モロナイ書


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第1章

モロナイ、レーマン人のために書き記す。キリストを否定しないニーファイ人は殺される。紀元約401年から421年に至る。

01 さて、わたしモロナイはヤレドの民の話を短くまとめ終えた後、もうこれ以上は書き記さないと思ったが、わたしはまだ命を失っていない。わたしはレーマン人に殺されないために、わたしのことを彼らに知られないようにしている。

02 見よ、レーマン人同士の戦争が今非常に激しい。また、彼らは憎しみのために、キリストを否定しないニーファイ人をすべて殺している。

03 わたしモロナイはキリストを否定しないので、命の安全を得られる場所を求めてさまよっている。

04 さて、わたしは以前の思いとは違って、もう少し書き記すことにする。わたしはもう書き記さないと思っていたが、主の御心のままに、将来いつかわたしの同胞であるレーマン人のために価値をもたらすと思われることを、もう少し書き記すことにする。

第2章

イエス、聖霊の賜物を授ける力を12人のニーファイ人の弟子たちに与えられる。紀元約401年から421年に至る。

01 キリストが御自分の選ばれた12人の弟子たちに手を置かれたとき、彼らに言われた御言葉は次のとおりである。
02 キリストは彼らの名を呼んで言われた。「わたしの名によって熱烈に祈って父に請い願いなさい。あなたがたはこのように行った後に、あなたがたが手を置く者に聖霊を授ける力を持つであろう。わたしの名によって聖霊を授けなさい。わたしの使徒たちはこのように行うからである。」
03 キリストは初めてその御姿を現されたとき、彼らにこれらの御言葉を語られた。群衆はこれを聞かず、弟子たちだけがこれを聞いた。そして、彼らが手を置いたすべての者に聖霊が降られた。

第3章

長老たち、按手によって祭司と教師を聖任する。紀元約401年から421年に至る。

01 教会の長老と呼ばれた弟子たちが祭司と教師を聖任した方法は、次のとおりである。
02 彼らはキリストの名によって御父に祈った後、聖任を受ける者に手を置いて言った。
03 「イエス・キリストの御名によって、わたしはあなたを祭司に聖任し(もし教師であるならば、あなたを教師に聖任し)、悔い改めを宣べ伝える者、また最後までイエス・キリストの御名を信じ続ければ、イエス・キリストを通じて罪の赦しが得られることを宣べ伝える者とします。アーメン。」
04 このような方法で、彼らは人々に授けられる神の賜物と召しに応じて祭司と教師を聖任した。彼らは、自分たちの内にある聖霊の力によって聖任した。

第4章

長老と祭司が聖餐のパンを祝福する方法についての説明。紀元約401年から421年に至る。


01 長老と祭司が、教会員にキリストの肉と血を分け与えた方法は、次のとおりである。彼らがキリストの命じられたとおりに執行したので、わたしたちはこの方法が正しいことを知っている。長老または祭司がそれを執行した。
02 彼らは教会員とともにひざまずき、キリストの名によって御父に祈って言った。
03 「永遠の父なる神よ、わたしたちは御子イエス・キリストの御名によってあなたに願い求めます。このパンを頂くすべての人々が、御子の体の記念にこれを頂けるように、また、進んで御子の御名を受け、いつも御子を覚え、御子が与えてくださった戒めを守ることを、永遠の父なる神よ、あなたに証明して、いつも御子の御霊を受けられるように、このパンを祝福し、聖めてください。アーメン。」

第5章

聖餐のぶどう酒を祝福する方法についての説明。紀元約401年から421年に至る。

01 ぶどう酒を分け与えた方法は、次のとおりである。見よ、彼らは器を取って言った。
02 「永遠の父なる神よ、わたしたちは御子イエス・キリストの御名によってあなたに願い求めます。このぶどう酒を頂くすべての人々が、この人々のために流された御子の血の記念にこれを頂けるように、また、いつも御子を覚えていることを、永遠の父なる神よ、あなたに証明して、御子の御霊を受けられるように、このぶどう酒を祝福し、聖めてください。アーメン。」

