2009年1月のみことば

賛美は直きものにふさわしい

主に従う人よ、主によって喜び歌え。主を賛美することは正しい人にふさわしい。
                  (聖書協会口語訳聖書 詩編33編1節)

 わたしたちの愛してやまない山根良夫さんが天に召されました。本日は横浜の清水ヶ丘教会で長く教会学校長をされてキリスト教教育に尽くされた彼が神様にどんなに愛されたか、そしてその山根さんを神様がどのように生かされたかを通じて、ひとつの聖句と一つの讃美歌をテキストに神様からの私たちへのメッセージを受け取りたいと思います。

 詩篇33編1節「正しき者よ、主によって喜べ、賛美は直き者にふさわしい」(聖書協会口語訳聖書) 主に明け渡して、主を主とする者、あるいはどんなときにも従順に神様に期待して従っていくものは、つねに新しい歌を歌う・・という信仰告白の歌。ただし、直きものというわたしの大好きな言葉を久しく見ていなかった自分に一昨日、母教会の清水ヶ丘教会で行なわれた山根良夫さんの前夜式の参列者として礼拝していたその場で気づき、聖書をあちこち開き、思い出の言葉が見つけられず、狼狽してしまいました。

 さて山根良夫さんのお話しを我が家族との関りを含めてお話したいと思います。
 山根さんは1925年生まれ。私の信仰の先輩で1980年に妹と母がこの教会に導かれ祈りによって当時34歳の私が引っ張って行かれるようにその門を叩き、父、姉、最後に姉の夫と招かれたとき、教会の代表者のように、暖かくわが家族を迎えてくれたのが山根さんの奥さんの吟役員。(―あるご老人は慣れない教会の門をくぐったとき、駆け寄って迎えてくれた吟さんを、ああ、お寺さんの住職の奥さんだな、とうれしく感じたと述懐されていました。)帰りには、ご主人の良夫さんが、次週またお逢いしましょうね、それまでこの世の旅をグッドラック!とテヘッとウィンクしつつ握手してくださいました。

 私の父は26年前会社の倒産を契機に洗礼を受けたが、若いときからもともとがんこな性格で3代目のクリスチャンになることに抵抗し続け、「青山学院大学英文科のクラスの中で卒業まで一度も学内礼拝に出席しなかったのは俺だけだ!」と威張っていたという気難しい父。また、1967年の東京オリンピック資金財団長を最後に、73歳で一線から退いていた、そんな男としての引け目もあった、気位の高い、人見知りする老人の父をしゃれたジョークと魅力的な話題をもって積極的に笑いかけて取り込んで下さったのは山根良夫さんでありました。男性というのは初めて教会の門をくぐるには勇気が必要だし女性のようにさぁーと交わりに溶け込めない気恥ずかしさを感じるものなのですね。

 そんな父が気づまりにならずプライドを保たせて頂けたのも山根さんや牧師夫妻、聖歌隊の歓迎のおかげでした。信仰復帰してすぐ、半年間で26年間のフーポン信者とお別れしよう、と30代で洗礼を授かった茅ヶ崎恵泉教会より転会を夫婦で決意。来週クリスマス礼拝式中、転会式を受けると言う直前の聖日、周囲に挨拶をし、教会をあとにするときも飛んできて握手し来週お待ちしていますと言葉かけをしてくれた山根さん。父は、その後火曜日に転会式および私と康子妹の洗礼式打ち合わせのため、倉持芳雄牧師を我が家にお迎えするべき時間には、突然の死によりなきがらとなって病院から我が家に運ばれ、倉持牧師に納棺式を司式していただく展開になったのですが。

 一方、山根夫さんは石川島播磨造船所で長く技術者として働き、30カ国に出向かされ日本の造船技術を世界に紹介して戦後の経済の繁栄の一端を担ってくれた仕事人でした。海の男だから心広く、誰に対してもどんな国に行ってもすぐ溶け込み、また、人には常にウェルカム精神の愛の人で、妻と家族を愛するように神の家族にも世間のこどもすべてに愛を注いだ人でしたが、内実その様な人格はイエスさまにお会いしたときから自然に時間をかけて形成されてきたものであったようです。私たち家族の上に主がなされた奇跡は後日お話しするとして、12月21日には黒枠の父の写真を抱いた母が、私も5人の方々と受洗、後に妹、姉、姉の夫が受洗。家族全員が聖歌隊になりました。山根さんも教会学校をしつつ聖歌隊。その後お誘いにより私も教会学校の教師にならせて頂き薫陶を受けるようになり、1年後に献身。それまでの間と、ナザレンから4年後に帰ってきてまた、教会学校教師の一人として教師の礼拝の場で教えられた聖書はノートに数知れず残されています。

