2011年3月のみことば

命のパン

 その翌日、湖の向こう岸に残っていた群衆は、そこには小舟が一そうしかなかったこと、また、イエスは弟子たちと一緒に舟に乗り込まれず、弟子たちだけが出かけたことに気づいた。ところが、ほかの小舟が数そうティベリアスから、主が感謝の祈りを唱えられた後に人々がパンを食べた場所へ近づいて来た。群衆は、イエスも弟子たちもそこにいないと知ると、自分たちもそれらの小舟に乗り、イエスを捜し求めてカファルナウムに来た。そして、湖の向こう岸でイエスを見つけると、「ラビ、いつ、ここにおいでになったのですか」と言った。イエスは答えて言われた。「はっきり言っておく。あなたがたがわたしを捜しているのは、しるしを見たからではなく、パンを食べて満腹したからだ。朽ちる食べ物のためではなく、いつまでもなくならないで、永遠の命に至る食べ物のために働きなさい。これこそ、人の子があなたがたに与える食べ物である。父である神が、人の子を認証されたからである。」 そこで彼らが、「神の業を行うためには、何をしたらよいでしょうか」と言うと、イエスは答えて言われた。「神がお遣わしになった者を信じること、それが神の業である。」 そこで、彼らは言った。「それでは、わたしたちが見てあなたを信じることができるように、どんなしるしを行ってくださいますか。どのようなことをしてくださいますか。わたしたちの先祖は、荒れ野でマンナを食べました。『天からのパンを彼らに与えて食べさせた』と書いてあるとおりです。」 すると、イエスは言われた。「はっきり言っておく。モーセが天からのパンをあなたがたに与えたのではなく、わたしの父が天からのまことのパンをお与えになる。神のパンは、天から降って来て、世に命を与えるものである。」 そこで、彼らが、「主よ、そのパンをいつもわたしたちにください」と言うと、イエスは言われた。「わたしが命のパンである。わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者は決して渇くことがない。
                    (ヨハネによる福音書6章22節〜35節)


 イエス様が教えてくださった祈りの模範を「主の祈り」と言いますが、その中に「日毎(ひごと)の糧(かて)を今日も与えたまえ」という祈りがあります。「神さまが日々の食べ物を、今日も与えてくださいますように」との祈りです。
 わたしたちは食べ物が豊かにある時は、食べ物の問題で深刻になることはありませんが、少しでも不足したり、不作だったりすると、人間の弱さ・もろさを思い知らされます。

 年末から年始にかけて野菜が高騰したのは、皆様も記憶に新しいところではないでしょうか。 このように日ごとの糧を与えていただけるのは大きな恵みですが、更に大切な食べ物があることをイエス様は、わたしたちに教えて下さいました。
 イエス様はご自分のことを「命のパン」と呼ばれました。そして、このパンを食する者は皆「永遠の命を与えられる」と言われたのです。

 荒野で悪魔の試みにあわれた時も、「人はパンだけにて生きるものではない。神の口から出るひとつひとつのパンで生きる」と言われて悪魔を撃退させました。わたしたちの日常では、「何を食べようか」「何を着ようか」と生活の問題に追われますが、より大切なのは、この「命のパン」をいただくことであることを知らされます。

 この命のパンをいただく者は「ひとりも失わないで」「永遠の命」が与えられる」と言われています。「永遠の命」とは何でありましょうか。これを何か比喩的な意味にとらえる人がいますが、これは比喩ではなく、まさに文字通りの「永遠の命」なのです。ですから、わたしたちは「死」を最終的なものとは考えません。「死はわたしたちのひとつの通過点」でしかないのです。
 この事が確信できるようになるためには、必要な栄養を与えるパンを食べること、すなわち主イエスを礼拝の場において食する以外にはありません。

 静岡におりました時に、それを静かな口調で淡々と証しされた方がおられます。Tさんとおっしゃる歯科医師の方でしたが、敬虔な信仰の持ち主で、CS(Church School−教会学校)の校長など多くの教会奉仕をされていました。心臓の持病を持っておられて、一度、心筋梗塞で倒れられたことがありました。意識もうろうとなった、そのとき、次々と人の顔が目の前に現われては消え、現われては消えるといった、現象が起こったということです。それはすべて先に召されて方々で、しかも、皆、クリスチャンであったということでした。その病が癒されて、強くなったのは「復活の信仰」という事でした。わたしたちは、礼拝でイエス・キリストという「命のパン」をいただくことで、「復活の信仰」は深められると、最後の証しで力強く語っておられました。

 わたしたちも礼拝の場において、「主よ、そのパンをいつもわたしに下さい」と祈り続けてまいりましょう。
北本教会 石川栄一牧師
(いしかわ えいいち)




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