聖餐会の話
2024年8月11日
沖縄での単身赴任が終わり、東京の教会でおこなった。
・改宗談
今から43年前の1981年、私が16歳のとき、
ローマカトリックの教皇、ヨハネ・パウロ2世が来日しました。
ローマカトリックの教皇が日本に来るのは初めてだったので、
マスコミでは大きく取り上げられました。
これがきっかけで、私はキリスト教に興味を持ち、聖書を買って、
読みはじめました。
しばらくたったあるとき、聖書の他にも聖書のような本があると、うわさに聞きました。
しかし、その本の題名は分かりませんでした。
いろいろな本屋や図書館を探しめぐりましたが見つかりませんでした。
キリスト教のコーナーにあるのは、キリスト教や聖書について、解説した本だけで、
古代の預言者が書き記したような本は聖書以外にはありませんでした。
ある日、古本屋に行ったところ、「モルモン経」という本を見つけました。
「経」は「お経」の「経」の字だったので、仏教の経典かと思いました。
当時は「モルモン書」というタイトルではなかったのです。
中を見てみるとキリストのことが書いてあり、古代の預言者が書いたものだったので、
私が探していたのは、この本だと思いました。
しかし、そのときは、お金がなかったので、買えませんでした。
その日は土曜日だったので、月曜日に貯金を下ろして買いに戻ることにしました。
それまでに他の人に買われないように、その本を横にして、他の本の後ろに隠しました。
月曜日は学校があったので、学校が終わると、すぐに郵便局に行って貯金を下しました。
わくわくしながら、自転車に乗って買いに行く途中、交差点で信号待ちをしていると、
2人のアメリカ人の青年に声をかけられました。
彼らはモルモン教会の宣教師だと名乗りました。すこし話をしても良いかと言うので、
買おうとしていた本と関係がある人たちだと思い、彼らの話を聞くことにしました。
そして、彼らから新品のモルモン経を手に入れることができました。
そのときは、新しいのが手に入って、運が良かった程度の思いでしたが、
後で、神様のお導きがあったのだと分かりました。
古本屋で他の本の後ろに隠した例の本は、後日もとに戻して置きましたので、
ご安心ください。
このように、私は16歳のときに、この教会に出会いましたが、
両親の反対があり、20歳までバプテスマを受けられませんでした。
しかし、その間、教会に通うことは許されていました。
教会に通う中で、私の先祖の救いは子孫の中で唯一この教会に導かれた私にかかってい
ると分かりましたので、まだ教会員ではないですが、先祖の救いに係わることにしました。
先祖について調べ、系図と家族の記録を作り、神殿に提出しました。
戸籍で調べられる範囲はやりつくしたので、他に記録を持っている親戚はいないか、
両親に尋ねました。
両親は私の作った系図を見てよろこんでくれました。
そして、両親は私の作った系図のコピーを親戚に送ってくれて、
これ以上の情報はないか、尋ねてくれました。
結果はそれ以上の情報を持つ親戚はいませんでした。
しかし、私の作った系図は親戚の間で好評を得ました。
父は、私の手書きの系図をワープロで清書してくれて、親戚中に配っていました。
そんなこともあってか、私が20歳になるころには、両親は心を和らげてくれて、
しぶしぶながらも、教会に入ることを認めてくれました。
20歳でバプテスマを受けました。16歳から4年間は聖霊の賜物については
知識として知っているだけで、経験して知ってはいませんでした。
バプテスマを受けた日の夜、お祈りをしていると、全身が火で包まれたように
熱くなりました。しかし、苦痛ではなく、むしろ、幸せな気持ちになりました。
このようなことは初めてで驚きましたが、聖霊の賜物を経験することができました。
・沖縄での話
私が沖縄で経験した最も印象的なことは、沖縄神殿に関することでした。
建設発表、鍬入れ式、建設、オープンハウス、奉献式、儀式の開始の流れを
間近で見てきました。
沖縄の教会員にとって、沖縄の地に神殿が建つのは長年の夢でした。
しかし、沖縄には既に近くに福岡と台湾に神殿がありましたので、
沖縄に神殿が建つのは、遠い将来のように思えました。
