2010年12月のみことば

あなたの重荷を主に委ねよ

あなたの重荷を主に委ねよ
主はあなたを支えてくださる。
主は従う者を支え
とこしえに動揺しないように計らってくださる。
                    (詩編55編23節)


 私は数か月前、衝撃的な話を聞きました。ある集会でホテルや病院、学校などに聖書を無料で配布している国際ギデオン協会の全国委員をしている方の話です。

 彼がある集会で聖書の重要性を訴えるべく、「ここ数年、日本においては毎年3万人以上の方々が自殺しています。」と語るや、ある男性が、「3万人ではありません。10万人です。」と叫ばれたそうです。その方は警察に現職で勤めておられる方で、彼はこのような現実があることを語られたそうです。

 「マスコミ等で語られている自殺者3万人という数字は確かにその通りです。けれども実際はその通りではありません。10万人です。どうしてかと言うと、その日の内に亡くなれば自殺者となりますが、翌日以降亡くなると病死扱いにされます。実際は10万人です。」と。
 「10万人」という数は果たしてどれ位でしょうか。無論判断はつきます。けれども具体的数字を当てると途方も無い数字であることが分かります。私共の教会のあるさいたま市中央区の人口が住民基本台帳によると11月1日現在、95,629名となっております。「自殺者10万人」という数字を区民に当てはめるならば、赤ちゃんから最高齢者に至る区民全員が一年間で亡くなってしまったことになってしまいます。
 他の例を挙げるならば、原爆投下の結果、広島で122,338人、長崎で73,884人の尊い命が奪われました。すなわち毎年一個の原子爆弾が日本に投下されている現実があります。

 私の郷里は秋田県ですが、ここ数年残念ながら自殺率日本一になっております。行政では「自殺者を出してはならない」と、様々な取り組みが行われているようですが、目に見える成果は余り出ていないようです。
 同級生の中に郷里で医者や看護師をしている者がおりますが、「医療従事者として無力を感じている」と語ってくれました。彼らは命を救うために一生懸命です。しかし、「もう死なせてくれ」と叫ぶ患者たちがいるのです。
 現代、病院においては病を治す、ということだけではなく、退院した患者のその後の生活の心配をしなければならない現実があります。無論、行政との連携プレーもありますが、彼らが助けたくとも助けることのできない現実がある、との苦悩を語ってくれました。

 牧師として、あるいは社会運動や平和運動において大きな働きをした賀川豊彦の献身100周年の記念会が昨年、各地で行われましたが、彼は所謂正妻ではなく、愛人の子として生まれ、大変淋しい幼年時代を送ったと言われております。
 彼が4歳のとき、両親が相次いで亡くなり、彼は父の実家に一歳上の姉と行くのですが、そこでも冷たくあしらわれ、15歳のときには、家督を継いだ兄も事業に失敗し、賀川家は没落してしまいました。そのとき、賀川少年はこう思ったそうです。「自分は何と惨めな境遇に生まれたのだろうか。自分が生まれて来たのは何のためなのだ。父親の浮気によってこの世に生を受け、人からは愛人の子と蔑まれ、一文無しで世間に放り出され、人の人情によってようやく生きている。こんな自分の人生に一体どういう意味があるのだろうか。自分は本当に価値ある存在であるのか。」と苦悩するのでした。そこには人間としての本質的な問題があります。
 自分の置かれている境遇に涙する彼に対して、ローガン宣教師は、「涙を乾かして、太陽を仰ぐのです。泣いている目には太陽も泣いているように見え、微笑む目には太陽も笑って見えるのですよ。」と語って励ましたそうです。そこには「神を仰ぐ」という大切な視点が示されております。

 聖書に登場するダビデは立派な王でした。しかし罪人でもありました。国が戦争の最中、部下のウリアが兵役中、彼の妻バト・シェバと姦淫の罪を犯し、彼女は妊娠してしまいます。証拠隠滅を計るためウリアを戦地から呼び戻すのですが、彼は忠実な人物である故に、「主人のヨアブも主君の家臣たちも野営しているのに、わたしだけが家に帰って飲み食いしたり、妻と床を共にしたりできるでしょうか。」と語り、家に帰ろうとはしません。そこでダビデは彼の長であるヨアブ宛ての書状をウリアに託して戦地へと帰らせたのです。その書状には、「ウリアを激しい戦いの最前線に出し、彼を残して退却し、戦死させよ」との指令が書かれていたのでした。(サムエル記下11章)その結果、ダビデ王に忠実に仕えていたヨアブは、信頼していたダビデの指令によって戦死してしまいます。

