2009年4月のみことば

仕えるために

 そのとき、ゼベダイの息子たちの母が、その二人の息子と一緒にイエスのところに来て、ひれ伏し、何かを願おうとした。イエスが、「何が望みか」と言われると、彼女は言った。「王座にお着きになるとき、この二人の息子が、一人はあなたの右に、もう一人は左に座れるとおっしゃってください。」 イエスはお答えになった。「あなたがたは、自分が何を願っているか、分かっていない。このわたしが飲もうとしている杯を飲むことができるか。」二人が、「できます」と言うと、イエスは言われた。「確かに、あなたがたはわたしの杯を飲むことになる。しかし、わたしの右と左にだれが座るかは、わたしの決めることではない。それは、わたしの父によって定められた人々に許されるのだ。」 ほかの十人の者はこれを聞いて、この二人の兄弟のことで腹を立てた。そこで、イエスは一同を呼び寄せて言われた。「あなたがたも知っているように、異邦人の間では支配者たちが民を支配し、偉い人たちが権力を振るっている。しかし、あなたがたの間では、そうであってはならない。あなたがたの中で偉くなりたい者は、皆に仕える者になり、いちばん上になりたい者は、皆の僕になりなさい。人の子が、仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのと同じように。」
                    (マタイによる福音書20章20節〜28節)

 イエスと弟子たちの一行は、エルサレムへ向かう途上にあります。それはすなわち、十字架へ、受難に向かう旅です。そのとき、ゼベダイの子らの母がイエスにお願いするという話です。ゼベダイの子らというのは、ガリラヤ湖で、ペトロに次いでイエスに呼ばれて従ったヤコブとヨハネです。ヘルモン山に行く時に選ばれてついて行った人たちです。ペトロとこの兄弟の三人は、特にイエスに選ばれて山の上について行った人々であるとお話しました。

 イエスが何が望みかとお尋ねになると、その母は「王座にお着きになるとき、この二人の息子が、一人はあなたの右に、もう一人は左に座れるとおっしゃってください。」と申しました。イエスが王座におつきになる・・・つまり権力を握り、人々を支配される場を占められたら、今で言うと総理大臣か、秘書官か、側近として大切な地位につけてくださいとお願いしたのです。親も家も捨てて従った者たちに報いてくださいと言うのは、いわば自然なお願いだったと言えるでしょう。ただ見出しの下に、マルコ福音書の並行記事のことが出ていますが、そちらには、ヤコブ、ヨハネの母は登場しないで、彼ら兄弟が直接お願いする形になっています。今日のマタイ福音書では母がお願いしているのですが、イエスの返事は直接お願いした筈の母には向かわないで、二人の兄弟に向かっています。マルコ福音書では母が出てこないので、イエスの返事は当然、二人の兄弟向けです。

 マタイ福音書は、マルコ福音書も資料の一つにして15年から20年くらい後に書かれたものなので、母が登場しないマルコの内容が事実に近いのではないかと考えられています。生前のイエスに従った使徒たち、初代教会の重要人物であるヤコブとヨハネの二人が、受難の迫っているイエスの傍らにいて、受難のことも全く無関心に、自分たちに高い地位を約束してくださいとお願いしている・・・これは、あまりにも不見識なことではないか。これは本人たちではなく、母が執り成しをお願いしたことにしよう。だいたい女、子どもというさげすみの言葉もあるように、女は知恵が足りないことになっていて、証人になる資格もない、さらに母親は子どもについては盲目になるところがあるのだから、それでいけるだろう・・・。マタイは編集の段階でこう考えたのではないかと思うのです。

 「王座にお着きになるとき」という言葉が表しているように、弟子たちはイエスのみ国がこの世に間もなく実現することを期待しているのです。イエスはこの時までに、受難と死について三度予告しておられるのに、彼らは受難を差し迫っていることと受け止めていないのです。イエスがエルサレムに入城されれば、直ちにイエスの支配が確立すると信じていたのです。彼らはそういうメシア観を抱いていたからです。