なので、2019年の神殿建設の発表は、奇跡のように思われたのです。
沖縄県1県のために神殿ができることは、ありえないことでした。
1つの伝道部に2つの神殿(福岡と沖縄)があるのはまれなことです。
全世界で見ると約12ステーク・地方部で1つの神殿の割合です。
日本は恵まれていて、約6ステーク・地方部で1つの神殿の割合です。
さらに沖縄では2ステーク・地方部で1つの神殿の割合です。
これは沖縄の教会員の努力の賜物だと思います。
沖縄の教会員は先祖を大切にするという土地柄もあり、家族歴史活動に熱心なかたが
多いです。教会員でなくても多くの家庭で先祖の系図が作られていると聞きます。
その例として、リアホナ2023年3月号のローカルページを見てください。
ここで紹介されている姉妹は、親戚に保管されていた系図から約3300人を
拾い上げることができたといっています。
また、琉球の王族につながっていることも分かったので、王族の記録も調べて、
神殿に提出する予定だそうです。
他にも、沖縄の教会員から似たような話を多く聞きました。
私はオープンハウスと奉献式の実行委員会に参加することができました。
私はテクノロジーのサブ委員会にいました。
オープンハウスで使う、教会紹介ビデオを流すモニターの設置や、
ボランティア人員の予約システム、訪問者の予約システムを担当しました。
オープンハウス当日は訪問者を案内する係もしました。
私の担当ではありませんでしたが、広報のサブ委員会は、
オープンハウスの1週間前には新聞に大きな紙面公告を載せました。
また、ラジオ局主催の福祉活動にも参加していたので、ラジオでも告知できました。
そのかいあって、オープンハウスには多くの人々が訪れてくれました。
オープンハウスは2週間にわたって行われましたが、どの日も、
午前9時から夜の8時まで、訪問者が途絶えることはありませんでした。
合計の訪問者数は約7800人でした。1日平均では約600人です。
教会員以外の人も多くいました。長年、教会に来ていない教会員もいました。
これをきっかけとして、宣教師からレッスンを受け始めた人、
再び教会に来るようになった人もいると聞きます。
沖縄神殿のオープンハウスは良い伝道の機会、再活発化の機会になりました。
奉献式が行われた後は、すぐに運用が開始されました。
私も何度か神殿の儀式に参加することができました。
世界で3番目に小さい神殿と言われていますが、役割は十分果たせていました。
沖縄神殿の建設が発表されたあと、沖縄ステークでは、教会員に、
先祖の記録を調べて、ファミリーサーチに入力しましょうと、提案がありました。
私は、直系の先祖については、戸籍から得られる分はすでに儀式を済ませていたので、
傍系の家族について、記録を提出することにしました。
傍系とは直系の先祖の子孫のことで、たとえば、おじ、おば、いとこなどです。
すでに手に入れていた戸籍から、傍系の親戚の名前などを拾い、
268人の名前をファミリーサーチに記録することができました。
8歳未満の子供を除けば、バプテスマの対象は168人いました。
思ったより多い人数になりました。一回の神殿参入では5人までですので、
何年もかけて、少しずつ儀式をやっていこうと思ってました。
このことを、神殿のオープンハウスのときに一緒に奉仕をしていたある兄弟に雑談を
する中で話しました。その兄弟は私の知らないうちにワードの神殿・家族歴史主任の
兄弟にその話を伝えてくれていました。
その兄弟は、私が近々東京に戻ることを知っていたので、
東京に戻る前に、168人のバプテスマを済ませてしまいましょうということで、
ワードの兄弟姉妹たちを集めて、バプテスマの団体参入をしてくれることになりました。
特別なワードの団体参入は3月9日に行われました。16人の方々が参加してくださり、
168人のバプテスマを終えることができました。
このわずかな期間にこの数を達成できたことを奇跡だと思いました。
・大阪神殿
話は変わりますが、大阪神殿について話しておこうと思います。
沖縄神殿の奉献式を待たずに、去年の10月に大阪神殿の発表がありました。
そして、今年の3月に、その建設地が大阪府枚方市であるとの発表がありました。
