2002年9月のみことば
三十倍、六十倍、百倍
また、ほかの種は良い地に落ち、芽生え、育って実を結び、あるものは六十倍 あるものは百倍にもなった。 (マルコ福音書4章8節)
良い地に蒔かれたものとは、御言葉を聞いて受け入れる人たちであり、ある 者は六十倍、ある者は百倍の実を結ぶのである。 (マルコ福音書4章20節)
主イエス様は、≪譬え話≫の優れた“語りべ”です。福音書の中で群衆に話す≪譬え話≫は生き生きと躍動して聞くものの心を捕らえ熱くします。 ≪譬え話≫は、神の国の深い真理を、一人一人の日常の営みの出来事を素材にして語りかけます。もちろん、話の中心は神の国であります。神の国の≪譬え話≫は、時にはアッケにとられ、ホットしたり、ハッとすること、エッーと考えさせられることなど、多彩です。
ガリラヤ湖のほとりで、主イエス様は群衆に語りかけました。小船に乗り沖から岸辺にいる群衆に語ります。≪種を蒔く話≫です。当時のガリラヤの種蒔きは、肩にかついだ袋から、ひとつかみの種を畑に蒔いたようです。 耕した畑に蒔いた種が、風に吹かれて飛び散っていったようです。 「道端」に、「石地」に、「茨の中」に、そして「良い地」に種は落ちました。群衆が毎日見る光景です。この身近な経験を、神の国になぞらえます。いや、神の国の真理を日常へと降ろして話されます。 そこで、主イエス様は≪譬え話≫の説き明かしをします。「種」は神様の言葉です。「種」は命を秘めています。生きています。この神様の言葉を耳にした人たちはいろいろです。そこで、神様の言葉を聞いた者たちを、≪道端、石地、茨、良い地≫の四つに分けて、まず、 「道端」へ落ちた種とは? 神の国の話を聞いても身につかない者のことです。聞くだけそれっきりです。 「石地」へ落ちた種とは? 熱しやすく、また冷めやすい者のことです。少し信仰生活に困難があったり、思うようにいかないと、つまづいてしまう者です。 「茨」の中に落ちた種とは? 信仰の芽が出て、少し伸び始めると、あれこれ思い煩いの茨に覆われて、日陰のモヤシのようになって実らない者のことです。 さて「良い地」へ落ちた種とは? 神の言葉が芽生えて、育って、日常生活に実を結ぶ者のことです。 あの小さな命の種から、「三十杯、六十倍、百倍」と信仰生活の豊かな実りを見る者です。 ともすれば数字が気になります。しかし、百倍が最高と主イエス様はいいません。受けた神の言葉が躍動してあなたの信仰生活に二倍でも、三倍でも、結実することを期待しているのです。
初雁教会 山岡 磐牧師 (やまおか いわお)
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