商人

 

 

わたしの父の家を商売の家としてはならない(ヨハネ2・16)

タラントンのたとえ(マタイ25章)

フリーメーソン真珠

聖言を研究する者

秩序の法則

 

 

 

1.聖書

2.スウェーデンボルグ

3.ヴァッスーラ

4.サンダー・シング

5.マリア・ワルトルタ

 

 

 

 

1.聖書

 

 

創世記23・16

 

アブラハムはこのエフロンの言葉を聞き入れ、エフロンがヘトの人々が聞いているところで言った値段、銀四百シェケルを商人の通用銀の重さで量り、エフロンに渡した。

 

 

 

ゼカリヤ14・21

 

エルサレムとユダの鍋もすべて万軍の主に聖別されたものとなり、いけにえをささげようとする者は皆やって来て、それを取り、それで肉を煮る。その日には、万軍の主の神殿にもはや商人はいなくなる。

 

 

 

マタイ13・46

 

また、天の国は次のようにたとえられる。商人が良い真珠を探している。高価な真珠を一つ見つけると、出かけて行って持ち物をすっかり売り払い、それを買う。

 

 

 

 

2.スウェーデンボルグ

 

 

天界の秘義2967

 

「商人のもとに通用している」。

 

これは、彼らの状態に適応した、を意味していることは、『商人』の意義から、引いては『商人に通用している』の意義から明白である。聖言における『商人』は善と真理とに関わる知識を持っている者たちを意味し、その『商品』は知識そのものを意味し、そこから『商人に通用している銀』は真理を、それが受け入れられることが出来るだけのものを意味し、またはそれと同一のことではあるが、各々の者の状態と能力とに適応した真理を意味している。この付加された言葉には或るアルカナが含まれていることは、たれでも認めることが出来よう。

 

 

 

天界の秘義2967[]

 

『商人』と『商品』の意義については、間もなく少しく述べるが、しかしその事柄そのものについては実情は以下のようである。改良され、再生しつつある者たちはことごとく主により仁慈と信仰とを与えられるが、しかし各々の者はその能力と状態とに応じて与えられるのである、なぜなら人間が幼児時代から自分自身に沁み込ませた幾多の悪と誤謬とが在り、そのため人各々他の者と同じ賜物を受けるのを妨げられており、これらの悪と誤謬とは人間が再生することが出来る以前に剥奪されなくてはならないのであり、そして剥奪された後天界的な霊的な生命の残りのものが在る限り、それは真理をもって明るくされ、善をもって富まされることが出来るからである。そのとき生命を受けるものは、残りのものであり、それは主から発して人間のもとに貯えられている善と真理である。これらの善と真理とは幼児の時代から改良の時に至るまですらも或る者には多く、或る者には少なく得られている。これらのものは彼の内なる人の中に保有されていて、彼の外なる人がそれに相応しないうちは、前面に出てくることは出来ないのであり、相応することは主として試練により、また多くの種類の剥奪により遂行されるのである、なぜならそれらのものに反している形体的なものが(自己と世を求める愛に属しているようなものが)静止しない中は、善と真理とを求める情愛に属している天的なものと霊的なものは流れ入ることは出来ないからである、これが各々の者がその者の状態と能力とに応じて改良される理由である。このことをまた主は外に出て行った人間について言われた譬の中で教えられている―

 

 彼は自分の僕たちを呼んで、彼らにその財産をゆだね、或る者には五タラント、或る者には二タラント、或る者には一タラント与えた、すなわち各々の能力に応じて与えた。五タラントを受けた者はそれで商いをして、他に五タラントを得、同じく二タラントを受けた者も他に二タラントを得た(マタイ25・14−17等)

 

十人の僕についてもまた同じことを教えられている、すなわち、彼らに商いの資金として十ポンドが与えられたのである(ルカ19・12.13等)。

 

 

 

天界の秘義2967[]

 

『商人』は真理と善に関わる知識を自分自身のために取得し、そこから理知と知恵を得る者であることはマタイ伝の主の御言葉から明白である―

 

天国は良い真珠を求めている商人のようなものである、彼は高価な真珠を一つ見出したとき、行って、その持っていたものをことごとく売って、それを買ったのである(13・45,46)。

 