枚方は私の実家があるところで、今も母と弟が住んでいます。
私は、枚方ワードでバプテスマを受けました。
神殿の建設地は、亡くなった父が埋葬されている霊園から歩いて行ける場所にあります。
父の墓参りをした帰りに、神殿に寄ることができます。
偶然とは言えないような縁を感じます。
大阪神殿の建設地は元、大阪国際大学のキャンパスがあったところです。
大学の建物は今も取り壊されずに残っています。講堂、運動場、食堂の施設があるので、
ここで大きな集会や青少年・独身成人の合宿ができそうです。
今年の5月には、ブリガムヤング大学の学長が大阪に来ていたので、
もしかしたら、大学の日本校が神殿の敷地に併設されるかもしれません。
・霊界と神殿
霊界には2つの区域があります。パラダイスとひとやです。
ひとやという言葉は昔の言い方です。これは牢屋や刑務所のことです。
パラダイスには、キリストの福音を受け入れて、福音の儀式を受けた人が行きます。
パラダイスでは、この世のつらいことから解放されて、やすみと平安を得ます。
ひとやには、キリストの福音を受け入れなかった人が行きます。
ひとやでは、この世で犯した罪について反省をします。
残念なことに、キリストの福音に接する機会のなかった人もひとやにいます。
そういうわけもあって、ひとやにいる人はとても多いです。
ひとやの人たちは、パラダイスから来た宣教師から福音を聞くことができます。
キリストの福音を受け入れて、神殿で行われる代理のバプテスマを受けた人は
ひとやから解放されてパラダイスに行くことができます。
さらに、代理のエンダウメントの儀式を受けた人は、宣教師になって、
ひとやの人たちにキリストの福音を教えることができます。
この世でも、宣教師になる人は、伝道に出る前にエンダウメントの儀式を受けますが、
同じような感じです。エンダウメントの儀式でイスラエルの集合の力を受けます。
ひとやにいる人たちは、自分の子孫がキリストの教会に入り、
代理の儀式を受けてくれることをこころ待ちにしています。
最近の時代に生まれて、戸籍などで生存した記録が残っている人は、恵まれていますが、
古い時代の人は、よほどの有名人でない限り、しばらく儀式を受ける機会はありません。
しかし、記録が残っていない人たちは福千年に儀式を受けることができます。
というか、福千年はそのためにあります。
福千年では代理のバプテスマを受けた人は、すぐに復活して肉体を得ます。
儀式を受けると、復活した人が次々に現れる様子を想像すると、わくわくします。
復活した人の情報を元に、さらに先祖の代理の儀式が行われていきます。
このように、新しい時代の人からさかのぼって、古い時代の人の代理の儀式が
続いていき、最終的にはすべての人の代理の儀式が終わります。
アダムの時代から現在まで約1000億人の人がこの世に生を受けました。
1000年間にこの数をこなすには、1年間に約1億人の儀式を行う必要があります。
福千年では神殿は3交代制の工場やコンビニのように24時間フル稼働します。
福千年に向けて多くの神殿が必要です。
ネルソン大管長になってから168の神殿建設が発表され、建設ラッシュが続いています。
ネルソン大管長になる前に奉献された神殿の数が159ですから、すごい勢いです。
これは、福千年に向けての準備なのだと思います。
・病気のこと
去年の10月に、病気をして、長らく教会を休んでおりました。
腎臓の出口に大きな石ができまして、出口をふさぐので、
作られた尿が排出できなくて、腎臓が通常の2倍程度に腫れていました。
この石は自然に排出できないほど大きかったので手術して取り除く
必要がありました。
そのため入院し、手術し、その後の療養のため、
3か月ほど教会をお休みしていました。
今は、何の問題もなく、回復することができました。
この間、痛みなどがあり、苦しい思いをしました。
しかし、絶望感や憤りの気持ちを持つことなく、穏やかに過ごせました。
私たちには聖霊の賜物が与えられていて、どのような状態にあっても、
神様からの愛を感じることができます。
また、神様からの助け、導き、慰め、癒しをいただくことができます。
