わたしの兄弟ペテロ

わたしの兄弟ペテロ
スペンサー・W・キンボール

 今日わたしは、わたしの兄弟であり、仲間であり、また同じ使徒の一人であ
るバルヨナ・シモン、あるいはケパ、岩と呼ばれたペテロについてお話しした
い。

 以前ある地方紙の日曜版の復活祭特別記事に、一人の牧師の論説が掲載され
ていた。その中で彼は、初期の教会の指導者がつまずいたのは、自己を過信し、
優柔不断に陥り、邪悪な人々と交わり、謙遜になって祈ることを忘れ、ただ人
目を気にするようになったからであると、幾つかの理由を挙げていた。そして、
最後にこう結んでいた。

 「わたしたちは、特にキリスト教徒として、また神の言葉を守って生活する
ことを宣言した者として、ペテロが犯したと同じ過ちや堕落を繰り返してはな
らない。」(ドージイ・E・テント牧師“A Message for This Week”「今週の
メッセージ」)

 わたしはこの記事を読んで、なぜか不思議な心の動揺を覚えた。わたしは非
常なショックを受け、身震いがした。体中の血が熱くなって激しい感情が込み
上げるのを覚えた。わたしは何かで打ちのめされたような気持ちだった。とい
うのも、ペテロはわたしが愛する兄弟であり、同僚であり、わたしの模範であ
り、神から油を注がれた預言者だからである。わたしは小さな声でつぶやいた。
「そんなことがあろうはずがない。この人はわたしの兄弟を中傷しているのだ。」

示現を見た人

 そこで、わたしは『新約聖書』を開いた。けれども『聖書』からはどうして
もこの牧師が記したような性格面を見つけることができなかった。わたしがそ
こに見たのは、数々の経験と苦難を経て完全な者となった一人の人間、示現や
啓示を受け、主イエス・キリストより全幅の信頼を得ていた一人の人間の姿で
あった。

 わたしはペテロがあの恐るべき場面で主を知らないと3度言った、悲しむべ
き出来事を知っている。しかしペテロが涙を流して悔い改めたことも知ってい
る。ペテロは何度も何度も主から叱責を受け、その経験を通して多くのことを
学んでいた。しかもペテロは同じ過ちを二度と繰り返すことはなかったようで
ある。何の教育も訓練も受けていない貧しい一人の漁師が、最も偉人な教師に
見守られて、大いなる信仰と雄々しい指導力、揺るぎない証と比類ない勇気、
そしてほとんど限界を知らないほどの理解力を持つようになるまで、頂を目指
して一歩一歩登っていく姿がわたしには見える。また一人の弟子にすぎなかっ
た者が、主の教会とその王国を管理する第1の使徒となっていく姿が目に見え
る。さらには、ペテロが険しい変貌の山を一生懸命登っていくあえぎが耳に聞
こえる。ペテロはそこで言葉に表すこともできないような出来事を見聞きし、
神なるエロヒム、贖い主エホバ、そのほかの天使たちの前に立つという、わた
したちの想像を絶するような経験をしたのだった。

 ペテロは、主がヨルダン川でバプテマスを受けてから、贖い主としてオリブ
山で昇天されるまでの驚くべき出来事をすべてその目で見、その耳で聞き、理
解したのである。

 この偉大な教会の管理者が教会を導いている姿が目に浮かぶ。病人を癒し、
悩んでいる人々を元どおりにしている姿が目に見えるようである。また、彼の
力強い説教が耳に聞こえる。また殉教の場へとひるまず、黙々と歩いて行くペ
テロの姿、「苦い杯を飲む」姿が目に見えるようである。