『立派な真珠』とは仁慈であり、または信仰の善である。

 

 

 

天界の秘義2967[]

 

 この凡てから『商いをすること[取引きをすること]、すなわち買ったり売ったりすることにより意味されていることを今や認めることが出来よう、すなわち、それは自分のために善と真理に関わる知識を得て、その知識により善そのものを得ることである。これは主のみから発していることは同予言者に教えられている―

 

 さあ、すべて渇く者よ、水に来なさい、銀を持たない者よ、来て、買い、食べなさい、しかり、来て、銀なしに、価なしに、ぶどう酒と乳とを買いなさい(イザヤ55・1、2)。

 

 ここでは『買うこと』は自分のために得ることを意味し、『ぶどう酒』は霊的な真理を意味し(1071、1798番)、『乳』は霊的な善を意味している(2184番)。たれでもここの『水に来ること』は水に来ることではなく、『買うこと』は買うことではなく、『銀』は銀でなく、『ぶどう酒と乳』とはぶどう酒と乳ではなくて、内意でそれらのものに相応していると言われているものであることを認めることが出来よう、なぜなら聖言は神的なものであり、自然界と人間の感覚的な物から発しているその幾多の表現に神的な霊的なものと天的なものとが相応しているからである。こうした方法によってのみ聖言は神的なものを吹き込まれているのである。

 

 

 

天界の秘義4453

 

『商いをすること』が知識を得ることを、またそれを他に伝達することを意味していることは、天界では聖言がその内意に従って認められているが、そこでは商いをすることが出来ないためである、なぜなら天界では金、銀、またはこの世の商売の手段となるといった他のものは何一つ無いからであり、それで聖言に『商いをすること』が読まれるときは、そのことは霊的な意義で理解されて、商いに相応した事柄が認められるのであり、それは―全般的に言って―幾多の知識を得てそれを他に伝達することであり、特に述べられている対象により指示されているものの知識を得てそれを他に伝えることである。

 

 

 

 

3.ヴァッスーラ

 

 

ヴァッスーラ・私の天使ダニエルP180

 

この者たちは私の家で取り引きに忙しい。

 

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/4巻P235

‘90・9・18

 

わが主よ、私を悪から護り、愛の歌で霊魂を囲んで下さいますお方、あなたを愛するすべての人に、聖なる御顔の微笑みを現して下さい。あなたにつき従い、見倣うように、今日の若者たちをお教え下さい。聖心の宝を示して、あなたの選ばれた聖なる御名: 聖心 をまだ理解しないで、その前でためらいながら揺れ動く人びとに、それがあなた、キリストだと分からせて下さい。神学的な言い回しによって、分け隔てしながら、それでもあなたの聖なる御名のもとにいる人びとが、いかにあなたのみ旨を行わずに、サタンに足場をまた一つ与え、私どもを分かれたままにし、あなたの教会を弱めているかに気づかせて下さい。あなたはイエス キリスト、神の愛する子、救い主、聖心、みことば、アルファとオメガ、光、贖い主、万物を治める方: あなたは唯一のキリストです。分つことのできるお方ではありません! そこで私どもに一致を望まれる、あなたに向って祈ります。互いに愛をもって、心を込めて、信仰と実践によって、再び一致させて下さい。

 

これこそ 我が子よ 信じるようにと教え 行うようにと説得すべきことです、しかし、我が子よ、自分にたいするうぬぼれによって、耳を貸さない者たちがいるであろう。 こうした者たちは私の心に重くのしかかっている、謙遜とまことの知恵に欠け、「知識」に関する相反する信念が詰まっているだけで 判断し、裁いてしまい、言葉の議論となると本物の知識からかけ離れ、疑問ばかり出し続ける。 しかも誘惑者の餌食になっているとは 決して気づかない。 ああ 我が子よ 私のためにその苦難を忍んでほしい、このすべては無駄ではない: いつの日かあなたは 面と向って光を見るであろう・・・来て 今や私の愛と優しさを祝いなさい、頭を我が心に憩わせ 愛の呼びかけに耳を傾けてほしい。 私のうちに歓びなさい、我が栄華と富に歓喜しなさい、

 

