個人は最小の教会

 

神の国はあなたたちの間にある(ルカ17・21)

 

 

 

 

1.個人は最小の教会

2.教会・・・再生した人間

 

 

 

1.個人は最小の教会

 

 

黙示録講解20

 

教会は天界のように、人間の中にあって人間の外にはなく、従って、善から諸真理の中にいる人間が教会である。

 

 

 

天界の秘義29

 

『神の国』により、普遍的な意義では、天界全体が意味され、それ程普遍的でない意義では、主の真の教会が意味され、個別的な意義では、真の信仰を持った人間各々が、また信仰の生活により再生した人間各々が意味されている。それ故このような人間は、天界がその人の中に存在するため、また『天界』と呼ばれており、同様に、神の国がその中に存在しているため、『神の国』と呼ばれている、例えば主はルカ伝で主御自身以下のように教えられている―

 

神の国は何時来ますかと、パリサイ人から尋ねられた時、かれは答えて、言われた。神の国は見えるさまで来るのではない。また人々は、見よ、ここを、また見よ、そこを、とも言わないであろう。見よ、神の国はあなたらの中に存在している(ルカ17・20、21)。

 

 

 

天界の秘義40

 

しかしそれはエゼキエル書(47・8〜10)からはさらに明らかであって、そこに主は新しい神殿を、または全般的に新しい教会を述べられ、また教会の人間を、または再生した人物を述べられている、なぜなら再生した人間は各々主の神殿であるからである―

 

 

 

天界と地獄57

 

 天界について言われることは教会にも言うことができよう、なぜなら教会は地上の主の天界であるから。そこにはまた多くの教会が在って、その各々は教会と呼ばれているが、実際、それが愛と信仰の善に支配されている限り、教会である。ここにもまた主は色々な部分から一つのものが作り出され、引いては多くの教会から一つの教会を作り出されている。教会全般について言われることは、また個別的に教会人にも言うことが出来よう、即ち、教会は人間の中に在って、その外には無く、主がその中に愛と信仰との善によって現存されている者各々が教会である。天界を宿している天使に言われることはまた、教会を宿している人間にも言うことが出来よう。即ち、彼は、天使が最小の形の天界であるように、最小の形の教会であり、更に、教会を宿している人間は、天使と同じく、天界である。なぜなら人間は天界に入って、天使となるように創造されており、それ故主から善を受ける者は人間天使であるから。人間が天使と共通に持っているものは、人間の内部は天使の内部のように天界の映像(イメージ)に応じて形作られているということであり、また人間は愛と信仰との善にいるに応じて天界の映像となるということである。人間はさらに以下のものを持っている。即ち、人間の外部は世の映像に応じて作られており、人間は善にいるに応じて、彼の中の世は天界に服従して、天界に仕えており、かくて主は彼の二つのものの中に、天界に現存されておられるように現存されている。なぜなら神は秩序であられるため、主は凡ゆる所の主の神的秩序の中におられるからである。

 

 

 

天界の秘義6113

 

 人間は善と真理の中にいる時その人間は教会であり、こうした人間の集まったものが全般的な教会を作るからである。

 

 

 

真の基督教767

 

 主に対する信仰を持ち隣人に対する仁慈に生くる者は凡て、個体的な教会であり、全体的な教会は類似した個体から成り立っている。

 

 

 

デボラ/生ける神よりあかされた英知/5巻P107

 

ああ、小さな子供たち、教会は、再びその光輝を取り戻さなければなりません。あなたがたの使命はこのことにかかわっています。なぜなら地上のあらゆる場所において、あなたがた自身が教会だからです。キリストの神秘的肢体において、あなたがた各自が、鼓動する教会の心臓なのです。

 

 

 

スウェーデンボルグ/聖書/78

 

教会は人間の中に在るのであって、人間の外にある教会は己が中に教会をもった幾多の人間のもとにある教会である。このことが神の国は何時来ましょうかとたずねたパリサイ人に答えられた主の御言葉の意味である―

神の国はあなたたちの中にある(ルカ17・21)

ここでは「神の国」は主を意味し、主から教会を意味している。

 

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/5巻P138

‘91・6・6

 

これほど愛深く、誠意と慈しみをもって私にして下さいますことを、私と同じ欠乏にあえぐ、あなたの子どもたち皆にもして下さいますでしょう?