 それにもかかわらず、この牧師はペテロをけなし、容赦なく切り捨て、軽々
しく扱っている。

 シモン・ペテロに向けられる批判の多くは、ペテロが主を知らないと言った
ことに集中している。そのために「臆病者」のレッテルをはられてきた。しか
し、わたしたちはペテロが知らないと言った真意を知っているだろうか。ペテ
ロはすでに仕事を捨て、世俗的な一切のものをこの大義のために祭壇にささげ
ていた。たとえペテロが臆病であり、その臆病のゆえに主を認めなかったとし
ても、まだ学ぶべきことがある。死すべき肉体を持つがゆえの利己心と弱さを、
ペテロほど完全に克服した人がいるだろうか。ペテロほど心からの悔い改めを
した人がほかにいるだろうか。またペテロは荒々しく衝動的で、それでいて優
矛不断で、分別に欠けるとの非難を受けていた。もしこれらが真実だとすれば、
わたしはこう尋ねてみたい。ペテロほどその弱点を完全に克服した人がほかに
いるだろうか、と。

最初の使徒

 主に従った者の中には多くの立派な人がいたが、ケパがその第1に挙げられ
た。主はナタナエルの正直さ、ヨハネの優しさ、愛の深さ、ニコデモの博学な
こと、ヤコブやそのほかの兄弟たちの信仰と献身などをすべてよく知っておら
れた。キリストは人々の心の思いを知り、彼らの信仰を表すさまを見てこられ
た。言い換えれば、イエスはひととなりを知っておられた。そのうえで、これ
らの人々の中から、教会の安定を図り、人々に福音を受け入れさせ、真理に従
うように教えるための徳、力、そして指導性を備えたこの偉大な人物を選ばれ
たのだった。

 キリストは偶然にこの漁師を第1の使徒として選ばれたのではなかった。キ
リストは原石のダイヤモンドの中から、過ちを正し、叱責を与え、試練に遭わ
せることによって形を整え、研磨を必要とするダイヤモンドを、しかも良質の
ものを選ばれたのである。救い主はこの使徒ならば王国の鍵を与え、結び解く
権能を与えても心配ないことを知っておられたのである。ペテロもほかの人と
同様、進歩の過程で幾つかの過ちを犯したかもしれない。それでもペテロは神
の王国の指導者として、確実で、信頼に値する者であったのだろう。そんなペ
テロもそれほど完全な教師のもとにありながら、この広大な福音の計画をわず
か3年そこそこで知り尽くすことはできなかったのである。

 ペテロはイエスにこう尋ねている。
 「『ごらんなさい、わたしたちは一切を捨てて、あなたに従いました。つい
ては、何がいただけるでしょうか。』イエスは彼らに言われた、『よく聞いて
おくがよい。世が改まって、人の子がその栄光の座につく時には、わたしに従
ってきたあなたがたもまた、十二の位に座してイスラエルの十二の部族をさば
くであろう。』」(マタイ19:27−28)

 全知全能の主が、落伍したふさわしくない人にそれらの鍵と権能を与えられ
るだろうか。もしペテロが臆病者だとすれば、どうしてそれほど短期問に勇敢
になれるだろうか。

 もしペテロが弱く、優柔不断であったならば、どうして数週間、数か月でこ
れほど強く、積極的になれるだろうか。

 もしペテロが不親切であったならば、瞬間的に愛と同情を表す人間に変わる
ことなどできるだろうか。

 人は責任を受けることによって鍛練され、高められるが、普通それには時間
がかかる。

 ペテロが庭で主との関係を否定したとき、もし恐れていたのならば、それよ
り数時間前に圧倒的な力を誇る夜襲の群れに向かって剣を抜いて立ち向った勇
気はどこから出てきたのだろうか。さらに後日には国と教会の指導者を含めた
人々をとがめてこう言っている。「あなたがたは彼〔キリスト〕を不法の人々
の手で十字架につけて殺した。」(使徒2:23)また「美しの門」の所で足の
利かない男を癒したことを聞いて驚いている人々に向かってペテロは言った。
「イスラエルの人たちよ…わたしたちの神は…イエスに栄光を賜わったのであ
るが…あなたがたは、この聖なる正しいかたを拒んで…いのちの君を殺してし
まった。しかし、神はこのイエスを死人の中から、よみがえらせた。わたしは、
その事の証人である。」(使徒3:12−15)

