聖餐会の話
2024年4月21日
最近、病気をして、しばらく教会を休んでおりました。
腎臓の出口に大きな石ができまして、出口をふさぐので、
作られた尿が排出できなくて、腎臓が通常の2倍程度に腫れていました。
この石は自然に排出できないほど大きかったので手術して取り除く
必要がありました。
そのため入院し、手術し、その後の療養のため、
3か月ほど教会をお休みしていました。
多くの方々にご迷惑をおかけしました。
私のためにお祈りをしていただいた方がいらっしゃいました。
とてもありがとうございました。
おかげさまで、何の問題もなく、回復することができました。
この間、痛みなどがあり、苦しい思いをしました。
しかし、絶望感や憤りの気持ちを持つことなく、穏やかに過ごせました。
私たちには聖霊の賜物が与えられていて、どのような状態にあっても、
神様からの愛を感じることができます。
また、神様からの助け、導き、慰め、癒しをいただくことができます。
このことに感謝しています。
苦しみの中でも、幸福感を得ていました。
心楽しく忍耐することができました。(モーサヤ24:15)
腎臓が2つあることに感謝しました。
もし、1つだったら、すでに死んでいたでしょう。
医療技術が発達した時代に生まれたことに感謝しました。
そうでなければ、50歳までに死んでいたことでしょう。
江戸時代までの平均寿命が50歳だということに納得できます。
手術、療養期間中は東京に戻っていました。
その間、家族と過ごせたことに感謝しました。
私は2、3年ごとに手術を受けなければならない病気を繰り返しています。
尿路結石で3回、大腸の腫瘍で2回、前立腺の腫瘍で1回です。
神様、よく病気になる弱いからだをいただいたことに感謝しています。
そのたびに、あなたさまを思い起こし、身近に感じることができるからです。
本題の神殿と家族歴史活動の話に移ります。
沖縄神殿が建設が発表されたあと、沖縄ステークでは、教会員に、
先祖の記録を神殿に提出するように提案しました。
私は、直系の先祖については、戸籍から得られる分はすでに儀式を済ませていたので、
傍系の家族について、記録を提出することにしました。
傍系とは直系の先祖の子孫のことで、たとえば、おじ、おば、いとこなどです。
すでに手に入れていた戸籍から、傍系の親戚の名前などを拾い、
268人の名前を提出することができました。
ただ、自動車を持っていませんので、自力では神殿にはいくことができませんでした。
ワードの団体参入にまぜてもらって、神殿に行く人の自動車に乗せてもらい、
少しずつやっていこうと思ってました。
2月4日、沖縄市で行われたステーク大会の帰り、C兄弟の車に乗せてもらい、
一緒に帰っていたとき、C兄弟と神殿と系図の話をしました。その中で、
268人の名前は提出したものの、神殿に行って儀式を受ける機会がないことを
話をしました。C兄弟はF兄弟に相談してみてはどうかとアドバスしてくれました。
そのあと、風邪を引いたり、東京に出張があったりして、2週間連続で、
教会にいくことがなかったので、F兄弟に相談をする機会がありませんでした。
しかし、その間、C兄弟がF兄弟に、このことを話してくださったので、
2月19日にF兄弟からわざわざ電話をしてくださいました。
2月24日のワードの団体参入は、定員いっぱいなので、別に団体参入を企画して、
そこで、私が神殿に行けるようにしてくださるという提案をしていただきました。
また、F兄弟は毎週木曜日と金曜日の夜に神殿に行っているので、そのときに
わたしの家族のバプテスマを行ってくださることも提案していただきました。
私はそのご提案を受けることにして、次の日に教会の家族歴史の部屋でF兄弟と
会って、168人の儀式カードを印刷し、F兄弟にお渡ししました。
特別なワードの団体参入は3月9日に行われることになりました。
3月9日までにF兄弟とF姉妹は、93人のバプテスマを受けてくれました。
3月9日には、16人の方々が参加してくださり、75人のバプテスマを受けてくれ
ました。合わせて168人の儀式を終えることができました。
このわずかな期間にこの数を達成できたことを奇跡だと思いました。
F兄弟をはじめ、協力してくださったすべての方々に感謝します。
この経験から分かったことは、自分ができるところまで行うと、
自分ではできない分は、神様が補ってくださるということでした。
40年ほど前の話をします。
私は、16歳でこの教会に出会いましたが、両親の反対があり20歳までバプテスマを
受けられませんでした。しかし、その間、教会に通うことは許されました。
教会に通う中で、私の先祖の救いは子孫の中で唯一この教会に導かれた私にかかって
いると分かりましたので、教会員ではないですが、先祖の救いに係ることにしました。
