リアホナ
参照:(なし)
『モルモン書』に出てくる真鍮製の球。羅針盤のように方角を示す2本の指針が付いていた。また、リーハイとその一行が義にかなっていたときには、彼らに霊的な指示も与えた。主はリアホナを授けるとともに、それを通して様々な指示を与えられたのである。
純良な真鍮でできていて、その球の内部には2本の指針がある(1ニフ16:10)。
人々の信仰と熱意と注意力に応じて働いた(1ニフ16:28-29[アル37:40])。
ベニヤミンはその球を息子にゆだねた(モサ1:16)。
その球すなわち指示器はリアホナと呼ばれた(アル37:38)。
リアホナはキリストの言葉にたとえられた(アル37:43-45)。
『モルモン書』の三人の証人は、リーハイが授かった指示器を目にする(教義17:1)。
リーハイ(ニーファイ人の軍隊の司令官)(人名)
参照:(なし)
『モルモン書』の中の人物。ニーファイ人の軍隊の司令官(アル43:35-53;49:16-17;52:27-36;53:2;61:15-21)。
リーハイ(ニーファイ人の宣教師)(人名)
参照:ヒラマン(ヒラマンの息子)
『モルモン書』の中の人物。ヒラマンの息子であるヒラマンの息子。偉大な宣教師であった(ヒラ3:21;4:14)。
先祖を思い起こせるように、リーハイと名付けられた(ヒラ5:4-6)。
ニーファイとともに、多くの人を改心させ、投獄され、火に囲まれ、天使と語った(ヒラ5:14-48)。
日々多くの啓示を受けていた(ヒラ11:23)。
リーハイ(ニーファイの父)(人名)
参照:(なし)
『モルモン書』の中のヘブライ人の預言者。紀元前600年ごろに家族と自分に同行する人々を、エルサレムから西半球の約束の地へと導いた。リーハイは、『モルモン書』に登場する民の最初の預言者であった。
主の命令により、家族とともにエルサレムを脱出した(1ニフ2:1-4)。
エジプトに売られたヨセフの子孫であった(1ニフ5:14)。
主は彼に命の木の示現をお与えになった(1ニフ8:2-35)。
リーハイとその息子たちは1隻の船を造り、西半球へ向けて船出した(1ニフ17-18章)。
リーハイとその子孫は新たな地に定住した(1ニフ18:23-25)。
死を前にして、息子たちに祝福を授け、キリストについて、また末日に『モルモン書』が出されることについて教えた(2ニフ1-3章;4:1-12)。
【リーハイ書】
ジョセフ・スミスは『モルモン書』の翻訳に際して、まずリーハイ書から始めた。これは、モルモンがリーハイの版から要約した記録であった。この書を原稿の116ぺ一ジ分まで翻訳したジョセフは、短期間自分の筆記者として働いたマーティン・ハリスにその原稿を貸し与えた。そして、その原稿は失われてしまった。ジョセフはその分をリーハイ書から再翻訳せず、金版から関連のあるほかの部分を別に翻訳した(教義3章と10章の前書きを参照)。この別の翻訳が『モルモン書』の最初の6つの書である。
リウエル(人名)
参照:エテロ
理解
参照:真理,知恵,知識
生活への応用という点も含めて、真理について知り、その意味を把握すること。
あなたが何を得るにしても、悟りを得よ(箴言4:7)。
イエスは多くのたとえを語られたが、ある人々はそれを理解できなかった(マタ13:12-17)。
イエスは彼らの心を開いて(ルカ24:45)。
あなたがたが理解できないとすれば、それはあなたがたが求めないためである(2ニフ32:4[3ニフ17:3])。
これらのものが残されたのは、これを読んで神の奥義を理解するためであって(モサ1:2-5)。
彼らは自分の不信仰のために、神の言葉を理解できなかった(モサ26:3)。
彼らは正しい理解力を備えた人々であり(アル17:2-3)。
これはわたしの心を広げ、わたしの理解力に光を注ぎ(アル32:28)。
あなたがたが理解できるように、わたしたちは論じ合おう(教義50:10-12,19-23)。
親は子供に、理解するように教えなければならない(教義68:25)。
主の業と奥義は、聖なる御霊の力によってのみ理解することができる(教義76:114-116)。
サタンが彼らの心を真理からそらそうとしている(教義78:10)。
キリストの光はわたしたちの理解を活気づける(教義88:11)。
リグドン,シドニー(人名)
参照:(なし)
回復された当教会の初期の改宗者。1830年代から1840年代初頭にかけての指導者。大管長会の第一副管長として一時期ジョセフ・スミスに仕えた(教義35章;58:50,57;63:55-56;76:11-12,19-23;90:6;93:44;100:9-11;124:126)。後に背教し、1844年9月に破門された。
離婚
参照:結婚
