろう。 最近の教会の方針が家庭中心主義になってきたのもそれが理由かも。
地域住民の観点からみると、聖徒たちが1つの場所に集まることに、 恐怖心を抱いたであろう。それが迫害につながった。 かつて、オウム真理教が上九一色村に集まったとき、地域住民は恐怖心を持った。 信者の数が、村民の人口を超えそうになったからだ。 選挙をすると村議会や村長が、オウムに乗っ取られてしまう。 オウムは犯罪を犯して自滅したが、 聖徒の方は、迫害から逃れるために、フロンティア・ラインを超えて、 白人が誰もいないユタまで行って、集まるしかなかった。
とうとうミズーリ州の住民との間で戦争状態になってしまった。 モルモン書の中では、ニーファイ人たちが自由と命を守るために 戦ったが、そのような気持ちで聖徒たちも戦ったのだろう。 しかし、その行為はミズーリ州政府への反逆と捉えられた。
ノーブーで死者のためのバプテスマが始まった。 まだ、神殿ができる前だったので、ミシシッピ川で行った。 エマ・スミスは父の身代わりのバプテスマを受けた。 当時は女性が男性の身代わりができたようだ。
ノーブーでの迫害は、市長のジョン・ベネットの悪行で彼を破門したことから始まった。 彼は、罪を認め、反省したが、このことを公開しないよう懇願した。 しかし、教会員たちが、広めてしまったために、彼は怒り、 ジョセフがミズーリ元知事を殺害しようとしたと嘘の証言をしたことにより、 ジョセフが逮捕されることになった。
迫っている死を感じていたジョセフ・スミスの最後の使命は、 神殿を建てて聖徒たちにエンダウメントと結び固めを行うことだった。
ジョセフ・スミスが多妻結婚をしているとき、一般の聖徒たちには、 まだ、それが、神が命じられたことだと明らかにされていなかった。 兄のハイラムでさえ知らなかった。 ハイラムはそれをブリガムから聞き、それを受け入れた。 そして、ハイラムは現在の妻と亡くなった妻の2人と結び固められた。

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