2003年1月のみことば |
『あなたがたは主にお会いすることのできるうちに、主を尋ねよ。近くにおられるうちに呼び求めよ。 悪しき者はその道を捨て、正しからぬ人はその思いを捨てて、主に帰れ。そうすれば、主は彼にあわれみを施される。われわれの神に帰れ、主は豊かにゆるしを与えられる。』 (イザヤ書55節6〜7節、口語訳) イエスは、ヘロデ王の時代にユダヤのベツレヘムでお生まれになった。そのとき、占星術の学者たちが東の方からエルサレムに来て、言った。「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです。」 (マタイによる福音書2章1〜2節) 「一日の計は朝にあり、一年の計は元旦にあり」と言います。2003年の新しい年を迎えたこの1月、気持ちも新しく良い年となるように良い習慣を身につけようと思い、新しいことにチャレンジされた方も多いことと思います。 期待と希望をいだいて新たな歩みに進んでいこうとしておられると思います。その思いと同じように、東の方で星を見て、神のみ子イエスのところに拝みに来た学者(賢者)たちは、期待と望みをいだきながらエルサレムに到着しました。「ユダヤ人の王として生まれた方」を拝謁するため長旅をしてきたのでした。 新しい出会い、新しい体験を求めていたことでしょう。 クリスマスでは、ページェント(降誕劇)をもってイエス様の誕生を祝い、礼拝をいたします。幼な子イエスのところに来た人々として、荒野にいた羊飼い達と東方の学者(賢者)たちが続けて登場いたします。同じ日にたどり着いたようにも見えますが、東方教会において学者(賢者)たちは星に導かれてベツレヘムを訪ねてきたのが1月6日であるとしています。そしてこの日を生誕祭としていました。その後、4世紀になって降誕日が12月25日に移り、かつての生誕祭は公現(神の顕現)節として祝われるようになりました。公現節(日)−神ご自身が私たちに明らかにあらわれてくださった日−として祝うのです。 日本では、新しい年始めに神社やお寺に“家内安全”“商売繁盛”“健康が与えられるように”“世界に平和があるように”と様々な願い事をもって出かけていきます。人によってご神体が安置されている所、境内へと出かけていくわけです。 一方、聖書に示されている神は人々が出かけていって会う方ではありません。旧約聖書の時代においては、主なる神は、ある特定の場所を指定されました。エジプトの国で奴隷とされていた当時のイスラエルの人々は、神が遣わされた指導者モーセによってエジプトを脱出し、荒野での生活の中で神の臨在の場所(神と出会うところ)を与えられました。 神は臨在する印の場所として幕屋を造ることを命令され、常にその幕屋においてモーセに出会って下さったのです。その後、幕屋は神殿として建て直され、祭司たちを通してイスラエルの民と出会って下さいました。 しかし、主イエス・キリストの誕生は、人々がある特定の場所(位置)に行くことによってのみ神との出会いの場が与えられるのではないことを現しています。 旧約聖書時代の、神が臨在されるところまで出かけていくのでなければ叶わなかった神との出会いから、神自らが人間のところに来てくださったことの始まりであります。 イエス・キリストのその生涯(生き方)その最後の姿は神に出会うための完成への働きでありました。 神に反逆し、神を神とも思わず自分の欲望のみを追求することしか知らない人間(私たち)が、神と出会うことはゆるされないことでした。しかし、人を創造された主なる神は、人と神との間に最初の健全なる愛の関係を立て直すために、み子であるイエス・キリストにその罪を背負わせ、犠牲として十字架上において死なせることで解決の道を整えてくださったのです。今、私たちはイエス・キリストを通じて主なる神に出会うことができるのです。私たちが、出かけ、探し、見つけ出すのではなく、私たちのところに来て下さり、出会って下さいます。 東方から来た3人の学者(賢者)たちが、主イエス・キリストに出会ったように、この年、神のひとり子であり救い主であるキリストに出会いましょう。すでにあなたのそばまで来ておられ、あなたが気付くのを待っておられます。 『あなたがたは主にお会いすることのできるうちに、主を尋ねよ。 近くにおられるうちに呼び求めよ。 悪しき者はその道を捨て、 正しからぬ人はその思いを捨てて、主に帰れ。 そうすれば、主は彼にあわれみを施される。 われわれの神に帰れ、主は豊かにゆるしを与えられる。』 イザヤ書55節6〜7節(口語訳) 主なる神は、この時代において目には見えませんが、聖霊(神の霊)によって働いておられます。私たちには神の働きが「あーこれだ」「あれだ」とは分からないことですが、不思議な力をもって働いておられるのです。それらは後になって知ることができます。今この時もこのHPを見ておられるあなたにも働かれています。 1人の牧師先生をご紹介しましょう。この先生は1990年に韓国留学中にイエス・キリスト(キリスト教)と出会い、イエスを救い主として信じてクリスチャンになられた松岡広和先生です。松岡先生は、天台宗の僧侶としても働き、その後、韓国の仏教の大学に留学して学んでおられました。キリスト教と出会うことなど考えられない生活、立場にありました。教養としてのキリスト教を学ぶことはあっても、イエス・キリストと人格的な出会いをするなど、普通では考えられないことでした。けれども、主なる神の側の計画はそうではありませんでした。なぜ教会に行くことになったのか?それはクリスマスに友人がクリスチャンの人から誘われ、その友人に「一緒について来て欲しい」と頼まれて教会のクリスマスに出席したことが最初のきっかけであったのです。これ以上の深入りはないと先生も考えていたそうですが、主なる神の働きは、周りの人々を通して松岡先生の心をだんだんと変えていかれたのです。 松岡先生のように仏教の僧侶からキリスト教の牧師に変えられた場合など、誰もが「なんで」「どうして」と必ず口にするでしょう。しかし、人間的には考えられないことであっても、神はわざをなされ、本当の神との出会いを神の側から向かって来て下さるのです。 今、あなたにも神の働きは成されているのです。2003年のこの年、イエス・キリストを通して主なる神に出会ってください。あなたのそばで、あなたと向き合いたいとイエス様は待っておられます。 参照:「イエスに出会った僧侶」(いのちのことば社) 松岡広和著 |
浦和別所教会 山田称子牧師 (やまだ しょうこ) |
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