このことに感謝しています。
苦しみの中でも、幸福感を得ることができました。
心楽しく忍耐することができました。(モーサヤ24:15)
腎臓が2つあることに感謝しました。
もし、1つだったら、すでに死んでいたでしょう。
医療技術が発達した時代に生まれたことに感謝しました。
そうでなければ、50歳までに死んでいたことでしょう。
江戸時代までの平均寿命が50歳だということに納得できます。
手術、療養期間中は東京に戻っていました。
その間、家族と過ごせたことに感謝しました。
私は2、3年ごとに手術を受けなければならない病気を繰り返しています。
尿路結石で3回、大腸の腫瘍で2回、前立腺の腫瘍で1回です。
よく病気になる弱いからだをいただいたことに感謝しています。
そのたびに、神様を思い起こし、身近に感じることができるからです。
・神様の助けがあった体験1
2018年は、たて続けに困難な状況が押し寄せてきました。
困難なことが起きると、なぜか、タイミングよく、適切な助けがあり、
困難を乗り越えることができました。
神様が助けてくれているとしか思えなくなり、神様の愛を感じました。
具体的にどんな困難と助けがあったかというと
・まず、1つ目は、家族と私に病気や怪我が続きました。
・母は3月に心臓の手術、4月に肺がんの手術を受けました。
・弟は下血をし、6月と11月に、2回、入院しました。
・妻は4月に肋骨を骨折し、12月に足を骨折しました。
・私は2月に右目が硝子体剥離をおこしました。
10月に大腸の腫瘍が見つかりました。
11月にぎっくり腰になって、1か月間も痛みに苦しみました。
しかし、どれも、早期に見つかって、簡単な手術ですんだり、
適切な治療が功を奏して、今では、順調に回復しています。
・2つ目は、家の貯金が底を着きました。
しかし、その後すぐ、会社からボーナスが出て助かりました。
ボーナスが出るのは5年ぶりのことだったです。
・3つ目は、会社の事務所の鍵が壊れて、事務所に入れなくなりました。
壊れた鍵を交換するにも、事務所の中からしか交換できません。
ビルの管理会社に連絡しようとしても、連絡先は事務所の中にあるので、
連絡先がわかりません。助けを求めて神様に祈ったところ、
奇跡的に鍵があいて、事務所に入ることができました。
そして、管理会社に連絡して、壊れた鍵を交換してもらえました。
・神様の助けがあった体験2
わたしと妻が結婚して間もないときのことでした。妻は今の娘を妊娠しました
が、つわりがひどくなりました。家の中ではどうにか動けるのですが、外に出
て歩くことはとても難しい状態になったのです。わたしは仕事があるので、い
つもついていることができません。そこで、もっとひどくなる前に妻の実家に
里帰りさせることになりました。しかし、東京の三鷹市から青森の八戸市まで
は新幹線と在来線で6時間以上もかかります。この長旅を妻は絶えられるのだ
ろうか心配しました。そこで、わたしは神権の力を使って、病人の癒しの儀式
を妻に施しました。そして、旅行の朝は、昨日までとは違ってとても元気にな
ったのです。新幹線の中でも、おせんべいをボリボリ食べるし、チョコも食べ
るし、とても前日まで何ものどを通らなかった人とは思えませんでした。問題
もなく、妻の実家に着いたのです。わたしや妻や実家の両親は、つわりが無く
なったのなら、実家に帰る意味はなくなったねと喜んでいたのです。しかし、
それは違いました。翌日、またつわりが復活しました。そして、1週間後には
脱水症状がひどくなり、とうとう病院に入院をしてしまったのです。
旅に耐えられるように、神様からの助けがあったと思います。
・神様の助けがあった体験3
私はある教会員の家族の家を訪問しようとしていますた。初めての訪問だったので、
住所と地図を書いた紙をもらっていました。しかし、最寄の駅で降りたあと、住所
と地図を書いた紙を家に置き忘れてきたのに気が付きました。家に取りに戻ってい
ては、約束の時間に間に合いません。相手の電話番号もわからないので、電話を
かけることもできない。どうにもならない状態になったので、その家族の家に
導いてくれるよう、神様にお願いしました。歩き始めると、ある方向に行くべきと