第6章

悔い改めた人々は、バプテスマを受けて教会員になる。悔い改める教会員は赦される。集会は聖霊の力によって行われる。紀元約401年から421年に至る。


01 次にバプテスマについて述べよう。見よ、長老、祭司、教師たちはバプテスマを受けた。しかし彼らは、バプテスマを受けるに値するふさわしい実を結ばなければ、バプテスマを施されなかった。
02 また彼らは、打ち砕かれた心と悔いる霊をもって進み出て、自分のすべての罪を心から悔い改めたことを教会員に証明した者でなければ、だれにもバプテスマを認めなかった。
03 また、最後までキリストに仕える決心をしてキリストの名を受けた者でなければ、だれもバプテスマを認められなかった。
04 そして人々はバプテスマを認められ、聖霊の力が働いて清められると、キリストの教会の民の中に数えられ、その名が記録された。それは、彼らが覚えられ、神の善い言葉で養われ、そして彼らを正しい道にとどめるため、また絶えず祈りを心に留めさせ、彼らの信仰の創始者であり完成者であるキリストの功徳にだけ頼らせるためである。
05 教会員は断食し、祈るため、また人の幸いについて互いに語り合うためにしばしば集まった。
06 また、主イエスを記念してパンとぶどう酒を頂くためにしばしば集まった。
07 また彼らは、自分たちの中に決して罪悪があってはならないということを厳密に守った。そして、ある者たちが罪悪を犯したことが分かり、教会員の3人の証人が長老たちの前でその者たちを罪があるとし、もしその者たちが悔い改めず告白もしなければ、彼らの名は消されて、彼らはキリストの民の中に数えられなかった。
08 しかし、悔い改めて真心から赦しを求めた者は、その度に赦された。
09 また教会員の集会は、御霊の働くままに、聖霊の力によって教会員が指導した。教えを説くことも、勧めることも、祈ることも、請い願うことも、歌うことも、聖霊の力によって導かれるままに行われた。

第7章

主の安息に入るようにとの招き。真心から祈ること。キリストの御霊は人が善悪をわきまえることができるようにする。サタンはキリストを否定して、悪を行うように人に説き勧める。預言者たち、キリストの来臨について明らかにする。信仰によって奇跡が行われ、天使は教え導く。人は永遠の命を望み、慈愛を固く守らなければならない。紀元約401年から421年に至る。