 これが臆病者の言う言葉だろうか。気の弱い者が聞いたら、圧倒されてしま
いそうなペテロの発言である。ペテロはキリストが神の御子であられることを
否定したことは一度もなかった。ペテロが否定したのは、ただキリストと知り
合いであるかどうかということであって、これはまったく別問題である。

 ペテロが否定したのは、心の中に混乱があったからであろうか。それとも、
救いの計画を十分に理解していなかったためであろうか。人々の指導者であっ
たペテロは、悪魔の攻撃の的となっていたのである。かつて主は、次のように
言われた。

 「シモン、シモン、見よ、サタンはあなたがたを麦のようにふるいにかける
ことを願って許された。しかし、わたしはあなたの信仰がなくならないように、
あなたのために祈った。」(ルカ22:31−32)

 ペテロは烈火の下に置かれ、地獄の全軍が彼に攻撃をかけてきた。救い主が
十字架にかけられる賽はすでに投げられていた。もしここでシモンを滅ぼすこ
とができたとしたら、サタンは勝利の駒を進めることができたであろう。すべ
ての生者の中で最も大いなる人物がここにいる。そこでルシフェルは、彼を混
乱と挫折の中に引き倒し、彼の信望を損ない、彼を完全に破滅させたいと考え
たのであった。しかし、そのようなことができるはずがなかった。ペテロはア
ブラハムと同じように、天において崇高な目的のために選ばれ、聖任されてい
たからである。

 ペテロは、裁きの座に向かわれる救い主の後を追って、大祭司の邸宅の中庭
に入って行った。このときのペテロに、ほかに何ができたであろうか。ペテロ
は、救い主が群衆の間をすり抜けて何度も危機を脱してこられたことを知って
いた。今回もそうなさるかもしれない。

 主は十字架の刑と復活のことをすでに教えておられたが、シモンやほかの弟
子たらは、主の教えの意味を完全には理解していなかった。この教えはそれほ
ど聞き慣れないものだったのだろうか。確かに、いまだかつてイエスに比肩す
るほどの人物はいなかったし、またこのような出来事もなかった。また、1,900年
もの間、確実な証拠をもって復活のことが宣べ伝えられていながら、今なお大
勢の人々がその事実を理解できずにいる。そのことを考え合わせれば、ペテロ
たちが復活について十分に理解できなかったとしても、非難できないのではな
いだろうか。

 ペテロは3度主を知らないと言ったが、その理由がほかにあったと考えるこ
とはできないだろうか。あのような状況の下で、公正に判断されると考えられ
たであろうか。ピリポ・カイザリヤの地方で力強く証を述べたときのことを思
い出していただきたい。ペテロはイエスから、「自分がキリストであることを
だれにも言ってはいけない」(マタイ16:20)と、口止めされている。

 また、3人の使徒が山を下って来たときも、「人の子が死人の中からよみが
えるまでは、いま見たことをだれにも話してはならない」(マタイ17:9)と
命じられた。ペテロは、キリストについてまだ語る時ではないと、そのとき考
えたのではないだろうか。ナザレの町の人々が救い主を、「その町が建ってい
る丘のがけまでひっぱっていって、突き落とそうとした」とき、イエスが「彼
らのまん中を通り抜けて、去って行かれた」(ルカ4:29−30)ことがあった。
そのときに主と一緒にいたペテロは、イエスを臆病者と見たりせず、賢明な御
方であると考えた。キリストの時はまだ来ていなかったのである。

主の十字架の刑が近づいて

 「イエス・キリストは、自分が必ずエルサレムに行き、長老、祭司長、律法
学者たちから多くの苦しみを受け、殺され、そして三日目によみがえるべきこ
とを、弟子たちに示しはじめられた。」(マタイ16:21)迫り来る危機につい
て説こうとされた救い主に、ペテロはそのような不吉なことをお考えにならな
いようにとどめようとした(マタイ16:21参照)。しかし逆に、主から激しい
叱責を受けた。そのときペテロはその悲惨な出来事が起こるのは主の御心であ
ると悟ったに違いない。

