2010年1月のみことば

主の名付けの年、2010年

 わたしたちの間で実現した事柄について、最初から目撃して御言葉のために働いた人々がわたしたちに伝えたとおりに、物語を書き連ねようと、多くの人々が既に手を着けています。そこで、敬愛するテオフィロさま、わたしもすべての事を初めから詳しく調べていますので、順序正しく書いてあなたに献呈するのがよいと思いました。お受けになった教えが確実なものであることを、よく分かっていただきたいのであります。
               (ルカによる福音書1章1節〜4節)

 わたしたちは2009年のクリスマスを祝いました。
2009年前に、イエス・キリストがイスラエルのベツレヘムという町でお生まれになりました。平たく言えば、イエス・キリストの2009回目の誕生日です。
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 2009年というのは、西暦と呼ばれる紀年法によるもので、世界で広く使用されています。世界には支配者の名前を付ける紀年法もありますが、一国の支配者による元号は、その支配が及ばない他国では通用いたしません。今日、年数を数えるときに広く、BCとADという記号が使用されています。「紀元後」と訳されるADという記号は、アンノ・ドミニというラテン語の略で、「主の年に」という意味で、17世紀に命名されました。「主」とは支配する者のことであり、「イエス・キリスト」を表します。ですから、主の年とは、イエス・キリストがお生まれになり、イエス・キリストが支配するようになってから何年という意味になります。また、「紀元前」の日本での欧文表記は英語で、「Before Christ(ビフォア クライスト)の略−キリスト以前」つまり、BCです。B.C.とも書きます。アルファベット4文字ですべてを表すとは、考えた人は偉いものです。しかし、これらは西洋の暦というよりは、キリスト教会の暦なのだと気づいた教会外の人たちは、A.D.をC.E.「Common Era(コモン エラ)の略−基準の世紀」、B.C.をB.C.E.「Before C.E.の略」と書き換えます。しかし、表記だけ変えても、暦の年数はそのまま用いているわけで、キリスト教の影響力の大きさを知るのです。

 この暦はローマの神学者ディオニュシウス・エクシグウスが紀元後532年に作ったものです。彼はローマ教皇ヨハネス1世の委託により、キリスト教の移動祝日である復活祭の暦表をもとに計算し、イエス・キリストの誕生を元年とする新たな紀元を提案したのです。ちなみに、紀元1年に生まれたことになっていて、紀元0年の存在は考えなかったようです。

 この計算に対して、聖書と歴史の研究が深められ、イエスの誕生はもう少し早かったと推定されるようになりました。新約聖書の「ルカによる福音書」によれば、イエスが誕生したのは、ローマ帝国の皇帝アウグストの時代、クレニオがシリヤの総督であった時であるとされます。この時、住民登録をするようにという命令が発せられ、イエスの両親が故郷ベツレヘムへと向かい、そこでイエスを産んだとあります。徴税のためのその命令は、紀元前7年と6年に出されたことがわかりました。さらに、イエスを殺そうとしたヘロデ大王が没したのが紀元前4年でしたから、今日では、イエスの誕生は、紀元前7年から4年のあいだとされています。

 細かいことはさておいて、一人の人間の誕生によって、人類の歴史が紀元前と紀元後に分けられ、この一人を中心に年数が数えられることになったのです。イエス・キリストを中心に、キリスト以前何年、主の年何年と数えているのです。考えてみると、これはとてもすごいことではないでしょうか。たった一人の人間によって、歴史にくさびが打ち込まれるように2つに分けられ、しかも、この年もあの年も「主の年−主の恵みに支配された年」として、わたしたちは歩むのです。単なる歴史だったものに天与の意味がつけられたのです。それが、クリスマス、たった一人の赤ん坊の誕生から始まったのです。
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 「クリスマス」という言葉は、キリストとミサが一緒になったものです。キリストはヘブライ語の「メシヤ−救世主の意」という言葉で、旧約聖書から来ています。この「メシヤ」を、新約聖書が書かれた当時の通用語、ギリシヤ語に翻訳したのが「クリストス−キリスト」という言葉です。「マス」とは、カトリック教会でひろく礼拝を意味する「ミサ」のことです。つまり「クリスマス」とは、聖書に預言された救世主の誕生を喜び、礼拝することをさしているのです。
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 一般的には、クリスマスは12月24日のイブで終わりと考えられて、売れ残ったデコレーションケーキが投げ売りされ、25日を迎えても、教会ではクリスマスはまだ終わらず、さらに1月6日まで続くのです。

 1月1日は元旦ですが、主イエスが生まれて8日目にあたり、主イエスが割礼を受けた日であり(ルカ2章21節)、「イエス(その意味は、主は救い)」と名付けられた命名日となっています。そして、6日は「公現日」と呼ばれ、マタイによる福音書のクリスマス物語に登場する東方からやってきた占星術の学者たちが到着した日として、祝います。主イエスが洗礼者ヨハネから、洗礼を受けられた日ともされています。この日を迎えてクリスマスの飾り付けははずされます。ツリーもイルミネーションもしまわれますが、本当のクリスマスは終わりません。毎週の日曜日が、クリスマスなのです。イエスを主と仰ぐキリスト者たちは、日曜日を「主の日」「聖日」と呼んで、一年中礼拝を続けるのです。
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 神の恵みを豊かに受けながらも恵みを軽くあつかったり、主の名付けの年を歩みながら主のみ言葉のもとに身を高くしたりするようなことはせずに、生きたいものです。主のみ手が短いのでわたしを救い得ないとか、主は顔を隠してしまわれたのではないかとか、信仰の初歩にとどまり続けさせようとする誘惑に負けずに、生きたいものです。わたしたちの心に、キリストの救いを、そして恵みを、この年もくさびとして打ち込んでいただき、主の名付けの新しい年2010年も上を見あげながら歩んでまいりましょう。
埼玉新生教会 中村 眞牧師
(なかむら まこと)




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