01 さて、わたしモロナイは、父モルモンが信仰と希望と慈愛について述べた言葉を少々書き記しておく。父は、民が礼拝の場所として建てた会堂で彼らを教えたとき、次のように述べた。
02 「さて、わたしモルモンは、愛する同胞であるあなたがたに話したい。父なる神とわたしたちの主イエス・キリストの恵みにより、また主がわたしに召しの賜物をお与えくださったので、主の聖なる御心により、わたしは今あなたがたに語る機会を得ている。
03 そこでわたしは、教会に属しているあなたがた、すなわち、今から後、天で主とともに安息を得るときまで、キリストに穏やかに従い、主の安息に入れるという十分な望みを得ているあなたがたに、話したいと思う。
04 わたしの同胞よ、わたしは、あなたがたが人の子らと穏やかに交わって暮らしているので、あなたがたのことをこのように判断している。
05 わたしは、『あなたがたはその行いによって彼らを見分けるのである』と言われた神の御言葉を覚えているからである。彼らの行いが善ければ、彼らも善い。
06 見よ、神は、『悪い者は善いことを行えない』と言われた。人はささげ物をしても、神に祈っても、真心からしなければ、その人にとって何の役にも立たない。
07 見よ、それは彼にとって義と認められないからである。
08 見よ、悪い者はささげ物をしても、惜しみながらするので、ささげ物をしなかったと同じように見なされる。したがって、神の御前で悪と見なされる。
09 それと同様に、人が真心の伴わない祈りをするならば、それはその人にとって悪と見なされる。そして、それはその人にとって何の役にも立たない。神はそのような祈りを受け入れられないからである。
10 したがって、悪い者は善いことを行えず、また良い贈り物もしない。
11 見よ、苦い泉は良い水を出せないし、良い泉も苦い水を出せない。そこで、悪魔の僕になっている者は、キリストに従うことができない。もしキリストに従うとすれば、悪魔の僕ではあり得ない。
12 したがって、善いものはすべて神から出て、悪いものは悪魔から出る。悪魔は神に対する敵であって、絶えず神と戦い、また人を誘い、そそのかして罪を犯させ、いつも悪いことを行わせようとする。
13 しかし見よ、神から出るものはいつも善を行うように誘い、促す。したがって、善を行い、神を愛し、神に仕えるように誘い、促すものはすべて、神の霊感を受けているのである。
14 さて、わたしの愛する同胞よ、あなたがたは悪いものを神から出たと思わないように、あるいは善いもので神から出ているものを、悪魔から出たと思わないように気をつけなさい。
15 見よ、わたしの同胞よ、善悪をわきまえることができるように、物事を判断することはあなたがたに任されている。そして、その判断の方法は明らかであり、善悪の違いは昼が闇夜と違うように、完全に理解してわきまえることができる。
16 見よ、善悪をわきまえることができるように、すべての人にキリストの御霊が与えられているからである。さて、その判断の方法をあなたがたに教えよう。善を行うように誘い、またキリストを信じるように勧めるものはすべて、キリストの力と賜物によって送り出されているのである。したがってあなたがたは、それが神から出ていることを完全に理解してわきまえることができる。
17 しかし、悪を行うように、キリストを信じないように、キリストを否定するように、神に仕えないようにと人に説き勧めるものは何であろうと、それは悪魔から出ていることをあなたがたは完全に理解してわきまえることができる。悪魔はこのように働くからである。悪魔はだれにも善を行うように説き勧めない。また悪魔の使いも、悪魔に従う者も、そのように説き勧めない。
18 さて、わたしの同胞よ、あなたがたは判断する際に用いる光、すなわちキリストの光について知っているので、誤って裁かないように注意しなさい。あなたがたが裁くその裁きで、あなたがたも裁かれるからである。
19 そこでわたしは、同胞であるあなたがたに、善悪をわきまえることができるように、キリストの光の中で熱心に求めることを切に勧める。もしあなたがたが善いものをことごとく手にして、それを非難しなければ、あなたがたは必ずキリストの子となる。
20 さて、わたしの同胞よ、どのようにすればあなたがたは、善いものをことごとく手にできるのであろうか。
21 ここで、わたしが話したいと前に言った信仰に行き着くのである。では、あなたがたが善いものをことごとく手にできる方法について話そう。
22 見よ、神は永遠から永遠にわたって存在し、すべてのことを御存じであるために、見よ、天使たちを遣わして、人の子らを教え導き、キリストの来臨について明らかにされた。キリストにあって、善いものがことごとく来るのである。
23 また神は、キリストが来られることを御自身の口を通して、預言者たちに宣言された。
24 見よ、いろいろな方法によって、神は人の子らに善いものを明らかにされた。そして、善いものはすべてキリストから来る。そうでなければ、人は堕落した状態になったので、善いものはまったく人に及ばなかったことであろう。
25 さて、天使の働きによって、また神の口から出る一つ一つの御言葉によって、人はキリストを信じるようになった。その結果、信仰によって人は善いものをことごとく手にした。キリストの来臨までそうであった。
26 また、キリストが来られた後も、人はキリストの御名を信じる信仰によって救われた。信仰によって人は神の子となっている。キリストが生きておられるように確かに、キリストはわたしたちの先祖にこのように言われた。すなわち、『あなたがたが与えられると信じて、信仰をもってわたしの名によって父に求めるものは、正当であれば、見よ、何でもあなたがたに与えられる。』
27 さて、わたしの愛する同胞よ、キリストは、人の子らに対して持っておられる御自分の憐れみの権利を御父に求めるために、天に昇って神の右の座に着かれたので、奇跡がやんでしまったのであろうか。
28 キリストは律法の目的を達せられた。そして、キリストを信じるすべての者を、御自分に属するものと主張しておられる。また、キリストを信じる者は一切の善いものを固く守るので、キリストは人の子らを弁護してくださる。そして、キリストは永遠に天に住まわれるのである。
29 わたしの愛する同胞よ、キリストがこのように行われたので、奇跡はやんでしまったのであろうか。見よ、そうではないと、わたしはあなたがたに言う。また天使たちも人の子らに働きかけることをやめてはいない。
30 見よ、天使はキリストに従っており、深い信仰と確固とした心をもって、あらゆる方法で神を敬う者に自分自身を示し、キリストの命じられる御言葉のとおりに教え導いている。
31 天使の務めは、人を招いて悔い改めさせることと、御父が人の子らに立てられた聖約の業を果たして実行することと、主の選ばれた器にキリストの御言葉を告げ知らせることによって彼らがキリストについて証を述べるようにして、人の子らの中に道を備えることである。
32 このようにして、主なる神は道を備えて、残りの人々もキリストを信じる信仰を持ち、聖霊がその力によって彼らの心の中に宿られるようにされるのである。このような方法で、御父は人の子らに立てられた聖約を果たされる。
33 キリストは言われた。『あなたがたはわたしを信じるならば、わたしの心にかなうことを何事でも行う力を持つであろう』と。
34 また、『地の果てに至るすべての人よ、悔い改めて、わたしのもとに来て、わたしの名によってバプテスマを受けなさい。救われるためにわたしを信じなさい』と、キリストは言われた。
35 さて、わたしの愛する同胞よ、あなたがたに話したこれらのことが真実であれば、また神は、これらのことが真実であることを、終わりの日に力と大いなる栄光とをもってあなたがたに示されるであろうが、もしこれらのことが真実であれば、奇跡の日は終わってしまったと言えるであろうか。
36 天使が人の子らに現れることは、終わってしまったのであろうか。神は聖霊の力を人の子らに与えられなくなったのであろうか。時が続くかぎり、大地が存在するかぎり、地の面に救われる人が一人でもいるかぎり、神は聖霊の力を与えるのを控えられるであろうか。
37 見よ、そうではないと、わたしはあなたがたに言う。奇跡が行われるのは信仰によるからである。天使が人に現れて教え導くのも、信仰による。したがって、もしこれらのことがなくなっているとすれば、それは不信仰のためであり、すべてはむなしいので、人の子らは災いである。
38 キリストの御言葉にあるとおり、キリストの御名を信じなければ、だれも救われないからである。したがって、もしこれらのことがなくなっているとすれば、信仰もなくなっている。そして、人はひどい状態にある。なぜならば、人はまるで贖いがまったくなかったかのような有様になるからである。
39 しかし見よ、わたしの愛する同胞よ、わたしはあなたがたのことをもっと良い状態にあると判断している。あなたがたが柔和であるのを見て、あなたがたにはキリストを信じる信仰があると思うからである。あなたがたはキリストを信じていなければ、キリストの教会の民の中に数えられるにふさわしくない。

