12月18日 薄曇
敵は名古屋方面を空襲してサイパンに帰るや、大きなスコールに会ひて相当の損害を受けたためか、また飛行機がないのか、さっぱりやってこない。
昨日は、此の基地を出発し無事大任を果した護国隊の勇士の声が、ラヂオを通じて我等の耳を打つ。
あの決意、よくもやった。黒石川も最後に、母や父に最後の言葉を残している。
夜(注=17日夜)になってから、突然、我が隊の一部に浜松転進の命下る。各隊長集合と云ふから、何事か、或は南方に転出するかと案じていた。また、初年兵以来の大野曹長に会へるかと思ふと嬉しい。
また名古屋方向の任務に限らず、我等の任、帝都にあり。浜松方向より帝都来襲とあらば、帝都上空に飛来するのだ。
あゝ光栄ぞ、まだ直接陛下を護ることが出来るのだ。
今日は、整備班も梱包で忙しさうである。我々も私物品やらの整理に忙しい。愈々明日は行くのだ。
今日は確か兄の結婚式と聞いた。幸福な兄よ。たヾ健全なる男子出生を祈るのみ。もう我々には、結婚とは毛頭ない。
只、米英撃滅だ。そして三千年来の歴史を永遠に伝へるのだ。
12時近く、情報あり。逐次目標も数を増し、昼食中、とっぷう隊出動。
御前崎との事にて羅針盤は西に向けて飛ぶ。富士山も既に愛機より低い。
西風の強いため、中々前進せず、高度を低下。だが、静岡近くして隊長(注=竹田大尉)機は、なんのためか反転、機首は全機東に向ひてしまった。もう帰るのか。無線の声も、あんまり明瞭でない。
結局、原町田附近に於て高度をとる。もう隊長機は、どうしたのか見えない。
敵一機も索めずして帰る。着陸せば名古屋附近に又、大阪に約80機来襲したとの事。
隊長機は計器不良のため、解散記号をして反転したと云ふ。残念乍ら、その記号を認めざるため、我等また共に帰りて、遂に敵の居る所に行かずにしまった。残念なり。
又、我らの転進は明日だ。もう二日も早く転進していたならば、奴らをたヾでは帰さなかったのだ。奴らも東京には恐れたか、やってこない。
身辺を整理。携行品を整へて、夜に入ってより、また毛布の梱包。兵隊も又、よくやってくれる。
愈々明日だ。今度彼らが名古屋を襲はんとせば、精鋭なる我が戦闘隊あり。
必ずや無傷では帰さないぞ。待っていろ。楽しみはこれからだ。
12月19日 晴
準備も全く整ひて、出発準備完了。
第一次の出発は、今正に離陸。残留人員は見送っている。
我々が出発する頃は、もう誰も送ってはくれなかった。
霊峰富士も真白く、今日は高度を取らないため、我等よりは遙か高く見える。
清水港、静岡、大井川、逐次地形は変ってくる。天竜川見ゆる頃は、目的の浜松の飛行場は赤茶色に見えて来た。
高度は逐次低下してゆく。広い飛行場だ。着陸も三点したるも、バンド(バウンド)せり。皆に聞けば、誰しもバンドしたと云ふ。地面が堅いためであらう。それが證こには、地上滑走をしても、体にゴツゴツとこたへる。
視程よく澄切って山々が見える。そのかはり、今日は特別なのか或いは毎日吹くのか、風が強く、試運転せる飛行機の砂塵でひどい。
並んだり我が精鋭の戦闘機。此々は爆撃機主なるために、皆めづらしく眺めている。特に撃墜マークの入った飛行機は評ばんだ。
持って来た「ニギリめし」にて昼食す。
此の飛行場の規定等の諸注意ありて、宿舎に入る。アパートの様に出来た室。浅野曹長と二人、明るい南の室に起居を共にす。
12月20日 曇
朝から強い風が吹いて、連山の周囲は、ぼんやりと境の判らぬ雲がいっぱいである。まさしく雪雲である。
当直のため、朝早くから3小隊(注=みかづき隊)か哨戒をしている。
まだ此の室も出来たばかりで、畳も敷いてなく、板のつぎ目が2糎もすいていて、外部の明るさが明瞭に判る。昨夜もこゝから風が入ったのか、非常に寒かった。此々に○ヶ月暮らさねばならない。
10時頃には、敵も3機位、帝都に侵入したらしく、電話あり。
我等が此の飛行場には吹雪である。
然し山から強い風と共に来た雲であるため、大した雪ではなく、太陽は飛行場を照らしている。
12時、哨戒離陸。
附近の地形をも共に慣熟。名古山迄飛び、名古屋城も低く見る。非常に気流悪く、操縦も思ふ様に出来ない。
着陸して歩いて帰へる所、讀賣の記者が写真を撮った。彼も、我等が此々に来たため、後を追って来たのである。また1枚、並んで撮る。相変らず強い風は吹いて、我等の眼を細くさせる。
室が寒いので、わらを持って来て敷く。其の上に、うすっぺらなむしろを引いたが、寝室がこれでは…。豚小屋らしく、わらくさい。毛布には遠慮なく、わらくづがつく。