2001年11月のみことば

 

「私達の命は誰のもの」

 

「わたしは裸で母の胎を出た。裸でそこに帰ろう。主は与え、主は奪う。主の御名

はほめたたえられよ。」         (ヨブ記1章21節)

 

 私達が日常生活の中で、元気に生きていると、いつまでも元気に生きているように思ってしまいます。自分が病気になるなどと考えもしないことがあります。でも自分や身近な者が病気になって入院すると、健康のありがたさを実感します。なぜ人は病気になるのでしょうか。もしかしたら、神様が私達に元気でいることの感謝を忘れないように、そして命には限りがあることを教えるために、病気があるのかもしれません。

 私の個人的なことを書かせて頂くことを許して下さい。私は2年前の夏に、自分の母をガンで亡くし、今年の9月に父を亡くしました。自分の両親が亡くなった訳ですが、いつかはこの日が来るわけですが、実際に来てみると、いろいろと感じるものがあります。順番どおりですので、そしてきちんと看取ることもできましたので、これでよかったのだと思います。

今年になってから、父はお腹が痛いと時々訴えました。近くにいる姉が対応してくれて病院にも行き、入院検査もしました。田舎の方では大きな病院でした。でも結局分からず退院と言うことになりました。そして3日後に腹痛を訴えて、緊急入院、手術と言うことになりました。入院したのは、初めての病院でした。開腹手術をしました。狭心症のために、内臓まで血液が行かず壊疽状態でした。小腸を全部摘出しましたが、その10日後に、死亡となりました。お腹が痛いだけでいたのに、それが死亡となったのです。あっと言う間の出来事でした。この時、人間の命が人間のものではないことを実感しました。

 

 人の命には限りがあることを実感します。どのようにしても人間は自分の命について左右することはできないと言うことです。いつかは来る自分の死、どのように来るのだろうかと言うことを考えつつ、今与えられた時間を大切にしようと思いました。神様が私達に許して下さっている時間があります。それを大切にしたいと心から願っています。

 

                    飯能教会 横山厚志牧師

                   (よこやま あつし) 

※ 横山厚志牧師は、2003年4月岩村田教会(長野県佐久市)に転任しました。

 

 

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