40 また、わたしの愛する同胞よ、わたしは希望についてあなたがたに話したいと思う。あなたがたに希望がなければ、どうして信仰が得られるであろうか。
41 また、あなたがたは何を望めばよいのであろうか。見よ、わたしはあなたがたに言う。あなたがたは、キリストの贖罪とキリストの復活の力によって永遠の命によみがえることを望まなければならない。あなたがたがキリストを信じることで、約束のとおりこれが果たされるのである。
42 したがって、もし人に信仰があれば、必ず希望もあるに違いない。信仰のない希望はあり得ないからである。
43 さらに見よ、あなたがたに言う。柔和で心のへりくだった人でなければ、信仰と希望を持つことはできない。
44 たとえ持てたとしても、その人の信仰と希望はむなしいものである。柔和で心のへりくだった人でなければ、神の御前に受け入れられないからである。また、人が柔和で、心がへりくだっており、イエスがキリストであることを聖霊の力によって認めるならば、その人には慈愛が必ずなければならない。慈愛がなければ、その人は何の価値もない。したがって、人には慈愛が必ずなければならない。
45 慈愛は長く堪え忍び、親切であり、ねたまず、誇らず、自分の利益を求めず、容易に怒らず、悪事を少しも考えず、罪悪を喜ばないで真実を喜び、すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える。
46 したがって、わたしの愛する同胞よ、もしあなたがたに慈愛がなければ、あなたがたは何の価値もない。慈愛はいつまでも絶えることがないからである。したがって、最も大いなるものである慈愛を固く守りなさい。すべてのものは必ず絶えてしまうからである。
47 しかし、この慈愛はキリストの純粋な愛であって、とこしえに続く。そして、終わりの日にこの慈愛を持っていると認められる人は、幸いである。
48 したがって、わたしの愛する同胞よ、あなたがたは、御父が御子イエス・キリストに真に従う者すべてに授けられたこの愛で満たされるように、また神の子となれるように、熱意を込めて御父に祈りなさい。また、御子が御自身を現されるときに、わたしたちはありのままの御姿の御子にまみえるので、御子に似た者となれるように、またわたしたちがこの希望を持てるように、さらにわたしたちが清められて清い御子と同じようになれるよう、熱意を込めて御父に祈りなさい。アーメン。」


【動画】モルモン,信仰,希望,慈愛について教える


第8章

幼児のバプテスマは邪悪な忌まわしい行いである。幼い子供たちは、贖罪のおかげでキリストによって生きている。信仰、悔い改め、柔和で心のへりくだった状態、聖霊を受けること、最後まで堪え忍ぶこと、これらは人々を救いに導く。紀元約401年から421年に至る。


