↑ 飛 行部隊が入間川飛行場へ去ったあとに残された廃機群。とても数え切れないが、30機分くらいか。この中にP−47も紛れていたのではないだろう か。西武鉄道の水耕農場出荷場(旧倉敷飛行機格納庫)用引込線を使って搬出するため、この場所に集められていたものと思われる。 ↑ 昭和21年夏頃の廃機集積場。疾風(?)の主翼も見える。遠方の崖上が東京天文台。
写真出典 サンディエゴ航空宇宙博物館デジタルアーカイブ(以下同) ↑ 同じく、P−38と尾翼にYの字のA−20。現在、2基の掩体が保存されている辺りである。 ↑ 立川航空廠調布出張所跡と思われる場所の4式戦。飛行第52戦隊の機体。 ↑ 昭和20年10月頃、調布飛行場西地区のMC20。事故機か、既に後方にはA−20とP−38の残骸が。 |