2008年3月のみことば

主に望みをおく人は新たな力を得る

 「あなたは知らないのか、聞いたことはないのか。主は、とこしえにいます神、地の果てに及ぶすべてのものの造り主。倦むことなく、疲れることなく、その英知は究めがたい。疲れた者に力を与え、勢いを失っている者に大きな力を与えられる。若者も倦み、疲れ、勇士もつまずき倒れようが、主に望みをおく人は新たなる力を得、鷲のように翼を張って上る。走っても弱ることなく、歩いても疲れない」。
                    (イザヤ書40章28節〜31節


 キリスト者は日ごとに「静まる時」をもつ必要があります。すべてのことからはなれて、普段しているすべての活動をやめて、聖なる神の前に進み出て、神と交わるのです。キリスト者の歩み、人生において最も必要なことの一つが、神と個人的に交わることではないでしょうか。現代はどうも活動的な時代で、あまり静まって祈りをする時代とは言えません。礼拝よりも活動、神のみ前にひれ伏すよりも力いっぱい動き回る傾向があります。

 キリスト者である私たちの生活の基調は神と交わることです。「奉仕に励みなさい、主に仕えなさい」との声に囲まれており、皆さん熱心に活動しています。しかし、本当に敬虔な生活は、その静まりの時をもって日ごとに神と交わり、奉仕に必要な糧と力を得ている人によってなされます。

 私たちが疲れ果てているなら、今日から日ごとに主なる神の前に出てみ言葉と祈りの時をしっかりもとうではありませんか。それは分かっている、その時間がもてるならとっくにもっていると言われるでしょう。しかし、まず第一に、最も必要なこととして、他をわきにおいてでも毎日30分〜1時間、聖書と信仰的な書物を手に「ひとり」になり、主の声を聞き、応答の祈りをするのです。

 なんと言っても朝一番がいいでしょう。様々なことが次々に思いに浮かんでくる前に、まず、とこしえの神を思い、創造者、主権者、聖なる、義なる、愛である神を思い、黙想し祈るのです。そしてきめておいた聖書個所をきちんと、神のみ言葉として読み取るのです。すると祈りが内におこってきます。感謝、執り成し、希望に願望、頌栄を。こうして思いと言葉をもって神と交わることは当然のこと。これなしに神の子としての私たちの歩みはあるでしょうか。守りと祝福とを受けていかれるでしょうか。

 神との交わり、これこそキリスト者の生きる毎日であります。主は私たちの罪のために十字架に死なれました。罪による滅亡から私たちは救われました。神との和解を受け、神のみ手のうちに生きる者とされているのです。また、キリストは死なれましたがよみがえって、今も生きておられます。私たちと交わり、共にみ栄えのために生きようと言っておられます。この方と日ごとに、あたかも共に住む家人のごとく、親しく交わって生きていくのが私たちの人生ではないでしょうか。

 そのためには、具体的に私たちは静まって神の言葉を聴き、祈りをする時間を持つことです。朝その時を持つのは不可能に近い人もおります。主婦、早朝より働かれる方、学生……。朝でなくても、昼でも夜でも、まずその時を与えて下さるように求めて祈りましょう。この祈りは聞かれます。主もあなたとの祈りの交わりをかならずや求めておられるからです。
 「しかし、わたしは主を仰ぎ、わが救いの神を待つ。わが神は、わたしの願いを聞かれる」(ミカ書7章7節)。
菖蒲教会  細谷武英牧師
(ほそや たけひで)




今月のみことば              H O M E