01 わたしモロナイにあてて書かれた父モルモンの手紙は、次のとおりである。これは、わたしが神の務めに召されて間もなく、わたしにあてて書かれたものである。父はわたしに次のように述べている。
02 「愛する息子モロナイよ、わたしは、主イエス・キリストがあなたを心にかけ、主の務めに、また主の聖なる業にあなたを召してくださったことを、非常に喜んでいる。
03 わたしは祈る度に、いつもあなたのことを心にかけ、御父の限りない慈しみと恵みによって、またあなたが最後まで御父の聖なる御子イエスの御名を信じ続ける信仰によって、御父があなたをお守りくださるようにと、御子イエスの御名により父なる神に絶えず祈っている。
04 ところで、わが子よ、わたしが非常に憂慮している事柄についてあなたに述べよう。あなたがたの中に論争が起こるのは、わたしにとって悲しいことである。
05 もしわたしの聞いたことが事実であれば、あなたがたの中には、幼い子供たちのバプテスマについて論争があったということである。
06 わが子よ、わたしが願うのは、あなたが力を尽くして、この大きな過ちがあなたがたの中から取り除かれるようにすることである。わたしがこの手紙を書いたのはそのためである。
07 わたしは、あなたがたのこの状況を聞いた後すぐに、この件について主に尋ねた。すると、主の御言葉が聖霊の力によってわたしに下ってこう言われた。
08 『あなたがたの贖い主、あなたがたの主、あなたがたの神であるキリストの言葉を聴きなさい。見よ、わたしがこの世に来たのは、義人を招くためではなく、罪人を招いて悔い改めさせるためである。健康な人には医者は要らない。要るのは病人である。幼い子供たちは、罪を犯すことができないので健康である。したがって、アダムののろいは、わたしによって彼らから取り去られており、彼らを支配する力を持っていない。また、割礼の律法もわたしによって廃されている。』
09 聖霊がこのように神の御言葉をわたしに明らかにしてくださったので、愛する息子よ、わたしは、幼い子供たちにバプテスマを施すことが、神をひどくあざける行為であることを知っている。
10 見よ、わたしはあなたに言う。あなたがたは責任を負うことができ、罪を犯す可能性のある者に、このこと、すなわち悔い改めとバプテスマについて教えなさい。親たちに、悔い改めてバプテスマを受け、幼い子供たちのようにへりくだらなければならないことを教えなさい。そうすれば、彼らは皆、幼い子供たちとともに救われるであろう。
11 幼い子供たちは悔い改めもバプテスマも必要ない。見よ、バプテスマは悔い改めに導くものであり、罪の赦しを得るための戒めを守ることである。
12 幼い子供たちは、世の初めからキリストによって生きている。もしそうでなければ、神は不公平な神であり、気まぐれな神であり、人を偏り見る御方である。何と多くの幼い子供たちが、これまでバプテスマを受けることなく死んだことであろう。
13 もし幼い子供たちがバプテスマなしでは救われないとすれば、これらの子供たちは無窮の地獄へ行ったに違いない。
14 見よ、わたしはあなたに言うが、幼い子供たちにもバプテスマが必要であると考える者は、苦汁の中におり、罪悪の縄目を受けている。このような者には信仰も希望も慈愛もない。したがって、そのような考えを抱いたまま絶たれることにでもなれば、地獄に下って行かなければならない。
15 ある子供はバプテスマを受けたので神によって救われるが、ほかの子供はバプテスマを受けていないので滅びる、と考えることは恐ろしい悪である。
16 このように主の道を曲げる者たちは災いである。このような者たちは、悔い改めなければ滅びるからである。見よ、わたしは神から授けられた権能を持っているので、大胆に語る。わたしは人のすることは恐れない。完全な愛はあらゆる恐れを取り除くからである。
17 わたしは慈愛、すなわち永遠の愛で満たされているので、すべての子供はわたしにとって等しい存在である。したがって、わたしは完全な愛をもって幼い子供たちを愛している。幼い子供たちは皆等しい存在であり、救いにあずかる者である。
18 わたしは神が不公平な神ではなく、気まぐれな御方でもなく、永遠から永遠にわたって変わらない御方であることを知っている。
19 幼い子供たちは悔い改めることができないので、幼い子供たちへの神の清い憐れみを否定することは、恐ろしい悪である。幼い子供たちは皆、神の憐れみのおかげで、神によって生きているからである。
20 幼い子供たちにバプテスマが必要であると言う者は、キリストの憐れみを否定し、キリストの贖罪とキリストの贖いの力を軽んじる者である。
21 このような者は災いである。このような者は、死と地獄と無窮の苦痛を被る恐れがあるからである。わたしは神から命じられたのでこのことを大胆に語る。これらの御言葉に耳を傾け、注意を払いなさい。さもなければ、これらの御言葉は、キリストの裁きの座であなたを責めるものとなる。
22 見よ、すべての幼い子供たちはキリストによって生きている。律法のない者たちも皆同様である。贖いの力は律法を持たないすべての者に及ぶからである。したがって、罪に定められない者、すなわち罪の宣告を決して受けない者は、悔い改めることができないので、このような者にとってバプテスマは何の役にも立たない。
23 むしろ、それは神をあざける行為であり、キリストの憐れみと神の聖なる御霊の力を否定し、死んだ行いに頼るものである。
24 見よ、わが子よ、このようなことがあってはならない。悔い改めは罪の宣告を受ける者、律法を犯してのろいを受ける者のためにあるのである。
25 悔い改めの最初の実はバプテスマである。バプテスマは信仰によって行われ、戒めを守ることである。そして、戒めを守ることは罪の赦しを生じ、
26 罪の赦しは柔和で心のへりくだった状態を生じ、柔和で心のへりくだった状態であれば聖霊の訪れがある。この慰め主は、希望と完全な愛を人の心に満たされる。そしてこの愛は、熱心に祈ることによって、すべての聖徒が神とともに住む終わりの日が来るまで続くのである。
27 見よ、わが子よ、わたしがすぐにレーマン人に向かって出て行くことがなければ、またあなたに書こう。見よ、この国民、すなわちニーファイ人の民は、悔い改めなければ高慢のために滅びてしまう。
28 わが子よ、彼らが悔い改められるように、彼らのために祈りなさい。しかし見よ、御霊がすでに彼らを励ますのをやめているのではないかと、わたしは懸念している。この地方の者たちも、神から出ているすべての権威と権能を倒そうとしており、また聖霊を否定している。
29 わが子よ、彼らはこれまで理解していたそのように大いなる知識を拒んだので、間もなく滅びるに違いない。そして、預言者たちの述べた預言と、わたしたちの救い主御自身の御言葉が成就するであろう。
30 わが子よ、わたしがまたあなたに書くときまで、あるいはあなたに会うときまで別れを告げる。アーメン。」


