予想、予測、予知、予言

東海地震が2002〜2005年の間にあるとか無いとかニュースが流れていました。地震のような極めて不確定要素の多い、かつメカニズムさえ明確になっているわけではないものを予測しようとするご苦労は大変なものだと思います。しかも、もし外れたら袋叩きにあうだろうし、うまく予測できたからといっても(その場合は地震が起きるわけで)誉めてもらえるどころではない、と良いことは何もないわけです。使命感だけが拠り所ではないでしょうか。

ところがこの地震を予測する(多分)国の(あるいはその委託を受けているのか)機関の名前が地震予知連(正式な名前は地震予知連絡協議会だかなんだかだと思いますが)ってのがまぬけなんですね。予知連のメンバーは大体が大学のそういう方面の専門の先生方であって、したがってやろうとしていることは地震の予測です。これを予知と言っちゃうのがどうも。

予知というのは、未来を知るという「とんでも」系の言葉ですよね。予言もしかり。ノストラダムスさんは21世紀になって人気がなくなりましたが、まだ巷には同類が居ます。あと単に未来のことを考えるだけなら予想ですし、予測というと統計的な手段を駆使して未来の状況を把握しようとすることのはずです。やはり地震予知連という名前はどうにかしたほうが良いと思います。変に誤解を招くことのない様に。

ちなみにユダヤ教、キリスト教、イスラム教の世界に登場する預言というのは、神の言葉を伝えられる事ですので、未来を知る事とは別の概念ですね。


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