 しかしペテロは、その時が今訪れたことを、まだ十分に理解していなかった
のかもしれない。こうして彼は、救い主御自身から、来るべき十字架の刑を妨
げてはならないと厳しく戒められた。そのとき、彼の心は動揺したのではない
だろうか。恐らく、その瞬間は動揺したことだろう。救われる可能性のまった
くない敵の陣中で、主を守れる人がだれかいるだろうか。特に、ペテロのよう
に、切迫した大事に抵抗してはならないと厳しく戒められた場合はどうであろ
うか。ペテロは、「剣と棒とを持って」イエスを捕らえに来た「大ぜいの群衆」
(マタイ26:47)に単身で剣を持って立ち向かったような人物である。暴徒の
あらゆる虐待と策略からイエスを守ろうとしたペテロである。主はそのペテロ
をお止めになったのであった。

 救い主は自らを犠牲にするために、ゲツセマネの園から静かに出て行かれた。
そのときシモンは、主を守るために大勢の暴徒に向かって勇敢にも剣を振りか
ざした。そして、わが身の危険も顧みずに、卑劣なマルコスに切りかかり、彼
の耳を切り落とした。しかし主は、自分の身の危険も忘れて勇敢に立ち向かう
ペテロをお止めになり、この忠実な使徒に次のように言われた。

 「あなたの剣をもとの所におさめなさい。剣をとる者はみな、剣で滅びる。
それとも、わたしが父に願って、天の使たちを十二軍団以上も、今つかわして
いただくことができないと、あなたは思うのか。」(マタイ26:52−53)

 これ以上、ペテロに何ができたであろうか。ほかにどのような方法で、忠誠
と勇気を示すことができたであろうか。ペテロはこの最後の時に当たって、主
を守るのをやめなければならない、十字架の刑は避けられない、自分が何をし
たところで主は御自分の行く末に向かって歩まれる、ということに気づいたと
は考えられないだろうか。確かなことは分からないが、しかしわたしに分かる
ことはただ一つ、使徒ペテロは勇敢で、恐れ知らずであったということである。

 事態は急速に展開した。ペテロは一時ゲツセマネで主を守ろうと努めたが、
次には、暴徒の後について行った。救い主は彼らの侮辱を甘んじて受けておら
れた。そのような状態の下で、ペテロは何をすればよいのだろうか。

 ペテロはかつて救い主にこう述べた。「たとい、みんなの者があなたにつま
ずいても、わたしは決してつまずきません。」(マタイ26:33)これに対して、
救い主は次のように言われた。「今夜、鶏が鳴く前に、あなたは三度わたしを
知らないと言うだろう。」(マタイ26:34)

 これは重大な瞬間であった。ペテロが主を守ろうとして剣を振り上げたのは、
この預言が述べられた後のことである。ペテロは何とかして主を守ろうとした。
しかし、その目の前で一人の使徒が接吻をもって、主を裏切ったのである。け
れども主はその使徒をとがめられなかった。しかも、ペテロは剣を収めるよう
に命じられた。必要ならば、天使を呼ぶこともできると、主は言われるのであ
る。悲しみに暮れるペテロは、主をなじる群衆について行った。しかし、これ
は決してペテロがイエスを見捨てたというわけではない。ペテロは最後まで主
に従おうとしたことだろう。群衆のごうごうたる非難の声を耳にし、主に対す
る屈辱的な行為を目にし、裁判の不公正を感じ、偽りの証人の偽証を聞いた。
ペテロは、聖なる御方の顔に汚ないつばを吐きかける群衆を見た。人々は主を
打ち、殴り、侮辱した。しかし主はまったく抵抗せず、天の軍勢を呼び求める
こともなく、神の憐れみも求められなかった。そのような主を見て、ペテロは
何を考えればよいのだろうか。