【動画】モルモン,幼い子供たちの救いについて教える


モルモンが息子モロナイにあてた第2の手紙。次の第9章がそれに相当する。

第9章

ニーファイ人もレーマン人もともに邪悪になり、堕落している。彼らは互いに苦しめ合い、殺し合う。モルモン、恵みと慈しみがとこしえにモロナイにあるように祈る。紀元約401年から421年に至る。


01 「愛するわが子よ、わたしは自分がまだ生きていることを知らせるためにまたあなたに書いている。しかし、悲しいことを多少書くことになる。
02 見よ、わたしはレーマン人と激しい戦いをしたが、勝利は得なかった。アルキアンタスは剣に倒れ、ルラムとエムロンも倒れた。また、わたしたちは優秀な兵を多数失ってしまった。
03 さて見よ、わが子よ、わたしはレーマン人がこの民を滅ぼしてしまうのではないかと恐れている。この民が悔い改めず、サタンが絶えずこの民をあおり立てて、互いを怒るように仕向けているからである。
04 見よ、わたしは絶えず彼らに働きかけている。しかし、わたしが厳しく神の御言葉を告げると、彼らは身を震わせてわたしに対して怒り、また、わたしが厳しく言わないと、神の御言葉に対して心をかたくなにする。だからわたしは、主の御霊がすでに彼らを励ますのをやめているのではないかと心配している。
05 彼らは、死をも恐れないと見えるほどにひどく怒っている。互いに対する愛をすでに失っており、いつも血と報復を渇望している。
06 さて、愛するわが子よ、彼らがかたくなであっても、わたしたちは力を尽くそう。働くことをやめれば、わたしたちは罪の宣告を受けるに違いない。わたしたちには、あらゆる義の敵を打ち破って、神の王国で安息を得るために、この土の幕屋に宿っている間に果たさなければならない務めがあるからである。
07 さて、わたしはこの民の被っている苦難について少し書こう。わたしがアモーロンから受けた知らせによれば、見よ、レーマン人にはシェライザの塔から連れ去った多くの捕虜がいるとのことである。捕虜は、男もいれば女もおり、子供もいた。
08 そしてレーマン人は、女子供の夫や父親を殺して、夫の肉を妻に、父親の肉を子供に食べさせ、また水はほんの少ししか与えていない。
09 レーマン人の行いは、このようにひどく忌まわしいものではあるが、モリアンタムでのわたしたちの民の行いはそれ以上である。見よ、わたしたちの民はレーマン人の多くの娘たちを捕虜にし、あらゆるものに勝って最も大切で貴いもの、すなわち純潔と徳を奪った後、
10 彼らはこのようなことをした後、非常にむごい方法で彼女たちをなぶり殺しにした。そして、彼らはそうした後、心がかたくなであったので、野獣のようにその娘たちの肉を食べてしまい、それを勇気のある証拠としている。
11 愛するわが子よ、どうしてこのような野蛮な民に対して、
12 (わずか数年前まで、彼らは礼儀正しい喜ばしい民であったが)
13 わが子よ、どうしてこのようにひどい忌まわしい行いを喜びとするこのような民に対して、
14 どうしてこのようなわたしたちに対して、神が裁きの御手をとどめてくださるなどと期待できようか。
15 見よ、わたしの心は、『この民は災いだ。おお、神よ、裁きを下して、この民の罪と悪事と忌まわしい行いを、あなたの御前から隠してください』と叫んでいる。
16 また、わが子よ、シェライザには多くのやもめとその娘たちが残っている。レーマン人が運び去らなかった食糧は、見よ、すでにゼネファイの軍隊が運び去ってしまい、やもめたちとその娘たちは、食べ物を求めてさまようままに放置されている。そして多くの老女たちは、行き倒れになり死んでいる。
17 また、わたしとともにいる軍隊は弱く、しかもレーマン人の軍隊がシェライザとわたしの間にいる。これまでアロンの軍隊に逃げ込んで行った者は皆、彼らの恐ろしい蛮行の犠牲となった。
18 おお、わたしの民は何と堕落したことか。彼らには秩序もなく、情けもない。見よ、わたしはただの人であり、わたしには一人の人間としての力しかない。わたしはもはや命令を実行させることはできない。
19 彼らは邪悪の度を増し、皆同じように残忍になり、老若の区別なくだれの命も助けない。また、彼らは善いことでなければどんなことでも喜ぶ。この地の全面でニーファイ人の女子供の被っている苦難は、あらゆるものを越えており、まことに、筆舌に尽くし難い。
20 さて、わが子よ、わたしはこのすさまじい有様についてはもう述べない。見よ、あなたはこの民の悪事を知っており、また彼らが道義心のない、心の鈍い民であることも知っている。彼らの悪事はレーマン人の悪事を越えている。
21 見よ、わが子よ、わたしは神に打たれるのを恐れて、この民を神に推薦することができない。
22 しかし見よ、わが子よ、あなたのことは神に推薦しよう。わたしは、あなたが救われるであろうということについては、キリストに信頼を寄せている。また、神があなたの命を助けて、神の民が神に立ち返るところを、あるいは彼らが完全に滅びるところを、あなたに見せてくださるように、わたしは神に祈っている。彼らが悔い改めて神に立ち返らなければ、必ず滅びることを知っているからである。
23 もし彼らが滅びるとすれば、それはヤレド人と同様であり、彼らが強情であって、彼らが血と報復を求めてそうなるのである。
24 また、もし彼らが滅びるならば、わたしたちが知っているように、わたしたちの同胞の多くがすでにレーマン人のもとに脱走して行ったが、もっと多くの者がレーマン人のもとに脱走して行くであろう。ところで、もしあなたが命を助けられ、わたしが死んであなたに会えないようであれば、少し書き記しなさい。しかしわたしは、もうすぐあなたに会えると確信している。あなたに渡したい神聖な記録を持っているからである。
25 わが子よ、キリストに忠実でありなさい。わたしの書いたことを悲しんで、打ちひしがれて死ぬことのないように。キリストに支えられて、キリストの苦しみと死と、キリストがわたしたちの先祖に御自分の体を示されたことと、キリストの憐れみと寛容と、キリストの栄光と永遠の命とを願う望みが、とこしえにあなたの心の中にとどまるように。
26 天の高い所にある王座に着いておられる父なる神の恵みと、また万物が従うまで神の右に座する主イエス・キリストの恵みが、とこしえにあなたとともにあるように。アーメン。」