いう思いが心に湧き、そちらに向いました。曲がり角では、行くべき方向が分かり
ました。それを繰り返しているうちに、目的の家にたどり着くことができました。
私は神様の導きに感謝しました。
・神様の助けがあった体験4
東日本大震災の前日に、啓示を受けました。大きな地震が来るので備えるようにと。
その日は木曜日の夜だったので、土曜日に防災用品などを買いに行こうと思って
いました。しかし、翌日の金曜日に大地震は起こってしまったのです。土曜日には、
防災用具を買うどころか、どの店も店内の片づけで臨時休業していました。
結局、たいした備えはできませんでした。
危機を知らせる聖霊の声は、不安や恐怖をあおる大きな声ではなく、
平安と温かさのある、ささやきでした。今後のための教訓になりました。
・末日聖徒イエス・キリスト教会だけの特徴
以前、聖餐会でビショップが、末日聖徒イエス・キリスト教会だけの特徴は
何ですかと尋ねられたときのお話をされました。特徴は100以上はありますが、
私は「モルモン書」と「神殿」の2つを推したいと思います。
・聖書とモルモン書
聖書を読んで感じたのは、日本の神話やギリシャの神話とは違うなと
いうことでした。
一般的に神話というものは、民間に口伝えで伝承されてきたものなので、
おとぎ話のようにざっくりした内容なのですが、
それと違って、聖書は日記のように詳細で具体的でした。
実際に神様と交流した人が直接書いているということが分かりました。
聖書の神様は実際に存在し、預言者たちは現実に神様と交流し、
それを記録したものが聖書だと感じました。
世の中の本は、どんな優れた人物が書いたものであっても、
神様に比べると大きく劣っています。
しかし、聖書には人知をはるかに超えた知識と知性を持った神様の言葉が
載っています。
そのような本は聖書以外にありません。
聖書から学べることは大きいと思いました。
モルモン書を読んで感じたことですが、
これも聖書と同じく、神様と直接交流のあった人物が、
自分の経験したことを書いていることが分かりました。
モルモン書からも学べることは大きいと思いました。
モルモン書からは、聖書では得られなかった新たなことが分かりうれしくなりました。
例えば、アダムとエバが起こした堕落は必要なことだった、とか、
イスラエルの散乱と集合は、アブラハムに約束された祝福のためだった、とか、
旧約聖書の時代からバプテスマが行われていたり、聖霊の役割について教えられて
いたこと、などです。数え上げれば、100以上は出てくると思います。
その中から、今回は、アダムとエバが起こした堕落の意味を知って感動したときの
話をしたいと思います。
私が聖書でアダムとエバの箇所を読んで疑問に思ったことは、なぜ、神様は食べては
いけないと言った善悪を知る実のなる木をエデンの園に置いたのかということでした。
食べてはいけないなら、置かなければいいのにと思いました。
モルモン書を読んで分かったのは、実は、神様はアダムとエバに禁断の実を食べてほ
しかったということです。堕落によって、アダムとエバは子供を作れる状態になり、
神様の霊の子供たちが、この地上に来ることができるようになりました。
また、自分の意志で善と悪を選択できるようになりました。
この地球は厳しい自然環境になり、試練と苦難を経験して、成長する場となりました。
堕落がなければ、いまだに、この地上にはアダムとエバしかいません。
(2ニーファイ2:22-27)
なぜ神様はアダムとエバに食べるなと言ったのでしょうか。それは、神様が食べなさ
いと言った場合、その結果、起こった試練や苦難について、彼らは神様の責任にして
しまい、これらを自分たちで克服しようとする気持ちが生まれないからです。そして、
成長することができません。食べるなと言われていたのに、食べた場合、自分たちが
起こしたことは自分たちで解決しなければならず、そこから自分の責任で克服しよう
という気持ちが起こります。それによって、成長することができます。
私は聖書だけでは分からなかった疑問が解けて感動しました。
一般のキリスト教会では、アダムとエバは神様の計画を台無しにした人物という扱いです。