ペテロの否定

 そのとき、一人の敏感な女中がペテロに向かって、「あなたもあのガリラヤ
人イエスと一緒だった」(マタイ26:69)と言いだした。このような状況の下
で、ペテロはどのように主を守ることができたであろうか。また、そうするこ
とがイエスの御心にかなうことだろうか。何の効果もなく、ペテロ自身を破滅
に陥れることになりはしないだろうか。キリストはその同じ夜に、争うことの
ないようペテロに禁じておられたが、今争ってよいものだろうか。

 すると、もう一人の女中が、その場に居合わせた者たちにこう言った。「こ
の人はナザレ人イエスと一緒だった。」(マタイ26:71)それに対してペテロ
は、「そんな人は知らない」(マタイ26:72)と答えた。その言い方にガリラ
ヤ地方のなまりがあることに気づいた人々が、「確かにあなたも彼らの仲間だ。
言葉づかいであなたのことがわかる」(マタイ26:73)と言った。

 ペテロはどうすればよかったであろうか。何かできたであろうか。イエスの
弟子であることを認めていたら、どうなっていたであろうか。生き長らえて、
教会を管理することができたであろうか。ペテロはそれまでに何度となく、救
い主が群衆の手から逃れ、主を殺そうとした人々から身を隠されたのを見てき
た。そのため、ペテロは、主を知らないと答えた方が得策であると考えたので
はないだろうか。ペテロは、主が繰り返し語られた「わたしの時は、まだきて
いません」(ヨハネ2:4)という言葉の背後の意味を知っていただろうか。ま
た、「今や人の子は栄光を受けた」(ヨハネ13:31)という言葉の意味を、今
理解していただろうか。

 わたしは、あの恐ろしい夜のペテロの心の動きについて知ったかぶりするつ
もりはない。また、彼がどうしてあのような行動をとったか明言できる立場に
もない。しかし、聖典に記された彼の雄々しさ、彼の勇気、大きな献身、主へ
の限りない愛を考えたときに、そのような彼を不審に思うことは妥当であろう
か。少なくとも、救い主がなさったように、ペテロを赦すのがわたしたちの取
るべき道ではないだろうか。キリストは、ほとんど時を移さず、ペテロを教会
の最高の地位に引き上げ、王国のすべての鍵を彼に託しておられるからである。

 バルヨナ・シモンは、事の重大さを熟慮したり、決心を翻したりする余裕な
く、鶏の鳴き声が聞こえてきた。そこで初めてキリストの預言を思い出したペ
テロは、後悔の念に駆られた。夜明けを告げる鶏の声を耳にしたペテロの胸に
去来したものは、主を否定した事実だけでなく、十字架上の死も含めて、主の
言われた事柄がすべて成就するであろうという恐れもあった。そしてペテロは、
外に出て行き、激しく泣いた。その涙は、自己を悔いるためだけのものであっ
ただろうか。それとも、主を失うことに気づいた悲しみの涙であったと見るべ
きだろうか。

 この出来事があってからわずか数十時間後に、ペテロは、キリストの信者の
頭として真っ先に墓に駆けつけている。また、それから数週間後に聖徒たちを
集めて、強いきずなで結ばれた組織を作り上げたのであった。しかしそのペテ
ロも、間もなく投獄され、鞭打たれ、なじられ、「麦のようにふるいにかけ」
(ルカ22:31)られると預言されたキリストの言葉どおりの道を歩んだのであ
った。

ペテロの生い立ち

 ヨナの子、シモン・ペテロの比類なき生涯は最も卑しい環境の中に始まる。
一介の漁師であり、かつては「無学な、ただの人」と呼ばれていた一人の男が
知識のはしごを一段一段登って行き、ついに天父エロヒム、御子エホバ、さら
には人類に対するキリストの計画やキリストと人々との関係などについて、ほ
かに追従を許さないまでになったのである。ペテロは霊的かつ敬度な人であっ
た。恐らく自ら進んでヨルダン川に行き、バプテスマのヨハネの力強い説教を
聞いたことだろう。将来自分の身にどのような偉大なことが起こるかについて
は何も知らなかった。そこで預言者の声を聞き、彼からバプテスマを受けたこ
とだろう。