 しかしダビデはその罪を如何に隠そうとも、預言者ナタンによって暴露されてしまいます。そしてその後のダビデ家には次から次へと深刻な問題が生じました。息子アムノンは母違いの妹タマルに力づくで辱めを与えてしまいます。それを知って怒ったタマルの兄アブサロムの復讐によってアムノンは殺されてしまいます。
 それだけではありませんでした。そのアブサロムが父ダビデ王の地位を奪うべく、ダビデの命を狙います。けれども、ダビデはそのような息子であったとしても、父親故に手を下すことはできません。しかし、そのダビデの思いも空しく、我が子アブサロムはダビデの部下によって殺されてしまいました。

 ガタガタと崩れて行く崩壊家庭を見るような思いがします。父としても、王としての外聞も何もあったものでもありません。実に惨めでどん底に叩き落とされたかのように見えるダビデでしたが、彼は悔い改めて、神よりの赦しを受けるのでした。
 そのような罪故に辛酸を舐めたダビデは歌うのです。「あなたの重荷を主にゆだねよ。主はあなたを支えてくださる。主は従う者を支え、とこしえに動揺しないように計らってくださる。」(詩編55編23節)と、深い苦悩の中から主によって救っていただいた彼は、自らの体験を通して、この賛美を献げたのです。
 人に空しさを与えるのは罪です。けれども罪赦されるならば、また抱えきれない重荷を委ねることのできるお方がおられるならば、人生に光が与えられ、平安で満たされます。

 賀川豊彦は19歳の時、当時「死の病」と恐れられていた結核に罹り、医者から「余命2年」との宣告を受けてしまいました。その時の心境を「私は全く絶望だ。絶望だ。人生の価値に全く疑ってしまった。一晩泣いた。」と日記に綴っています。
 そのような絶望している彼を、当時豊橋教会の牧師をしていた長尾巻牧師が受け入れ、励ましその看病が効を奏し奇蹟的に癒され、当時日本最大のスラムであったと言われる神戸の新川葺合に転居し、彼らの隣人となり、福音を伝えようとしました。そこにあったのは実に悲惨な現実がありました。そして賀川自身も彼らに対する思いも空しく、暴力を受け、脅され、家財道具まで奪われる経験をします。

 そこで賀川はどのようにして神の愛を彼らに伝えようかと悩むのですが、ある時、示されて、このような説教をしたそうです。
 「神様の愛をたとえて言うなら、丁度赤ん坊のオムツを取り換える母親のようなものだと思うのです。赤ん坊は、オムツが汚れると、自分ではどうすることもできないから、泣いて知らせます。そうすると、母親は夜中でも、すぐに起きてそれを取り換え、抱いて眠らせます。この母親の姿こそ、ただひたすら我が子を愛し、そのために全てをささげる犠牲的な姿であります。私たちも赤ん坊と同じです。悲しみや悩み、憎しみや不平不満に縛られ、自分ではどうすることも出来ないので、神様に泣いて知らせることしかないのです。神様、辛いです。悲しいのです。何とかしてください、と大声で泣くのです。そうすると、神様はその重荷をすぐに取り去って、新しい喜び、新しい希望を代わりに下さるのです。」と語ったそうです。

 少年時代、自分の出生の意味を見出せずに苦しんだ彼でしたが、キリスト・イエスを信じる信仰を通して、この世も、また自分自身も偶然に存在するのではなく、神が目的をもって自分自身をも創造してくださったことに、人生の意味とその目的を見出し、そして主に重荷を委ねることが出来たのでした。
 絶望を抱いていた賀川を助けた長尾巻牧師の父、八内はかつて前田藩で奉行をしていた人物で、米騒動が起こった際、高岡町民をかばい、人々から敬慕され、彼を神とする「長尾神社」が建立されるほどの人物でしたが、明治時代に入り、宣教師トマス・ウインの導きにより、キリスト者になりましたが、その時、彼はこう語ったそうです。「太陽が出たのに、提灯に頼るべきではない。」と。

 正に真理をついております。主イエス・キリストこそ、重荷を担ってくださるお方であり、このお方にこそ、真の救いがあり、光があります。

埼大通り教会 東海林昭雄牧師
(しょうじ あきお)




今月のみことば              H O M E