2001年7月のみことば

 

 

「人間とは何ですか?」

                           

 最近、日本におります中学生や高校生に意識調査が行なわれました。日本青少年研究所というところが中学生・高校生1000人づつ、合計2000人の子供たちにアンケートをしました。大変興味深いのは全員からアンケートの結果が出たということです。それを皆さんにお話しして、お考え願いたいのです。

 『21世紀がどんな社会になると思いますか』という質問です。そうしたら6割の人が「希望のある社会になるとは思わない」という結果がでました。他の設問においても明るい未来に否定的な回答をしています。7〜8割が否定的な見方をしています。この日本青少年研究所においては、「今の10代の人達が未来を真剣に考えているとは思えない」と言う辛口の分析をしています。「真剣に考えていないのではないか」ということです。今置かれている現状に満足しているというのでしょうか。「今よりは良くはならないだろう」という程度にしか考えていないのではないかと見ています。

 『21世紀は人類にとって希望のある社会になるか』という設問に対しては「そうは思わない」というのが61%で「そう思う」を大きく上回っています。日本の中高生の否定的な見方は他の設問でも同じように続くと書いてあります。『国民生活は豊かにならないだろう』が67%、7割近い中高生が期待できないという見方をしています。社会の不平や不満については、84%が「少なくなるとは思わない」という答えでした。一方、意識を探る設問においては「将来より、この時を楽しむことが大切だ」というように考えているのが67%でした。簡単には言い切れませんが刹那的な意識があるように思います。そして、自分以外への関心が薄いという傾向がハッキリ出ています。つまり、「人のことは我、関せず」なのです。いま一つは「物事を真剣に考えない」ということです。

 

 「人間とは何か」ということについてお話します。大きなテーマではありますが、私は二つのことを今日、お話したいのです。私達は物事を考えたり、判断する基準となるものを持っています。一つの価値観はどこから来るのか? それは進化論という一つの考え方からきています。それによると人間はアメーバーから進化して海から陸に上がって、そしてそれぞれの種類に分かれていった。進化論のことを大雑把に言うと『偶然から偶然へ』と、そして進化するという方向に向かって、すべてのものが進化して行った。つまり、今よりもっと良くなるといいましょうか。環境に適応するとか、いうように進化をして行ったという理解があります。日本が明治政府を開いた時にヨーロッパで、あるいは世界中で最も支配的な思想は、スペンサー・ダーウィンという人の提唱した『進化論』でした。明治政府は学校教育の中にそれを取り入れました。

 「人間は何から進化しましたか?」と質問をしますと、2〜3割の人が「猿から」と答えます。「猿から進化して人間になった」と答えます。これは教育のなせる業です。つまり、人間はいろいろと動めくものの中から、偶然から偶然が重なって、最高に進化して人間になったのだと言います。これは、『進化論』という仮説であります。

 もう一つの考え方は、聖書が教えていることです。創世記というところに、人は神に似せて造られ、はじめから人間として創造されたと記されています。このことを『創造論』といい、『進化論』の対極にある考え方です。『進化論』の考え方は、一般に科学的と言われていますが? 『進化論』『創造論』それぞれの立場から「人間観」を導き出すとどうでしょうか。『創造論』は、人ははじめから人間であって、さらに神の創造の≪意図≫がハッキリと聖書に示されています。

 目的のある人生、意義のある人生を歩みたいと思いませんか? 『進化論』は偶然から偶然の人生でしょうか? 人生の目的は示されているでしょうか?

 『進化論』『創造論』、どちらをあなたは選択しますか?

 

                           春日部教会 白石多美出牧師

 

 

 

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