この富をあなたのために蓄えた、世代よ、愛の鎖によって私のもとに連れて来るために、そしてもし:「この不思議が起きるまであとどれほどだろうか?」と尋ねるなら こう言おう: すでに起きつつある、あなた方のうち 私の足音を聞いた人もいる、探し求めている主は、突然目の前に現れよう、あなたの恋い焦がれる者が、来ようとしている。 そこでくに民を覆い、光を遮っている、弔い布を力強くほどきに 今やって来られる我が聖霊を 追い払わないように。 私は我が霊を伴って、欺く者たちの仮面をはぎ取り 我が聖所に蔓延する商人たちを追い出すために 降って来る ♡ 私に目を向けなさい、世代よ、もうすぐ訪れるであろう歓びを 見なさい。 我が聖霊はみじめさを救いに来られるだけでなく 私は裁くためにも降って来る、見えない人に視力を与え 見えると言う者たちの視力を取り上げに、そして自分を賢い者 教育があると言う者たちを混乱させ もはや自分が誰であり どこから来たかも分からなくさせる。 はっきり言う、ふさわしくない者たち、あなた方が愚かで卑しいと呼ぶ者たちを教育する、我が知識によって引き上げ教育し、真理の熱心な弟子として、彼らに我が王国を与えようとしない者たちを 恥ずかしめよう ♡ あなた方に言う:「あなた(*)より前に 我が王国には死者が入って来よう。 我が恵みの霊が戸口まで訪れたが あなた方は私の不思議も奇跡も 信じたがらなかった ところが卑しいと言われ あなたの社会に拒まれている者たちが、へりくだった心で、熱意と愛をもって信じた。こうした理由によって私は罪人を連れ戻し 死者を甦らせて光の柱とする、しかし非常に悲しいかな このような偉大な不思議を見た後でも、思いなおして私が今与えている神聖なわざを信じるのを あなたはいまだに拒もう。 そこで言っておく:

我が王国はあなたから取り上げられて

貧しい民に与えられる、右手と左手の区別がつかないような民に

そしてこのようなみじめな者たちに

私の新しい名を授けよう ♡」

 *「知者」

 

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/6巻P120

‘92・8・20

 

自分の名を高めるために 私の血を売る者たちは災い!

 

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/6巻P256

‘93・5・27

 

あなたに平和。 私はアルファでありオメガ。 私のうちにとどまり あなたに求めている鮮明さでメッセージを宣言しなさい。 みことばがひろまり、皆がその呼びかけを聞いて いかに愛されているかを理解するように。 私の五つの傷あとが大きく開いていることを皆に知らせなさい。 人間は私を裏切り むち打つ無限の能力を有している・・・心の痛みと悲しみのうちに 私自身の家で見たすべてをあなたに伝えなければならない: 今日裏切り者はすでにこのからだを踏みにじり 永遠の生けにえを完全に廃止しようと願っている。 その一人は私の屋根の下に住み 裏切行為をしている。 平和を宣言するが 悪しか企まない。 香を薫(た)くが 力増すためにサタンを呼び出している。

 

ああ 主よ! このようなことが起きているとは、とても信じられません・・・

 

しかしそれは起きている、あなたは分かっていないようだ・・・彼はその手下をともない私の玉座に身を置いて 預言者の衣を身につけ 世界を支配する構えでいる そして ああ! ・・・私の羊飼いのなんと多くが その偽りの教えと誤謬に惑わされたか。 彼らは正しい道をさまよい出て、私からの

でない伝統に従おうとしている。 私の与えた聖なる決まりを放棄して。 この偽りの教師 偽預言者たちについては 警告してきた、終わりの日に、我が神殿の中バビロンが打ちたてられ、聖所を盗人の巣窟、悪魔たちの溜まり場に変えてしまうと、警告してきた! ああ 娘よ! ・・・そこはあらゆる邪悪な霊が住みついて支配する 秘密結社の支部と化している・・・

この者たちは 私の家で取り引きに忙しい。 この商人たちはここで 自分たちの見方を推挙し、その間 我が民のいのちを陥れている。 我が預言者のいのちを狙い、代弁者たちを殺し 異端と誤謬をひろめる彼ら自身の偽預言者たちを延命させている! 世間の面前で私の預言者たちに不名誉を帰し、中傷と侮辱を好む世間に 偽りの情報を流す。 私の伝統を剥ぎとって 虚飾や人間世界の教義に置き換えてしまう。 このすべてを我が玉座の前で行っている・・・この商人たちはもっともらしい議論で 多くを欺く。 一番良い席に自分たち自身の者を座らせ 偽りの笏をもって治めている。

