2006年7月のみことば

野暮ではなく、粋(いき)に生きる

 「わたしたち強い者は、強くない者の弱さを担うべきであり、自分の満足を求めるべきではありません。おのおのの善を行って隣人を喜ばせ、互いの向上に努めるべきです。」(ローマ書15章1〜2節)とありますが、このパウロの言葉は当時の教会の中に意見の相違があり、一方は自分の価値観に基づいて他方を批判し、またもう一方も自分の価値観に基づいて他方を批判するという相互批判が背景にあったことを示しています。どのような相互批判であったかは、ローマ書14章を見ると「食べ物について」であり、「特定の日を重んじるかどうか」といったことであることが分かります。
 このような相互批判が、現代でも形を変えていろいろな場面で、2000年前と同じように繰り返されています。どうして人はもっと優しく、意見の違う人を受け入れることが出来ないのか、高慢にならずに耳を傾けることが出来ないのかと思います。
 
 皆さんは「江戸しぐさ」という言葉を耳にしたとはないでしょうか。最近、朝日マリオンという朝日新聞の付録のようなものに「暮らしうるおう 江戸しぐさ」というコラムが12回連載されていたので読んだ方もおられるかと思います。これは越川禮子さんという「江戸しぐさ語りべの会」を主催している方が記したものですが、読んでおりますと「なるほど」と考えさせられるところが沢山ありました。インターネットで調べると出てきますので、一度ご覧になると良いかと思います。
 「江戸しぐさ」というのは、越川さんによると、江戸商人のトップに立つ人、つまり江戸商人のリーダーたちの考え方や生き方、口の聞き方、表情から身のこなし方などについての美意識や感性のすべてを包含した、体系化された商人道ともいうべき生活哲学ということです。

 江戸時代というのは封建社会であり、鎖国をしていて身分階級が固定しており、切捨てごめんの社会で、一揆や飢饉がしょっちゅうあった時代であると思われがちですが、実際はそうではなかったようです。石川英輔さんの「大江戸生活事情」によると、明治維新という一種のクーデターの結果、旧政府が悪ければ悪いほど自分たちが正当であるという正当性を訴えるためにことさら江戸時代を暗黒時代のように国民に教えたために、「日本人の頭の中には、どうにもならないほど暗い江戸時代のイメージが定着してしまった」ということです。むしろ当時の庶民は、現代とは違って、大してお金を持っていなかったにもかかわらず、現代の私たちが想像するほど生活に困っていませんでした。江戸時代の庶民は必要な物の7〜8割で暮らしていて、不足の2〜3割は貸したり借りたりして補い合うとか、知恵を交換し合って工夫するとかしていました。そこには「人様とのつながりの中に自分がある」といった考え方が常にあり、その結果として経済的には貧しかったとしても、平和な、ささやかな幸福感を抱いていたようです。
 このような生活観を作り出したのが江戸商人から始まり、庶民にまで広まった「江戸しぐさ」でした。その中の幾つかをご紹介します。

「三脱の教え」
 江戸しぐさでは初対面の人に職業、学歴、年齢の三つ(つまり地位、経歴、身分肩書き)を問うてはならないとされていました。江戸商人は商人ですから当然のこととして大勢の人と取引をすることになります。そのとき、出会った人と挨拶を交わし、お付き合いをし、その人がどういう人物であるかを見抜く目を持つことが大切にされました。そのために江戸商人の子どもたちには寺子屋で「読み、書き、そろばん」の前に、将来、人を使う身に必要な「見る、聞く、話す」を重視した教育がなされたほどです。
 職業、学歴、年齢の三つ(つまり地位、経歴、身分肩書き)を重視して初対面の人を判断すると、当然のこととして偏った人の見方をすることになり、商取引においても誤った判断することが多くなります。そこで、人物本位に人を見、初対面の際にその人の人柄や力量を判断することが重視されたのです。
 「おはよう」には「おはよう」 「おはようございます」には「おはようございます」江戸商人の店先で主人が番頭や丁稚に挨拶するときに、主人が「おはよう」と言ったら番頭や丁稚も「おはよう」と言葉を返せばよく、「おはようございます」と返す必要はありませんでした。逆に番頭や丁稚が「おはようございます」と主人に挨拶したら、主人も「おはようございます」と挨拶の言葉を言わねばなりませんでした。人の上に立つ人こそ、相手を尊重し、決して偉ぶった態度やものの言い方をしてはいけませんでした。江戸商人はどんな身分の人に対しても失礼にならないものの言い方がしつけられていました。
 言葉の関係から考えたら、現代のほうがよほど階級社会であるように思われます。江戸社会でこのような挨拶の言葉の交わし方がなされたのは、仏様の前では人間は皆平等であるという考え方が徹底していたからです。ですから江戸文化の中では「そんな偉い方とは知らずに失礼致しました」という言葉ほど失礼な言葉はなかったそうです。人間に上下はないという江戸っ子(江戸しぐさをする人)は、偉くなくとも、偉くとも、人間に「してはいけないこと」は「してはいけない」という考え方をしていたのです。

「傘かしげ」
 雨の日に往来ですれ違うとき、お互い傘を外側に傾けることを「傘かしげ」と言います。江戸時代の道路は狭かったので、傘を差したまま通り過ぎるということが出来なかったのでこうした行為が生れてきたのだろうと思いますが、相手への配慮が「傘かしげ」には見られます。

「肩引き」
 人ごみですれ違うとき、お互いに肩を引いて体を斜めにして通り過ぎました。これも相手への配慮の一つです。

「お心肥(おしんこやし)」
 江戸っ子は教養豊かでなければならないことを「お心肥」と言いました。江戸商人の子どもが「読み、書き、そろばん」を寺子屋で教えられる前に、「見る、聞く、話す」を学ばされると前記しましたが、それはすべて「お心肥」のためです。人の心が育っていなければ、一人前の商人と見なされませんでしたし、庶民の間では江戸っ子として認められませんでした。江戸っ子は人との対応のすばやさが誉めそやされました。「打てば響く」ような対応が最良とされたのです。これは初対面であっても当意即妙に掛け合いをし、相手を見抜く力が良しとされ、その切れ味が真骨頂とされていました。「お心肥」の出来ている人だけに出来ることです。

 江戸しぐさの種類はまだまだ沢山ありますが,このような江戸しぐさを身につけている人のことを「粋」(いき)と言い、身につけていない人は「野暮」と言われました。

 パウロが語る「わたしたち強い者は、強くない者の弱さを担うべきであり、自分の満足を求めるべきではありません。おのおのの善を行って隣人を喜ばせ、互いの向上に努めるべきです。」ということを江戸文化の中で考えたなら、まさに「粋」(いき)に生きるということではないでしょうか。自分の満足に生きる人ほど「野暮」なことはありません。
 私たちは何とかして「粋」(いき)に生きていきたいものです。
飯能教会  土橋 誠牧師
(どばし まこと)




今月のみことば              H O M E