第10章

『モルモン書』についての証は、聖霊の力によって与えられる。御霊の賜物は忠実な者に分け与えられる。霊的な賜物は必ず信仰に伴う。モロナイの言葉は地から語る。キリストのもとに来て、キリストによって完全になり、清められなさい。紀元約421年。


01 さて、わたしモロナイは、自分がよいと思うままに少し書き記す。わたしは同胞であるレーマン人に書き記す。キリストの来臨のしるしが現れてから、すでに420年以上たったことを知ってほしい。
02 わたしはあなたがたへの勧めとして少しの言葉を述べた後、この記録を封じることにする。

03 見よ、わたしはあなたがたに勧めたい。あなたがたにとってこの記録を読むことが、神の知恵にかなうようであれば、あなたがたはこれを読むときに、アダムが造られてからあなたがたがこれを受けるときまで、主が人の子らにどれほど憐れみをかけてこられたかを思い起こし、それを心の中で深く考えてほしい。

04 また、この記録を受けるとき、これが真実かどうかキリストの名によって永遠の父なる神に問うように、あなたがたに勧めたい。もしキリストを信じながら、誠心誠意問うならば、神はこれが真実であることを、聖霊の力によってあなたがたに明らかにしてくださる。
05 そして聖霊の力によって、あなたがたはすべてのことの真理を知るであろう。
06 善いものは何であろうと、正しくて真実である。したがって、善いものはキリストを否定することなく、キリストがおられることを認める。
07 そしてあなたがたは、キリストがおられることを聖霊の力によって知ることができる。したがって、わたしはあなたがたに、神の力を否定しないようにと勧めたい。神は今日も、明日も、とこしえに同じ御方で、人の子らの信仰に応じて力をもって働かれる。
08 さらに、わたしは同胞であるあなたがたに、神の賜物は多いので、これらの賜物を否定しないように勧める。これらの賜物は同じ神から出る。これらの賜物の与えられ方は様々であるが、すべての人の中ですべての働きをされるのは同じ神である。これらの賜物は人を益するために、神の御霊の現れによって人に授けられるのである。
09 見よ、ある人には神の御霊によって、知恵の言葉を教える賜物が授けられ、
10 ある人には同じ御霊によって、知識の言葉を教える賜物、
11 ある人には非常に深い信仰、ある人には同じ御霊によって癒しの賜物、
12 また、ある人には大きな奇跡を行う賜物、
13 また、ある人にはあらゆる事柄について預言する賜物、
14 また、ある人には天使と仕える霊を見る賜物、
15 また、ある人にはあらゆる異言、
16 また、ある人には様々な言語といろいろな異言を解釈する賜物が授けられる。
17 これらの賜物はすべて、キリストの御霊によって授けられる。そして、キリストの望まれるままに、それぞれすべての人に授けられるのである。

