おとそ

 大晦日、テレビで恒例の「ゆく年くる年」を見終われば もう新しい年、「明けましておめでとうございます」なのだけれど、いつもの「おやすみなさい」と床につくパターンは平成21年を迎えても変わらなかった。

 元日の午前5時台に家を出発して明治神宮に初詣に行くのが我が家の歳の初めだ。風がまったくなく
さほど冷たさも感じない真っ暗な町へ今年も車を走らせた。今年は心なしか車の数が多いようにも思えたが、空車のタクシーが多かったかも知れない。渋谷の交差点ではこの時間なのに?と思えるほど人の群。だがいつも車を止める代々木公園脇の道路には簡単に駐車することが出来た、この時間帯の明治神宮の初詣は午前零時の年明けのすごい人出がいったん収まっている上に、暗いので参道に舞い上がる土埃もまだ目立たずに少しは清々しさも残っているようだ。

 今年は車から鳥居までの沿道が妙に静かなのに気付いた、交通規制の警察官の姿がまったく見えない、一方通行にされていた道路も通常と変わりはない双方向、何よりも歩道の両側に所狭しと連ねていた屋台の姿が消えてまことにさっぱりした光景・・・イカの丸焼きやお好み焼き、焼きそば屋の類から流れる臭いには辟易していたからまことに清々しい朝の空気を感じることが出来る。

 鳥居をくぐり参道を本殿に向かって進む、若者が多いけれどオーバーや女性の着物姿はまことに少ない、ダウン・コートやジャンパー姿がほとんどで、皆が両手をポケットに突っ込んでいるから背中が丸く何となくみすぼらしい姿でとぼとぼと歩いているみたい。なかには気勢を上げて騒ぎまくっている若者達の群れや「普通にしゃべれャ!」と言ってやりたいくらいの奇声で直ぐ隣りの相棒に叫ぶように話す若い娘、周りには時折アルコールの 臭いすら流れてくる、だが、みんな年の初めをこの早朝参拝に託しているようだ。

 本殿前の大きな賽銭受けに硬貨を投げ込み新年の多幸を祈る、二礼二拍手一礼・・・今年こそは世界平和と家内平穏をとねがう。
東側の門をくぐるとお守りやお札の仮設の札所が並んでいる、絵馬を求める・・・丑年なので親子の白牛が描かれた絵馬は可愛らしい。ついで両側にずらりと並んだ「おみくじ」処の一箇所で四角い箱を振る、箱から出た竹棒の番号でお札を授かるのだが 明治神宮のおみくじには明治天皇、昭憲皇太后のお歌が記されているだけで大吉だの小吉だのがある訳ではない。けれど教え諌めが示されている心打つお歌は何故かしらそれ以上のようでもう何十年も・・・そのうちには何回も同じ札を引いたが四角い箱を振ってきた。年に一度だけ引かせてもらうおみくじ、こヽ以外のおみくじは何処と言えども決して引かない。
 ちなみに札は本来持ち帰るもので神宮の樹木などに結わえるものではないとされるが、今ではおみくじ処の周りには結びつけ用に縄など張って小枝では足りない結び所を提供している。

 今年も本殿の礼拝に出向くであろう神職が一列になって参道を歩く場面に遭遇した、「ザク、ザク」と玉砂利を踏みしめて進む烏帽子、白装束の一列はまことに清々しく凛々しく この音とリズムは好ましい。昔の参道はもっと砂利が深くて我が足元からの音もざくざくと、点々とかがり火が参道を照らしていた。今は大きな画面を掲げるTVトラックの輝きとスピーカーの音は場違い感がぬぐえない。
 参道には絶え間なく原宿駅からの人波が続いている、若者達が多い、新年こそ頑張ってこの日本をしっかり頼むよと声を掛けたいくらいだ。
最近では外国人の参拝も多くなった中で早朝からきちんと正装の和服で外国人カップルが二組、連れ立ってまるでダブルデイトのようにほほえましかった。

 我が家はこのあと初日の出を待つ人が鈴なりの歩道橋を渡り車に戻る、家近くの氏神様に初詣「今年もよろしくお願いします。」、そして帰宅。表の通りは早朝のウオーキングで昨日朝も歩いたのに違っている。 「元旦の朝のなんと静けさ、清々しさ!」と感心する。
・・・そして朝のお膳、まずは「おとそ」から始まる。

 明けましておめでとうございます、お互いに今年も元気で・・・とささやかな二人だけの膳。
京都で注文年末20日から特別蔵出しと言う味噌が届いていた、大吟醸白味噌仕立ての雑煮は薫り高く品のよい好ましい味だった。
 


                 
                                                 

(2009)

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