―あなたを私のこだまとして選んだ、行って聞いたことを宣言しなさい。 すでに預言されている背教のもとに皆が生きていることを 知らせなさい。 目を開いて 私の苦しみの声を聞くようにと 羊飼いたちに伝えなさい、間もなく毒を食べ 飲まされるであろうから。 あなた方の共同体を集め 徹夜の祈りと断食を準備させなさい。 サタンはすべての人を試練にかけようと 近づいている。 あなた方皆を散らし 分裂させにやって来る。 私の血を売り 永遠の秘跡を退けるつもりで(*)、聖所にある玉座に近づいている 私の民・・・我が相続者たちよ・・・あなた方に向って叫ぶ: 祭壇の司祭 奉仕者たち、毎日私を聖変化で挙げている者たち、決して私を手放し、売り渡さないように(**)・・・

 *イエスは非常に大きな痛みにより泣かれていました。  **イエスはさらに涙を流されています。

 

 

 

 

4.サンダー・シング

 

 

サンダー・シング/イエス・キリスト封印の聖書/P208

 

「しかし、商売人は、キリスト教はこの世では実用的ではないといいます。自分の立場を守るために不正直にならなければならない、例えば、自分が解雇されないために、そうではないとわかっていながらある商品を品質良好といわなければならないような人については、あなたはどう思われますか」

 

「正直でありたいと思う気持ちによって、最初のうちは苦しむ。しかし、やがて人々は彼のことを尊敬し始め、神もまた彼を豊かにしてくださる。わたしは、真正直なために苦しんだインド人商人を知っている。この人は、二、三年は苦しんだが、それから誠実であることが知れ渡り、人々は彼から買うようになった。今は、大金持ちになっている。

 人が真実、キリストとともに生きていてば、悲運も病も、迫害も、虐待も彼を損なうことはない。逆に、自分にも人にも良き結果を生むような方法で、その人はこれらのことに対処する。ある子供が、木に石を投げつけ、果物がそこから落ちてきた。父は、子にいった。『おまえは木を傷つけようとしたのに、木はおまえのために果実を落としてくれた。キリストに生きる者もそうである』と」

 

 

 

 

5.マリア・ワルトルタ

 

 

 

マリア・ワルトルタ/イエズスに出会った人々3・P90

 

商売をする場合、正義を守りなさい。何かを売る時、“もっとたくさんもうけるために盗みなさい”と貪欲がそそのかすが“だまされるのが自分だったら悲しいと考え、あなたも正しい人でありなさい”という良心の声だけに耳を傾けなさい。自分がしてほしくないことを他人にするのはいけないということを忘れてはなりません。

 

 

マリア・ワルトルタ/イエズス―たそがれの日々/P205

 

 しかし、この者たちが教えに来るまでは、これから言うことを規準にしなさい。ことばは短いが、ここには私の救いの教えがすべて要約されています。あなたたちは心のすべてをあげて神を愛しなさい。権力者も、親戚、友人、下僕と民、それに敵も自分自身を愛するように愛しなさい。罪を犯していないと安心するためには、命令された行為、あるいは自発的な行為をする前に必ず、自分自身にこう尋ねなさい。『今、しようとしていることは、私自身に、もしされたらうれしいだろうか』と、もしうれしくないと思えば、その行為をしてはならない(*)。以上の単純な規準を守って、神が来る道、神へ行ける道を求めなさい。子供が感謝しないとか、自分を殺そうとする者があるとか、あるいは盗みをするとか、妻を奪われるとか、姉妹や娘が汚されるとか、あるいは家や、畑や、忠実な下僕を奪われるとか、そういうことは、だれも望んでいません。この規準を守れば、あなたたちはよい子供、よい親、よい夫、よい兄弟、商人、友人となります。こうして徳に進めば、神はあなたたちのもとへ来られます。

 

(*)

マリア・ワルトルタ/イエズス―たそがれの日々/P209注

マテオ7・12、ルカ6・31、これは黄金の法則と言われている。