★昭和18年早春、調布飛行場を慰問に訪れた日活 多摩川の女優たち。 左後方は大格(大格納庫)。右手の小型格納庫は まだ建築中。 | ★18年夏、大格で開催された新宿ムーラン ルージュ一座による慰問興行。 ムーランルージュを「ひいき」にしていた戦隊 員も多く、244戦隊との縁は深かった。 |
★97戦の操縦席に収まった調布町の小学生。 慰問興行には、軍人を受け入れている家庭の 子供たちも招待された。 | ★慰問興行に併せて催された中隊対抗演芸大会で 出番を待つ、みかづき隊整備班の田畑正巳曹長。 田畑曹長は「お宮」になりきっている! |
20年1月頃、慰問の綺麗所に囲まれた震天隊板垣軍曹。 |
20年2月10日、川崎日蓄(コロムビアレコード)慰問団。後列右から2人目、弁士松井翠声 5人目作曲家古関裕而、6人目渡辺はま子、左端は新垣少尉。前列右端鈴木伍長、1人 おいて頼田少尉。新垣、鈴木は1週間後の2月16日に戦死。頼田は6月6日特攻戦死。 |
20年4月22日、調布飛行場を慰問に訪れた田中絹代。大スターと 並んで戦隊長小林照彦大尉も緊張気味。 この慰問は、当時第13航空通信連隊(神代村)に勤務していた松竹 スター佐野周二が、連絡で244戦隊を訪れた際に斡旋を申し出て実現 したものだという。田中絹代は5月10日にも再度訪れ、舞踊を披露した。 |
20年5月初旬、多摩川撮影所に 招待された小林戦隊長と大映の 三浦信夫企画課長。 これは、244戦隊主力が調布を 離れて前線へ向かうのに際し、 激励の意味だったと思われる。 このような関係が『最後の帰郷』 撮影時の戦隊のロケーション協力 に繋がったのであろう。 | |||
昭和20年6月初め、『最後の帰郷』調布飛行場ロケーション。右から浦辺粂子、 片山明彦、本物の特攻隊長小倉中尉、左端が主演の宇佐見淳。 バックは大格の隣にあった小格だが、空襲によって半壊している。 |