2007年11月のみことば

時にはゆっくり、導かれるままに

 モーセは言った。「道をそれて、この不思議な光景を見届けよう。どうしてあの柴は燃え尽きないのだろう。」
                    (出エジプト記3章3節)

聖書箇所:出エジプト記3章1節〜17節

 紅葉、黄葉で美しい季節になりました。この原稿を書いている今日、うちの近所ではようやく色づきはじめた木を見つける程度ですが、この一カ月の間にはそれらも色鮮やかになっていることでしょう。今朝のニュースでは、北海道の紅葉が紹介されていました。テレビやインターネットで、遠く離れた土地の情報をリアルタイムで見ることができるようになったのは、技術進歩のおかげです。それだけでなく現代技術は、より遠くへ、より速く、より確実に運送することを目指して、私たちに新しい経験を提供するようになりました。

 たとえば、短いお休みを利用して、電車に乗って遠いところへ出かける。降りた駅からはレンタカーを使います。初めての土地でも迷う心配はありません。カーナビが目的地まで導いてくれますから。到着すれば、テレビなどの画面を通して見るのとはまったくちがう経験。風や匂いや音を感じることもできます。もっと以前であったら、雑誌などの写真で見るか、他の人からはなしを聞くしかなかった景色も、自分の目の前にひろがります。感動し、豊かな気持ちになりつつ、帰りの電車を乗り過ごさないようにと再びカーナビのスイッチを入れ、駅に向い、あっという間に旅は終わりです。

 行くことができなかったところにも行くことができる恵みはとても大きく、私もよく利用させていただいています。しかし動物の行動圏というものを知ったとき、少々考え直されました。動物がふつうに行動する範囲である行動圏の広さは、動物の体重に比例し、また何を食べるかによって変わるそうです。そしてヒトのサイズの動物であったら、その行動圏は半径2キロメートルの円ほどの小ささ。もちろん私たちは他の動物たちとは生活スタイルが異なりますが、一気に遠くまで移動することは、動物であるヒトの自然な姿ではないのです。もっと近くを、もっとゆっくり、時には迷いながら行動することが、より自然です。遠いところへの旅も、時間が与えられゆっくり行くことができれば途中の発見も多いでしょう。迷ったときに思わぬ発見があるかもしれません。実際にそういう経験をした旅では、本来の目的よりも想定外の発見のほうが心に残ることさえあります。

 モーセは羊飼いの仕事をしていたとき、燃え尽きない柴を見つけ、「道をそれて」行って、神さまと出会い、み声を聞きました。そして彼は、私たちと共にいてくださる主が私たちを「顧み」て「つぶさに見」、私たちの「声を聞き」、私たちを「知った」ことを知らされ、さらに主が「降って」来て、私たちを「救い出し」、行くべきところに「導き上」ってくださることを知らされました。

 人生の歩み方も、信仰生活も、歩み方は様々です。より大きな目標を目指して、よりはやく、より確実に進んでいかなければならない時があります。しかしまた別の時には、少しゆっくり進んでいくことが求められます。私たちにとって、主が一人ひとりの大切なナビゲーター。私たちは自分の好みによって歩み方を決めるのではなく、いつでもイエスさまスイッチをオンにして、導かれるままに歩んでいくのです。そして教会において大切なことは、各々の歩み方が相互に否定されることなく、認め合われることです。

シャロンのばら伝道所  鈴木証一牧師
(すずき まさかず)




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