 イエスはこの願いに対して、「あなたがたは、自分が何を願っているか、分かっていない。このわたしが飲もうとしている杯を飲むことができるか。」と言われ、二人は「できます.」と答えます。イエスは受難と死という必然的な苦い宿命を、わたしの飲む杯と言われたのですが、これを飲むということは、イエスと同じ受難の道を歩むということです。しかし彼らは、それがどのように苦いものかは分からないままに「できます」と答えます。彼らとしては、どこまでもイエスと共に進みますという程度の理解を前提とした決意の表明です。イエスは「確かにあなたがたはわたしの杯を飲むことになる」と言われました。ヤコブは最初の殉教者だと先週言いましたが、ヨハネもエフェソで活躍した後、晩年殉教の死を遂げたと歴史に述べられています。(エウセビオス「教会史」)彼らの不用意な発言は事実となるのです。この文面ではイエスが預言されたことになっています。

 それから、ヤコブとヨハネが特にイエスの側近になりたいと願い出て、それにほかの弟子たちが憤慨したということにはもう一つ意味があったと思います。ペトロとヤコブとヨハネの三人は、イエスの山上の変容のときに連れて行かれたほかに、すぐ後に起こるゲッセマネでの、イエスが父なる神に心を砕いて祈られるその場にも連れて行かれているのです。しかし三人は、イエスが切々と祈られる場で、どうしても起きていられなくて寝てしまうという頼りない態度を示してしまうのですが。イエスがこの三人に特に注目しておられたのは確かです。ペトロ、ヤコブ、ヨハネの三人は、イエスが去られたのち、教会を指導する使徒たちの中でも中心的な活躍をするのですが、初代教会の信仰をどう指導するかについての方針が一致していたのかどうかは分からないのです。ここでヤコブ兄弟が、イエスの側近としての地位争いをしようとしているのは、単なる名誉欲などではなくて、イエスの信仰をどう伝えていくかについての方針の対立が、ペトロとの間にあったのかもしれないのです。

 16章では、ペトロがイエスに対して「あなたはメシア、生ける神の子です」と言って、「あなたは幸いだ。あなたにこれをあらわしたのはわたしの天の父だ」とイエスに評価されるところがありました。これは実は、この時のペトロの言葉とは言えないのではないか、実際、この時にイエスの受難について、弟子たちには本当のことは分かっていなかったと考えられると、お話しましたが、マタイはこのことを先に起こった事実として述べているわけです。つまりはペトロを弟子の中の第一人者と位置づけようとしているのです。

 のちにパウロが教会に参加するようになって、彼はパレスチナを出て、小アジア、ギリシアで異邦人伝道に大活躍するのですが、パウロは初めファリサイ派として教会を迫害したほうだからと少し遠慮していますが、もともと情熱家で勉強家、熱心で、たちまち使徒と数えられることになります。しかし弟子の第一人者であるペトロとは、異邦人宣教をめぐって衝突をし、皆が見ている前でペトロを激しく非難してアンティオケ教会を離れることになります。のちのち、コリント教会でもユダヤ主義者と対立して論争をしますが、パウロの論敵にはペトロの影響を受けた人々がいたようだと考えられています。だから、イエスの信仰をどう受け継ぐか、教会の方針をめぐって初代教会もなかなか筋なわではいかなかったのです。

 25節以下のイエスの言葉は、教会の倫理を語ってはなはだ単純明快です。キリスト教会において、統合、一つに結び合わせる力の原理は、権力支配に基づく政治の世界とは全く違っています。政治の世界では偉い人が権力をふるって人民の上に君臨します。政治の世界では、力関係が価値観を決めるのです。しかしイエスの御国ではまったく別の原理が支配します。「偉い人」は「仕える人」にほかならないのであり、イエスご自身が「仕える人」でした。そうなることが伝道者の目標だとイエスは言われたのです。後の歴史で、キリスト教が国教化して国の権力と結びついて、人々を弾圧する惨状が見られたからこそ宗教改革が必要になったのです。だからわたしたちは常に聖書によって、イエスに立ち戻らなければならないのです。
北川辺伝道所 柳下 仁牧師
(やなした めぐみ)




今月のみことば              H O M E