 ペテロの兄弟アンデレはこう言っている。「わたしたちはメシヤ(訳せば、
キリスト)にいま出会った。」(ヨハネ1:41)彼らはバプテスマのヨハネが
「見よ、世の罪を取り除く神の小羊」(ヨハネ1:29)と叫ぶのを間違いなく
耳にしたのである。生ける神、天父の声を聞き、いまやイエスが神の独り子で
あられることを知ったこの謙遜な漁師は、心を大きく揺さぶられたに違いない。

 このときシモン・ペテロはまだ偉大な責任を受ける備えができていなかった。
しかし、主はペテロの将来性を見抜いておられた。彼が召された日から始まっ
た集中訓練によって、この卑しい一人の男とその仲間たちは偉大な指導者とな
り、不死不滅と永遠の命を受けるほどになったのである。

 シモン・ペテロは霊的にも、わずかな教育しか受けていなかった。しかし、
当時彼は偉大な教師といつも一緒にいた。山上の垂訓を耳にし、舟の中では贖
い主とともに立って、群衆に告げる力強い説教を聴いていた。また会堂の中で
は座って、創造主の力強い、説得力のある言葉に耳を傾けていた。ほこりっぽ
い、岩だらけのガリラヤの道を旅する間中、聖典の言葉の釈き明かしを受けて
いたのである。ともに食し、ともに寝て、ともに歩くとき、きっと主は数々の
質問に答えられたであろう。その一つ一つの時間は宝石にたとえられるほど貴
重なものであった。また、人々に語るいろいろなたとえを聞き、その中から大
切な教訓を学んだ。

 こうしてペテロは実際の生活の中で次々に明らかにされていく神聖な事柄を
耳にしていたのであった。しかし、容易に理解できる教えばかりではなかった。
この世のものとも思えないような経験をし、理解に苦しむこともあった。闇を
投げかける陰や低く垂れ込める雲と知っても、その意味をはっきり理解するこ
とはできなかった。あのような方法で命を投げ出す人を見たことがなかった。
ましてや、復活した人などを見たことがなかった。これらの真理を理解するに
は、かなりの時間を必要としたのである。ペテロでさえ、霊的な指導者という
意味だけの救い主を考えることは難しかったのである。ペテロはキリストが剣
を取って、イスラエルを救われることを心ひそかに期待していた。しかしゲツ
セマネの出来事が終わり、ゴルゴタが現実の悪夢となり、やがて主はよみがえ
り、天に昇られた。慰め主の訪れを受けたとき、ペテロの心は想像を絶するよ
うな偉大な真理に覆われ、包まれてしまったのである。その結果、これまで混
沌としていた知識が整理され、鮮やかに意味を浮き彫りにしてきたのである。
こうして、ペテロ、ヤコブ、ヨハネとその仲間たちはかたくなで不従順な世界
の人々を改宗させるために出て行ったのである。

 ペテロはいつも信仰に満ちあふれていた。躊躇したことなど一度もなかった。
舟と網を捨てたその日から、主を離れることはなかった。あの主を否定したと
きも、ペテロはできるだけ主の近くにいようとしていた。その使徒を批判した
あの人に同じ立場に立ってもらおうではないか。残酷な敵、迫害者、暗殺者た
ちの中にいて、主を守ることのできないむなしさを募らせながら、主の最後の
時が来るのを待つときの心境を。自分を十字架にかけた人々を赦されたイエス
が、自分を否定したということだけで、ペテロをお赦しにならないことがある
だろうか。

 ペテロは信仰の人であった。病人はペテロの影が体にかかるだけで癒された。
牢獄の壁も彼を閉じ込めておくことはできなかった。彼によって、死者は生き
返った。また海上を歩いたこともあった。歩き続けることはできなかったが、
ほかに海の上を歩いた人がいるだろうか。ペテロのあの小さな心の動揺をあざ
ける者にそれだけのことができるかどうか試してもらおうではないか。