 ここで本題にはいるわけですが、本日テキストに選んだ詩篇33編1節は新共同聖書を使って味わうならこうなります。
 "主に従う人よ、主によって喜び歌え。主を賛美することは正しい人にふさわしい。"
 そこで彼が当時の教会学校の教師会で私に教えてくださったことは、とても印象深く私の心に刻印され、素直であること、こどものように神の国を受け入れることがまず信仰の一歩だ、と…。であるのに山根さんのご葬儀で思い出の聖句を新共同訳聖書をめくっていても一向に出てこない。 "直きもの、直きもの、さんびするにふさわしい直きもの"…どうしたことか?
 思い当たったのは、私が洗礼を受けた1980年から神学校を終えて帰って来た1986年ごろまでは、母教会はまだ日本聖書協会版口語訳聖書を使っていたのです。このことが冒頭の葬儀の中の狼狽の原因だったのです。この聖句を味わうとき、口語訳の「直き」は新共同訳では「正しき」になっている。最も11:7のbでは「御顔を心のまっすぐな人に向けてくださる。」と訳し、新改訳では「直ぐな人」、また、140:14では「主に従う人は御名に感謝をささげ正しい人は御前に座ることが出来るでしょう。」とあり、有名な聖句102:19「主を賛美するためにこの民は創造された。」とあり、以上を総合して考えると、主に明け渡してこどものようにまっすぐに主を受け入れるものにこそ賛美はふさわしい。主によってその人は一生涯喜びと祈りと感謝に満たされて生かされて行くでしょう。

 しかし山根さんの証しが印象的であったのは、山根さんはなかなかこの直き自分になれなかった。正確に言えば9年もの間吟さんに伝道されながら洗礼に行きつかなかった。彼は証しのなかでこころから素直に神を賛美する生活なんて来ないと思っていたといわれました。そのつまずきは奥様にあったという発言に驚かされたことを覚えています。彼は突然、"直きもの"にならされた。それは彼が洗礼を受ける直前であった。元来がんこなところも併せ持つ男性であったそうです。一方の吟さんは当時、大垣村ではたった一軒だけのクリスチャン。(それも姉と二人だけの。)しかし、その信仰は厚く、その故当時は迫害されていたといいます。1945年12月終戦処理のため残留した大垣市林町で進駐軍に配属された後、丸石工業(株)に勤務。そこでお国のために工場で働いていた吟子さんと知り合い1948年結婚。

 しかし長い間キリストを人生の救い主として受け入れることはなかった。妻の教会生活の理解者どまりであったといいます。そしてその最大の理由は妻だったと。優しく、家事、書華道に長け笑顔がかわいい。あまりにすばらしい人柄のあまり、人間には生まれつき良い人と悪い人がいて、悪い人はどんな努力をしても良い人にはならず(自分のように。)良い人は信仰とか関係なく、良い人に定められている。つまずきになっていたのは、小さいころからだれにでも心から親切を尽くす良い人であったと言う妻の家族の証言であったと。

 あるとき契機が訪れ自分も素直になって神様のひとり子イエス・キリストを救い主として認めようと、すーっと心が楽になったと。そのきっかけになったのは詩篇33:1であり、イエス様が言われた、マタイによる福音書18:1のお言葉であったと証しされていました。「はっきり言っておく。心を入れかえて子供のようにならなければ、決して天の国に入ることはできない。」
 1957年日本基督教団清水ヶ丘教会主任牧師倉持芳雄師により受洗されました。−素直になれたのも自分の努力ではなくて今思えば聖霊のお働きによるものだったと思う、と述懐しておられました。私は思いました。主のお働きだ。―そして吟夫人の涙ながらの9年もの間の密やかなお祈り、とりなしのお祈りが良夫さんのまわりに積まれた結果、神様を揺り動かされたのでしょうと。彼はそれから本当に詩33:1のように本来の明るさ、に加えて神様を賛美し常に神に感謝する生活、家庭の内外でも証しをたてられ、家族を信仰に導かれました。生涯をかけて神様の伝道のお仕事を手伝う人生へと導かれてきました。イエス様の十字架が、我がためであったと知ることにより、この感謝をいろいろな形であらわしたいと思われるようになりました。

 聖歌隊に入り大きな声で讃美歌をうたい、直きこころで、主を賛美する。特に伝道委員長も努めるほど伝道熱心であり、そのうえに長い間海外の伝道者のための海外宣教委員としても働かれました。身近な宣教が得意で、毎聖日来会される新来者への言葉かけ、求道者には教会の伝統的催しである求道会の責任を持たれました。また、家庭においては、妻が長い間近隣の方々の魂の救いのために続けてきた家庭集会のための準備から、お誘い、アフターケアを共に担ってきました。山根さんが"直きもの"になって行った過程で、なんとかしてイエスキリストに似るものになりたいとの思いの人生の途上で、私の父と、わが家族は山根さんお会いしたのです。

 さて、もうひとつのテキスト詩篇40から出来たという讃美歌1編75番のことです。
 詩篇40:1〜3を当時のお証しにより口語訳聖書から転記いたします。
 1節「わたしはたえしのんで主をまちのぞんだ。主は耳を傾けて、わたしの叫びを聞かれた」 2節「主はわたしを滅びの沼から引きげて、わたしの足を岩の上におき、わたしの歩みをたしかにされた。」 3節「主は新しい歌をわたしの口に授け、われらの神にささげるさんびの歌をわたしの口に授けられた。多くの人はこれを見て恐れ、かつ主に信頼するであろう。」