そのため、新たにキリストを遣わして、そのしりぬぐいをしたと思われています。
モルモン書によって、アダムは人類が神様の元から地上に来る道を開き、
キリストは人類が地上から神様の元に帰る道を開いたということが分かります。
モルモン書と聖書はセットになって、初めて、神様の計画の本筋を理解できるように
なっています。
・神殿の儀式について、一般キリスト教会の見解
神殿では、死者のための代理の儀式を行っています。
また、夫婦や親子を永遠に結び固める儀式を行っています。
これは、この教会だけでしか行われていません。
一般的なキリスト教会では、結婚式で、「死が二人を分かつまで」と言われます。
家族が永遠に結ばれることを信じていません。
また、霊界での伝道活動や死者への代理の儀式を否定しています。
フランシスコ・ザビエルが、日本で布教していたとき、
日本人に次のような質問をされました。
「洗礼を受ける私達は天国に行くことができますが、
洗礼を受けられなかった私達の先祖は天国に行けないのでしょうか」
洗礼を受けないと天国に行けないので、フランシスコ・ザビエルは
「先祖は地獄に落ちてしまいます。」と答えました。
すると質問した日本人は、次のように言って泣いてしまいました。
「先祖が地獄に行くなんて、あなたたちの神様は無慈悲だし、無能じゃないか。
全能の神なら先祖くらい救ってくれてもいいじゃないか。」
私たちの教会は一般のキリスト教会から異端の扱いを受けています。
しかし、私はこの教会の教えの方に神様の愛を感じます。
第一ペテロには、死んだ人々に福音が宣べ伝えられていることが書かれていますが、
プロテスタントの教会でよく使われている新改訳聖書では、この部分が改訳されていて、
霊界では福音が宣べ伝えられていないことになっています。
当教会で使っている日本聖書協会の口語訳聖書と比べてみましょう。
1ペテロ3:19
口語訳
こうして、彼は獄に捕われている霊どものところに下って行き、
宣べ伝えることをされた。
新改訳
その霊においてキリストは、捕らわれている霊たちのところに言って
宣言されました。(つまり、地獄に行くことを宣言しただけ)
1ペテロ4:6
口語訳
死人にさえ福音が宣べ伝えられたのは、彼らは肉においては人間として
さばきを受けるが、霊においては神に従って生きるようになるためである。
新改訳
このさばきがあるために、死んだ人々にも生前、福音が宣べ伝えられて
いたのです。彼らが肉においては人間としてさばきを受けても、霊においては
神によって生きるためでした。
1コリント15:29
口語訳
そうでないとすれば、死者のためにバプテスマを受ける人々は、なぜそれをするのだろうか。
もし死者が全くよみがえらないとすれば、なぜ人々が死者のためにバプテスマを受けるのか。
新改訳
そうでなかったら、死者のためにバプテスマを受ける人たちは、何をしようとしているのですか。
死者は決してよみがえらないのなら、その人たちは、なぜ死者のためにバプテスマを受けるのですか。
新改訳聖書にも「死者のためにバプテスマ」を行っていたことが記載されています。
プロテスタントのある牧師の解釈は、以下のとおりです。
「当時、死者のためのバプテスマを行っていたクリスチャンのグループがありました。
死者のためのバプテスマは正統的教義ではありませんでした。
彼らは、教会に正しくない考えを持ち込んでいました。
異端の彼らでも、死者が復活するという正しい教義を信じているということを
パウロは記したに過ぎません。」
この牧師の話を聞いて、私は本当に悲しい気持ちになりました。
ジョセフ・スミスが最初に父なる神様とイエス様の訪れを受けたとき、
イエス様が次のように言われた気持ちが理解できました。
「彼らの信条はことごとくその目に忌まわしいものであり、信仰を告白するそれら
の者たちはすべて腐敗しており、彼らは唇をもってわたしに近づくが、その心は
わたしから遠く離れている。彼らは人の戒めを教義として教え、神を敬うさまを
するけれども神の力を否定している。」
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