 シモン・ペテロは謙遜な人であった。ペテロは聖なる山でともに立ち、ゲツ
セマネの園で悲しみを分かち合ったヤコブとヨハネを尊敬していた。恐らくペ
テロが管理する権能を持つ者として初めてその力を使ったのは、大会を召集し
たときであろう。聖徒たちはそこに集まって、十二使徒定員会の空席を補充す
る決定をしたのだった。そして、一人の証人が新しく選ばれたのである。

 足の利かない男がペテロとヨハネの癒しによって歩きだしたとき、驚きあき
れている群衆を見たペテロは、イスラエルの神を敬って次のように言った。
「わたしたちが自分の力や信心で、あの人を歩かせたかのように、なぜわたし
たちを見つめているのか。」(使徒3:12)またドルカス・タビタが亡くなっ
たときも、人々に見せびらかしたりせずに、ただ「みんなの者を外に出し、ひ
ざまずいて」祈り、それから生き返ったタビタをその友達に見せたのであった
(使徒9:40−41参照)。

 ペテロはまた脅迫、鞭打ち、中傷のすべてを甘んじて受けた。けれども主を
非難した人々に対しては「人間に従うよりは、神に従うべきである」と戒めた。
また人々の前にひるむことなく立って、贖い主を殺したことを責めた。魔術師
シモンに対しては、「おまえの金は、おまえもろとも、うせてしまえ」(使徒
8:20)と言ってしかった。またほかの使徒たちの前に立って、異邦人たちを
受け入れるようにとの教会の方針の大幅な変更を発表している。

 シモン・ペテロはまた霊的な預言者であった。教会に関する数々の啓示を受
けた。天使はいつもペテロとともにいて、ペテロを牢獄から救った。また偉大
な示現によって、数百万の誠実な人々を導く道を示された。

 ペテロの証は岩のようで、その信仰は揺るぎないものであった。ほかの人々
に見捨てられた救い主は、ペテロに「あなたがたも去ろうとするのか」(ヨハ
ネ6:67)と言われた。するとペテロは答えた。「主よ、わたしたちは、だれ
のところに行きましょう。永遠の命の言をもっているのはあなたです。」
(マタイ6:68)また、十字架におかかりになる日の近づいたあるとき、主は
尋ねたもうた。「それでは、あなたがたはわたしをだれと言うか。」(マタイ
16:15)これに対する、神の啓示を受けたペテロの答えは、彼の力と性格をよ
く表している。「あなたこそ、生ける神の子キリストです。」(マタイ16:16)
すると、救い主はこう言われた。「あなたにこの事をあらわしたのは、血肉で
はなく、天にいますわたしの父である。」(マタイ16:17)ペテロは天使に会
い、迫害を受け、神の御子とともに過ごしてきた。また、慰め主の訪れを受け
ていた。そのため、二度と彼の心は揺らぐことなく、心に疑念を抱くこともな
かった。

ペテロの教え

 シモン・ペテロの教えは、万人に向けたものであり、後の時代の人々もその
対象となっている。ペテロは、キリストが神の御子であられることを絶えず証
した。また、自分の弱点を赦されたので、万人に赦し合うことを勧めた。純潔
を守り、徳高い生活を送るように勧めた。正直であるように教え、異邦人とと
もに平和に暮らすように勧めた。そのほか、王や政府、法律を尊び、悲しみや
苦しみに耐えるように、また主のために非難と苦しみを受けたら祝福と考える
ようにと、聖徒たちに教えた。ペテロは恐らく、不幸な結婚生活を送っている
人々を大勢見たのであろう。女性に対しては、妻として夫に従うように、また
善と優しさをもって不信心な夫を改宗に導くように戒めている。そして、男性
に対しては、妻を伴侶として敬い、愛し、思いやりを示し、大切にするように
と戒めている。さらに、親は子供に優しくし、子供は両親を敬い、両親に従う
こととしている。また、雇用主は使用人を大切にし公平に扱い、使用人は心か
ら喜んで働くようにと、ペテロは勧めている。さらに、清く、建設的な生活を
営むように教え、乱暴者や大酒飲み、道楽者、怠け者、快楽にふける者と交流
することを禁じている。そして、教会で奉仕し、まじめに生活し、信仰深く、
完全を目指して努力するように説いている。