18 わたしは愛する同胞であるあなたがたに、あらゆる善い賜物はキリストから来るということを覚えておくように勧めたい。
19 また、わたしは愛する同胞であるあなたがたに勧めたい。キリストは昨日も、今日も、とこしえに変わらない御方であるということと、わたしが述べたこれらの霊的な賜物はすべて、人の子らが不信仰になるときでなければ、世界のあるかぎり決してなくならないことを覚えておきなさい。
20 したがって、信仰がなければならない。もし信仰がなければならないとすれば、希望もまたなければならない。そして、もし希望がなければならないとすれば、慈愛もまたなければならない。
21 あなたがたに慈愛がなければ、あなたがたは決して神の王国に救われない。また、信仰がなければ神の王国に救われないし、また希望がなければ救われない。
22 もしあなたがたに希望がなければ、あなたがたは必ず絶望を味わうであろう。絶望は罪悪のために生じる。
23 キリストは、まことにわたしたちの先祖に、「信仰があれば、あなたがたは、わたしの心にかなうすべてのことを行うことができる」と言われた。
24 さて、わたしは地の果てに至るすべての人に告げる。もしあなたがたの中に、神の力と賜物のなくなる時が来るとすれば、それは不信仰のためである。
25 もしこのようになるとすれば、人の子らは災いである。あなたがたの中には、善を行う者は一人としていないからである。もしあなたがたの中に善を行う者がいれば、その人は神の力と賜物をもって働くであろう。
26 これらのものを絶やして死ぬ者たちは災いである。彼らは罪のうちに死ぬので、神の王国に救われることはあり得ないからである。わたしはこのことを、キリストの言葉のとおりに告げる。わたしは偽りを言わない。
27 わたしは、これらのことを覚えておくように勧める。わたしが偽りを言っていないことが、あなたがたに分かる時がすぐに来るからである。あなたがたは、神の法廷でわたしに会うであろう。そして、主なる神はあなたがたに、「わたしはあなたがたに、死者の中から叫ぶもののように、まことに地の中から語るもののように、この人が書き記したわたしの言葉を告げなかったか」と言われるであろう。
28 わたしがこれらのことを告げるのは、預言が成就するためである。見よ、これらのことは永遠の神の口から出るであろう。そして、神の言葉は代々響き渡るであろう。
29 また神は、わたしの書き記してきたことが事実であるということをあなたがたに示されるであろう。
30 さらに、わたしはあなたがたに、キリストのもとに来て、あらゆる善い賜物を得るように、また悪い賜物や清くないものに触れないように勧めたい。
31 おお、エルサレムよ、目を覚まして地から立ち上がりなさい。おお、シオンの娘よ、美しい衣を着なさい。おお、イスラエルの家よ、あなたの杭を強くし、あなたの境をとこしえに広げて、決して二度と乱されることのないようにし、また永遠の御父があなたに立てられた聖約が果たされるようにしなさい。


32 まことに、キリストのもとに来て、キリストによって完全になりなさい。神の御心に添わないものをすべて拒みなさい。もしあなたがたが神の御心に添わないものをすべて拒み、勢力と思いと力を尽くして神を愛するならば、神の恵みはあなたがたに十分であり、あなたがたは神の恵みにより、キリストによって完全になることができる。そしてあなたがたは、神の恵みによりキリストによって完全になれば、決して神の力を否定することができない。
33 さらにあなたがたは、神の恵みによりキリストによって完全になり、神の力を否定しなければ、神の恵みによりキリストによって聖められる。それはキリストの血が流されたことによるものである。キリストの血が流されたのは、あなたがたの罪の赦しのために御父が聖約されたことによるものであり、それによってあなたがたは染みのない清い者となるのである。

34 さて、わたしはすべての者に別れを告げる。わたしは間もなく行って、神のパラダイスで安息を得る。その後、わたしの霊と体は再び結合する。そしてわたしは勝利を得て空中に上げられ、生者と死者双方の永遠の裁き主である大いなるエホバの楽しい法廷であなたがたに会うことになる。アーメン。


【動画】モルモン書の約束