国法あるいは宗教上の律法により婚姻関係を解消すること。『新約聖書』によると、神は人々の心がかたくなであったため、幾つかの条件の下に離婚を許された。しかし、イエスが説かれたように、「初めからそうではなかった」のである(マタ19:3-12)。聖典では一般に、離婚をしないようにとの勧告がなされ、夫と妻に対して、義をもって互いに愛し合うようにとの助言が与えられている(1コリ7:10-12;教義42:22)。
離散
参照:イスラエル-イスラエルの散乱
律法
参照:戒め(神の),従順;従う,祝福,モーセの律法
神が定められた戒め、あるいは定め。天においても地上においても、祝福や罰はすべて律法に基づいて与えられる。神の律法に従う人々は約束された祝福を受ける。預言者ジョセフ・スミスは、人は国法にも従い、それを尊び、支持しなければならないと教えた(箇条1:12)。
モーセの律法は、人々をキリストに導くための備えの律法であった。モーセの律法は、制限的規定や規則、儀式を定めたものであった。モーセの律法を成就した現在のキリストの律法は、完全な福音すなわち「完全な自由の律法」(新ヤコ1:25)である。
神はアダムに数々の戒めを与えられた(創世1:28;2:16-17)。
神はノアに律法を与えられた(創世9:1)。
主のおきては完全であって、魂を生きかえらせ(詩篇19:7)。
立法者であるかたは、ただひとりであって(新ヤコ4:12)。
律法がないところには罰がない(2ニフ9:25)。
律法が与えられている(アル42:17-22)。
人は律法により裁かれる(アル42:23)。
キリストは律法である(3ニフ15:9)。
律法はすべて霊にかかわるものである(教義29:34)。
ジョセフ・スミスは啓示により教会の律法を授けられた(教義42章)。
神の律法を守る者は、その地の法律を破る必要がない(教義58:21)。
キリストの光は万物を治める律法である(教義88:7-13)。
神は万物に律法を与えられた(教義88:42-43)。
人々は国の法律を守らなければならない(教義98:4-5)。
神から祝福を受けるときは、それが基づく律法に従うことによる(教義130:20-21)。
教会がこの世の法律に関する所信を宣言した(教義134章)。
全人類は福音の律法と儀式に従うことによって救われ得る(箇条1:3)。
律法学者
参照:(なし)
旧約の時代に聖文を筆写する務めを持っていた「書記」(エレ8:8)が、後に律法を解釈する者になり、新約の時代には「律法学者」と呼ばれるようになった(マタ13:52;マコ2:16-17;11:17-18;ルカ11:44-53;20:46-47)。
リバティーの監獄(ミズーリ州)
参照:スミス、ジョセフ、ジュニア
1838年11月から1839年4月にかけて、預言者ジョセフ・スミスと幾人かの人々が不当に収監された小さな監獄。この困難な状況の中で、ジョセフ・スミスは幾つかの啓示を受け、預言をし、聖徒たちに重要な手紙を書き送るように霊感を受けた。それらの一部が教義と聖約第121-123章に収められている。
リベカ(人名)
参照:イサク
『旧約聖書』の中の人物。族長イサクの妻(創世24-27章)。エサウとヤコブの母(創世25:23-26)。
リムハイ(人名)
参照:ノア(ゼニフの息子)
『モルモン書』の中の人物。ニーファイの地に住んでいたニーファイ人の義にかなった王。ノア王の息子(モサ7:7-9)。リムハイ王は神に仕えるという聖約を交わした(モサ21:32)。リムハイは民をレーマン人の束縛から導き出し、ゼラヘムラに帰った(モサ22章)。
良心
参照:光;キリストの光
すべての人にキリストの光から来る心の中の善悪の感覚(モロ7:16)。キリストの光がすべての人に与えられているので、人は生まれながらに善悪をわきまえる能力を持っている(教義84:46)。人はこの能力があるために、責任を負う存在となっている。他の能力と同じように、良心も罪や誤用によってその働きが鈍くなることがある。
律法学者たちやパリサイ人たちは良心のとがめを感じた(ヨハ8:9)。
彼らの良心も共にあかしをして(ロマ2:14-15)。
背教者は良心に焼き印を押されている(1テモ4:2)。
人は善悪をわきまえることを十分に教えられている(2ニフ2:5)。
ベニヤミン王は神の前で澄んだ良心を持っていた(モサ2:15)。
ニーファイ人は良心の安らぎを得たので、喜びに満たされた(モサ4:3)。
ゼーズロムは、自分の罪を自覚して心をひどく苦しめた(アル14:6)。
喜びを望もうと良心のとがめを望もうと、自分の望むままに与えられる(アル29:5)。
罰が定められ、公正な律法が与えられて、それらが人に良心のとがめを生じさせた(アル42:18)。
善悪をわきまえることができるように、すべての人にキリストの御霊が与えられている(モロ7:16)。
各個人は良心の自由な行使が保証されなければならない(教義134:2)。
わたしの良心は責められることがない(教義135:4)。
わたしたちは、自分の良心の命じるとおりに全能の神を礼拝する特権があると主張し(箇条1:11)。