 讃美歌75番はアッシジのフランチェスコが作った詩を歌にしたものだと清水ヶ丘教会教会学校教師研修会のとき、当時新米の教師であり、また献身して神学生であった私に、校長であった山根さんが教えて下さった歌です。歌詞の内容は無条件で主に両手を差し伸べて、神に賛美をささげている信仰者の姿が描かれています。山根校長のレポートによれば、「当初この詩人は多分死ぬような病気から、その苦しさから―まるで底なしの沼に沈んでいくように感じられるほどの苦しみがあり、そこから救い出された経験があったのでしょう。フランチェスコは詩篇40編2節の『泥沼に沈んでいた自分の足が岩の上に立った。』というお言葉を読んだときに、あまりに神のありがたさに感動し、それ以来、彼は岩の上を歩くごとに感激して足がふるえたと言うことです。」と私の教師ノートを見ると記されています。

 この詩人は非常な苦しみを負う人生だった、と申しましたが不思議なことに今回ご葬儀の後、妻の山根吟姉がご挨拶にかえてと、死に至るまでのご病状とそのなかから伺い知れる信仰生活を手短に話されたとき、私はこの教師ノートを思い出し、山根良夫さんは若いときに神様から示されてこのときのために信仰を培われたのだなあと、「苦しみのなかから歌う、賛美」という言葉を思わされました。
 思いがけないご病気は人生の後半にやってきました。吟さんのお話によると、2007年肺の酸素が少なくなる。酸素ボンベを使用する生活が始まる。しかし聖日だけは今日会委員の送迎に感謝しつつ主に従う人として誠実に礼拝を守り教会のために建設的で前進的な意見を発言し続ける。2008年8月のダイヤモンド婚記念日。人生最高に晴れやかなお祝いの日にはご家族ご親族が集う。その翌月入院。気胸が苦しく肺の機能がだんだん損なわれ、退院されてから医者に行くことはできず往診を受ける。こんなさなかであろうと起床後、祈り、讃美歌は必ず捧げ、来訪者と愛の笑顔を交し合っておられた。今思えばこのような中で計3枚にもわたる信仰歴、彼の歩みの略歴を自身の葬儀のために用意されていたのでしょう。不思議なことに常に笑いが絶えず、苦しさの中でさえジョークの連発の日常生活であったと。

 この葬儀の司式者、清水ヶ丘教会主任牧師の島田勝彦師はこう表現されました。
 「希望を持って喜び苦難を耐え忍び、たゆまず祈りなさい。」とロマ12:12で勧められておりますが、このお言葉のように山根さんは苦難の中にあっても不思議に若々しい希望を持ち続けられたのです。主なる神が正しく人生を安心の中で全うさせて下さるとのくつろいだお気持ちがあった。−それはやがて来られる再臨のイエスキリストにある復活という希望をしっかり保って揺るがなかったからであります。」と。
 確かに大好きな御言葉はテサロニケの信徒への手紙第一(新共同訳)5:16〜18A「いつも喜んでいなさい、絶えず祈りなさい、どんなことにも感謝しなさい。」であられましたからね。(私がたまたま、彼の親友の教会員が主宰する劇団リーベの15年来のメインキャストである彼の名が今年の招待状に載っていないことでお電話したときも賢明に何回も息継ぎをしつつ神様の恵みを感謝する生活を語って下さり、むしろ私のために祈って下さった。)最後は四六時中酸素を補給しながら普通の人の三分の一の肺活量しか残されていなかったという、まさしくそのような最後の戦いを戦い抜かれたとき、遺言のようにイエス・キリストの贖いのみ業に習うようにとりなしの祈りをささげたことがあると夫人は言われました。

 あるときお孫さんの3番目のお子さんがご出産に臨まれ、御出産の知らせを待ちつつ、新しい命を想い、自分の命と引き換えにしてでも母子の無事を執り成したことも。この短いエピソードを聞かされた参列者は皆イエスキリストの贖いの御業の完成直前の、執り成しの祈りを思わされたと思います。
 そして2009年1月10日ご自宅のベッドで83歳で召され、そのかたわらのノートに書き置かれた言葉はまさに主に喜ばれる"直きもの"そのものの素直な信仰告白でありました。
これをお伝えして説教を終わります。

 「最善の瞬間」―私のこの世での息が終わる瞬間、悲しむことのないように。それは最善の時間だと喜んでくれよ。時間の最上の瞬間は霊体に移った瞬間なのだから。それは新しいのちに目覚める瞬間、最上の瞬間なのだから。

 お祈りします。イエスキリストの父なる神様。わたしたちの罪のために十字架の贖いの死を遂げられたイエス様の御業を感謝します。ここにそのイエス様に従ってとりなしの人生を走りぬかれた尊敬する信仰の先輩が天に帰られました。わたしたちもこの先輩が示してくれたようにイエス様に従う道を歩ませて下さい。いつも私達に賛美の心を授け直きものにふさわしい歩みをお守り下さい。御名によりアーメン。

桶川伝道所  高橋悦子牧師
(たかはし えつこ)




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