先祖について調べ、系図と家族の記録を作り、神殿に提出しました。
戸籍で調べられる範囲はやりつくしたので、他に記録を持ている親戚はいないか、
両親に尋ねました。両親は私の作った系図を見て関心してくれました。
そして、両親は私の作った系図のコピーを親戚に送ってくれて、これ以上の情報は
ないか、尋ねてくれました。結果はそれ以上の情報を持つ親戚はいませんでした。
しかし、私の作った系図は親戚の間で好評を得ました。
父は、手書きの系図をワープロで清書してくれて、親戚中に配っていました。
そんなこともあってか、私が20歳になるころには、両親は多少心を和らげてくれて、
しぶしぶながらも、教会に入ることを認めてくれました。
この経験からわかったことは、自分ができるところまで行うと、
神様が問題解決の道を示してくださるということでした。
霊界にいる人々について話をします。
霊界には2つの区域があります。パラダイスとひとやです。
ひとやという言葉は昔の言い方です。これは牢屋や刑務所のことです。
パラダイスには、キリストの福音を受け入れて、福音の儀式を受けた人が行きます。
パラダイスでは、この世のつらいことから解放されて、やすみと平安を得ます。
ひとやには、キリストの福音を受け入れなかった人が行きます。
ひとやでは、この世で犯した罪について反省をします。
残念なことに、キリストの福音に接する機会のなかった人もひとやにいます。
そういうわけもあって、ひとやにいる人はとても多いです。
ひとやの人たちは、パラダイスから来た宣教師から福音を聞くことができます。
キリストの福音を受け入れて、神殿で行われる身代わりのバプテスマを受けた人は
ひとやから解放されてパラダイスに行くことができます。
さらに、身代わりのエンダウメントの儀式を受けた人は、宣教師になって、
ひとやの人たちにキリストの福音を教えることができます。
この世でも、宣教師になる人は、伝道に出る前にエンダウメントの儀式を受けますが、
同じような感じです。エンダウメントの儀式でイスラエルの集合の力を受けます。
ひとやにいる人たちは、自分の子孫がキリストの教会に入り、
身代わりの儀式を受けてくれることをこころ待ちにしています。
最近の時代に生まれて、戸籍などで生存した記録が残っている人は、恵まれていますが、
古い時代の人は、よほどの有名人でない限り、しばらく儀式を受ける機会はありません。
しかし、現在、記録が残っていない人たちは福千年に儀式を受けることができます。
というか、福千年はそのためにあります。
福千年では身代わりのバプテスマを受けた人は、すぐに復活して肉体を得ます。
儀式を受けると、復活した人が次々に現れる様子を想像すると、わくわくします。
復活した人の情報を元に、さらに先祖の身代わりの儀式が行われていきます。
このように、新しい時代の人からさかのぼって、古い時代の人の身代わりの儀式が
続いていき、最終的にはすべての人の身代わりの儀式が終わります。
アダムの時代から現在まで約1000億人の人がこの世に生を受けました。
1000年間にこの数をこなすには、1年間に約1億人の儀式を行う必要があります。
福千年では神殿は3交代制の工場やコンビニのように24時間フル稼働します。
福千年に向けて多くの神殿が必要です。
ネルソン大管長になってから168の神殿建設が発表され、建設ラッシュが続いています。
ネルソン大管長になる前に奉献された神殿の数が159ですから、すごい勢いです。
これは、福千年に向けての準備なのだと思います。
霊界には悪霊たちがいません。福音を広めることに対して邪魔するものがないので、
ほとんどの人が福音を受け入れます。
福千年の間は悪霊たちは縛られますので、人々を誘惑することができません。
神殿には、悪霊たちは入ることができません。
悪霊がいないという点においては、神殿では、霊界や福千年を体験できます。
大阪神殿の話をします。
沖縄神殿の奉献式を待たずに、大阪神殿の発表がありました。
そして、つい最近、その建設地が大阪府枚方市であるとの発表ありました。
枚方は私の実家があるところで、今も母と弟が住んでいます。
私は、枚方ワードでバプテスマを受けました。
神殿の建設地は、亡くなった父が埋葬されている霊園から歩いて行ける場所にあります。
父の墓参りをした帰りに、神殿に寄ることができます。
偶然とは言えないような縁を感じます。
大阪神殿の建設地は元、大阪国際大学のキャンパスがあったところです。
大学の建物は今も取り壊されずに残っています。
講堂があるので、ここで大会や青少年の合宿ができそうです。
もしかしたら、教会の大学の日本校が併設されるかもしれません。
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