 偉大な指導者ペテロは、自分の目で見、耳で聞いた奇しき出来事について、
繰り返し証を述べている。背教を予見したペテロは、自分の死後、忌まわしい
邪説をもって主を否定し、人々の心を惑わす偽りの教師が現れることを告げて
いる(2ペテロ2:1−3参照)。彼はまた、『旧約聖書』の記録が神の御心によ
るものであることを認め、ノアの洪水、ソドムとゴモラの滅び、そのほかの重
要な出来事を含む世界の歴史を説いた。純潔の律法を説く傍ら、かけ事や美食、
姦淫、不節制、強欲などの諸悪を公然と非難している。

 自分の師である主が苦い杯を飲まれたことと、どことなく似たペテロの殉教
の時が近づくにつれて、ペテロは自分の証と確信を人々に知らせようとした。
死の間際にいながら、無数の人々のために厳粛な宣言文をつづったのである。
そして教会員のために、「神とわたしたちの主イエスとを知る」ことができる
ようにと祈った(2ペテロ1:2参照)。さらに、「それらのものによって、尊
く、大いなる約束が、わたしたちに与えられている。それは、あなたがたが、
世にある欲のために滅びることを免れ、神の性質にあずかる者となるためであ
る」と言って神を賛美したのだった。

 さらにペテロは続けている。
 「兄弟たちよ。それだから、ますます励んで、あなたがたの受けた召しと選
びとを、確かなものにしなさい。…わたしがこの幕屋にいる間、あなたがたに
思い起させて、奮い立たせることが適当と思う。それは、わたしたちの主イエ
ス・キリストもわたしに示してくださったように、わたしのこの幕屋を脱ぎ去
る時が間近であることを知っているからである。わたしが世を去った後にも、
これらのことを、あなたがたにいつも思い出させるように努めよう。わたした
ちの主イエス・キリストの力と来臨とを、あなたがたに知らせた時、わたした
ちは、巧みな作り話を用いることはしなかった。わたしたちが、そのご威光の
目撃者なのだからである。イエスは父なる神からほまれと栄光とをお受けにな
ったが、その時、おごそかな栄光の中から次のようなみ声がかかったのである、
『これはわたしの愛する子、わたしの心にかなう者である。』わたしたちもイ
エスとともに聖なる山にいて、天から出たこの声を聞いたのである。」(2ペ
テロ1:10、13−18)

 ペテロはこの地上での務めをすべて終え、証を述べる日々を全うして殉教し
た。その死の間際にも執拗に迫るサタンの誘惑に屈することはなかった。死に
際のペテロの口を突いて出たのは彼自身の証をおいてほかになかった。

 しかし、シモン・ペテロは決して死んだのではなかった。彼の身に重大な変
化が起こっている。ペテロの肉体は一度は滅んだが、よみがえったのである。
忠実な友であるヤコブ、ヨハネとともに、シモン・ペテロはこの世に戻って来
て、この暗黒の時代の橋渡しをしたのである。彼らはともに、ペンシルベニア
州サスケハナ川の岸辺に現れ、若い預言者に王国の鍵を授けた。それは、使徒
たちが主イエス・キリストから授けられていたものである。

 使徒ペテロは今でも生きている。世の中の弱い者はその真理に気づかないの
である。何百万という人々がペテロの証を読み、その証によって奮い立たされ
てきた。ペテロはこれからも無限に生き続け、この世の人々に影響を及ぼし続
けることだろう。十二使徒の兄弟たちとともに、国々を裁くのはペテロなので
ある。

 若い兄弟姉妹の皆さん。わたしが心の中で感じていると同じように皆さんも
この偉大な預言者ペテロを愛し、受け入れてくださるように、イエス・キリス
トの名によって願うものである。アーメン。

(Speeches of the Year『年度講話』1971年、pp.1−8)

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