2007年8月のみことば

夢のような話

 「わたしは、あなたの父祖アブラハムの神、イサクの神、主である。あなたが今横たわっているこの土地を、あなたとあなたの子孫に与える。あなたの子孫は大地の砂粒のように多くなり、西へ、東へ、北へ、南へと広がって行くであろう。地上の氏族はすべて、あなたとあなたの子孫によって祝福に入る。見よ、わたしはあなたと共にいる。あなたがどこへ行っても、わたしはあなたを守り、必ずこの土地に連れ帰る。わたしは、あなたに約束したことを果たすまで決して見捨てない」
                (創世記28章13節〜15節)。


 〈不条理〉
 双子の弟がわずかな時間差で長男となった兄をねたみ、長男の権利を奪い取ろうと画策した物語が旧約聖書に出てくる。父親もだまされて次男に権利を譲ってしまいました。父親は長男に「既にわたしは、彼をお前の主人とし、親族をすべて彼の僕とし、穀物もぶどう酒も彼のものにしてしまった。わたしの子よ、今となって、お前のために何をしてやれようか」と詫びている。封建社会において長男であることで、与えられる恩恵の大きさにビックリするが、弟が長男の権利を奪い取ろうと策略をめぐらすのも当然だなと弟に同情さえしたくなる。世の中には一攫千金を夢みて宝くじを買いあさる者、株に手を出す者、慣れない事業に挑戦する者がいる。地道に働いてささやかな楽しみで満足する人が大半でしょうが、僅かな時間差で境遇に大きな差が出てくることに一抹の不条理を感じる。

 
〈神の存在〉
人は生まれてくる時代や環境、あるいは境遇を自分で選ぶことはできない。双子の弟は自分の生まれた環境に満足できず挑戦したのであるが、それがために兄から命を狙われ、そこでの生活を続けることができなくなってしまった。弟は母が住んでいた町、伯父のところに裸同然のようにして逃げ出している。ところが、驚いたことに神がそのような人物を祝福しているのである。
 「わたしは、あなたの父祖アブラハムの神、イサクの神、主である。あなたが今横たわっているこの土地を、あなたとあなたの子孫に与える。あなたの子孫は大地の砂粒のように多くなり、西へ、東へ、北へ、南へと広がって行くであろう。地上の氏族はすべて、あなたとあなたの子孫によって祝福に入る。見よ、わたしはあなたと共にいる。あなたがどこへ行っても、わたしはあなたを守り、必ずこの土地に連れ帰る。わたしは、あなたに約束したことを果たすまで決して見捨てない」(創世記28章13節〜15節)。

 弟の名はヤコブ(足を引っ張る者ーの意味)で、後にイスラエルと改名し、それは民族を代表する名となり、国の名称になった。親をだまし、兄弟の祝福を奪い取るような人物に神の祝福を手に入れる資格はないはずである、と思ってしまう。資料によるとヤコブが住んでいた町から伯父の家まで800キロほど遠く離れている。大変危険な大冒険であったにちがいない。彼は家を出たその晩、石を枕に夢を見ました。「先端が天にまで達する階段が地に向かって伸びており、しかも、神の御使いたちがそれを上ったり下ったりしていた」と聖書は記している。ヤコブは眠りから覚め「まことに主がこの場所におられるのに、わたしは知らなかった」と初めて神の存在を認め信じたのであった。

 〈神を求める〉
 ヤコブは良心の呵責を覚え、人生の虚しさから、心の安らぎを求めたことであろう。主イエスが語られた言葉の中に「心の貧しい人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである」(マタイによる福音書5章3節)。「天の国」とは、神が支配される国のことであって、心の中が神に支配されればそこは天の国となり、家庭が神の導きを受ければそこは祝福の場所となるのである。ヤコブが神の言葉を信頼したことで、彼の生涯は人類史に甚大な影響を与えるものとなりました。夢のような話であるが、聖書が人々に与えてきた多くの事実はそれを証明していることを知って頂きたい。「求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。だれでも、求める者は受け、探す者は見つけ、門をたたく者には開かれる」(マタイによる福音書7章7節)と復活の主イエスは今も約束しておられる。神を求める資格は自分に無いなどと言ってはなりません。ヤコブでさえ神の祝福を受けることができたのである。神の名を呼び求めるところから、道は開かれ、不条理の壁も祝福に変わるのである。
東京聖書学校吉川教会  鵜沼義民牧師
(うぬま よしたみ)




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