 

祝されよ(*)! 私 神は 一人ひとりを救い出しに訪れる。

 

    イエスはとても嬉しそうでした。

 

私の教会が萎れていくのは許さない。 世代よ、あなた方を救い出そう・・・しかし脅迫や災難、怒りや非難によってではない。 あなた方の裸の身を 我が愛と慈悲にくるみ込んで、世代よ、救うつもりです。あなた方に惜しげなく 聖霊を送り 聖霊に満たされた霊は:

           「アッバ」

と私に向って叫ぼう! 今日は 我が被造物の耳が聞こえないため 私の眼には血の涙が溢れている。我が領土(*)には 強く抵抗する霊が入り込んだ。

 

    神は私どもの霊魂を言っておられます。住まわれる領土とは、神に属する、霊魂の芯の部分にあるのです。

 

霊魂は 息絶えだえとなっている。 かつての我が忠実な町(*)は 見ると 売春婦の町となっていた!

 

 *神は私どものことをここでは言っておられます。私どもを「町」と呼んで。

 

主よ! あなたの支配ですが、まだ始まっていないのですか?

 

こう書きなさい: 「仔羊の婚姻の晩餐に招かれた者は幸いである」(黙示録19・9)と。 私の支配はすでに多くの霊魂のうちに始まった。 私はこれらの霊魂たちを娶り 新にした(*)、

 

    黙示録21・5: 「今、私はすべてのものを新しくする。」に言及。

 

そしてまことに言う: 真理の霊は被造物全体に襲いかかって 町から町(*)へと制圧し、その中に見い出すであろうあらゆる淫らな、罪咎や不浄を、私は、自らの手で一掃する。 天から送る火によって、愚かさの植えつけたあらゆるものを 焼き払う ♡ 娘よ、先の天と先の地は消え去り(黙示録21・1) あなた方一人ひとりが我が聖霊の愛によって 新しくされよう、私はこの世界のおもてを変える。

 

    神は:霊魂を次々にと言っておられます。

 

教会に刷新、私どもの刷新とはこのことでしょうか、私たち自身が教会ですから? 新しいエルサレムですから?

 

教え子よ、よく言った。 あなた方は皆私の教会、我が聖所であり砦()、私の領分、町、我が嗣業の地、エルサレム ♡ 私の愛の火で  町々(**)を次々と新にしてゆこう。

 

    ダニエル書11・31、同上12・11、マタイ福音書24・15。

    *私ども。

 

 

 

 

2.教会・・・再生した人間

 

 

天界の秘義40

 

しかしそれはエゼキエル書(47・8〜10)からはさらに明らかであって、そこに主は新しい神殿を、または全般的に新しい教会を述べられ、また教会の人間を、または再生した人物を述べられている、なぜなら再生した人間は各々主の神殿であるからである―

 

 

 

真の基督教510

 

「悔い改めは人間の中なる教会の第一の要件である。」

教会はその凡ての会員から成り立つ交わりであり、人間は再生する時、この交わりに入るのである。凡ゆる者は罪の諸悪から遠ざかり、これを燃ゆる松明を携えて自らを燃ゆる薪の山の上に投げつけようとしている地獄の霊の群を避けるように避けることによって、再生するのである。人生の初期に、人間を教会に対して準備させ、これに導き入れる物が多くあるが、悔い改めの行為は教会を人間の中に存在させるものである。悔い改めの行為は、人間に神に対する罪なる諸悪を犯すことを思い止まらせ、また人間をそこから遠ざける。悔い改め以前は、人間は再生とは何の関わりも持たない。

 

 

 

天界の秘義6637

 

教会が教会であると呼ばれることは、そこに聖言があり、聖言から発している教義的なものが在るという事実から発してはいないのであり、また主がそこに知られ、そこに聖言があるという事実からも発してはいないで、それは人間が聖言に従って、または聖言から発している教義に従って生活し、かくて教義が生活の規定となっているという事実から教会となっているのである。こうした性格を持っていない者らは教会の者ではなくて、教会の外側にいるのであり、悪の中に生きている者は、かくて教義に反した生活をしている者は、聖言については、主については、聖典については何ごとも知っていない異邦人よりもさらに教会の外にいるのである。なぜなら前の者は教会の諸善と諸真理とを知っているため、自分自身の中に教会を消滅させているが、異邦人たちはそれらを知らないため、そうしたことをなすはずはないからである。さらに以下のことを知られたい。すなわち、仁慈の、また信仰の善の中に生きている者はことごとく主の教会と王国であって、そこから神の神殿、また家と呼ばれているのである。全般的な教会は個別的な教会である者たちから―その者たちはいかほど遠くはなれていても、その者たちから―成っているのである。それゆえこのことがここに(出エジプト記1・1)、また以下の記事に「イスラエルの息子たち」により意味されている教会である。