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 第67話 「いつもの犬」(最終回)

  こんにちは。おいらは、飼い主も家も名前もとくに決めていない犬であります。川ぺりをうろついていると、いろんな人たちと出会います。犬にとっては、あっけないこともあるけれど。
        * * * * * * * * * * * *

 おいらがいつものように川ぺりを歩いていたら、犬を連れた女性がいきなりしゃがみ込んでおいらの顔をのぞき込みました。
「あら!いつものわんちゃん、まだ元気だったの! 久しぶり!」
 おいらは声をかけられてビックリしました。でもすぐに思い出したよ。以前は会うといつも、よしよしってなでてくれたんだ。だけど実のところ、最近はこの人のことを忘れていました。顔を見たら「長いこと会っていなかったなあ」て気づいたんだ。

 そこへ通りかかったお散歩のおじさんが、女性の顔を何気なく見た途端、パアッと明るくなりました。「あれ!あんた、久しぶりだねえ!どうしてた? ・・あ、いつも連れていたわんちゃんじゃないね。もしかして・・。」
「こんにちは、お久しぶりです! 前の犬が死んでからもう一年以上経ちました。犬が死んだら、なかなか散歩に出ることもなくなってしまって。」
 そういえば、連れている犬が前とは違うようです。前は顔が黒い穏やかな雰囲気の犬だったのに、今度の犬はやんちゃそうだなあ。

さっき、女性はおいらのことを「いつものわんちゃん」と言っていました。おいらも「いつもなでてもらっていた」て思い出しました。だけど考えてみると、「いつも」ていうのはあいまいです。人間が「いつもの○○」と言うとき、それらはずうっと変わらないと信じてるみたいです。だけどそんなことはないんだよ、みんな変わってしまったり、なくなってしまったりするんだよ。女性が「いつも連れていた犬」が死んでしまったようにね。

 この前も、コンビニから出てきたお姉さんがお話していました。
「いっつも買ってたジュースがなくなってる! 超おいしかったのにー。」
 コンビニの商品は移り変わりが激しいというから、「いっつも買ってた」と言ってももせいぜい、三ヶ月間くらいだと思うよ。このお姉さんも、新しくお気に入りのジュースを見つければ、そちらが「いつものジュース」になってしまって、前にどんなジュースがお気に入りだったか、忘れてしまうのです。

 川ぺり駅前商店街の小さなお店が何軒も閉店して更地になり、その跡地にマンションが建ちました。以前はいつもそこでお買い物をしていたはずの人たちは、「あら、ここって前は何が建っていたっけ?」なんてお話ししながら川向こうの大きなスーパーマーケットへ行ってしまいました。人間は、いつもの風景が変わっていくことに鈍感みたいです。

 そういえば、風で飛んできた新聞にはこんなことが書いてありました。
『定年退職したら、今まで親しいと思っていた人たちが離れてゆき、年賀状の数がが激減した。それで、今までの人間関係というのがいかに表面的なものであったかを痛感した。』
 この人は「いつもの仕事、顔ぶれ、挨拶、ゴルフ」、そんなものがとても大切だったのだろうね。おいら、こういう人には川ぺりのお散歩をすすめたいなあ。
 毎日歩くうちに、いつも出会う顔が増えてくると思うんだ。そうしたら「こんにちは!」て挨拶するんだよ。それから、道端の草花を眺めていると、毎日少しずつ変わっていくことを発見すると思うんだ。そんなのを見つけて「へえっ!」とか「ほう!」とか驚くと楽しいよ。それから、いつもいつも、川ぺりで見かける犬がいると思うんだ。そうしたら、黙って背中をなでてくれるとうれしいなあ。
 そんなのを積み重ねて、新しい「いつも」が増えてゆくと、年賀状の枚数が減ったなんていうケチ臭いことは忘れるよね。

     * * * * * * * * * * * *
 おいらのこと「いつも川ぺりにいる犬」だって? いつでも会えるさ、なんて思っていると、いつのまにか姿を見なくなっているかもしれないよ。顔の黒い穏やかな犬や、向こうの丘の遊園地みたいに。
 おいらがいなくなっても、誰も思い出しそうもないなあ。でも別にいいや。だっておいら、飼い主も家も名前も必要ない、ただの犬だもの。
 わんわん。それじゃあこれで。またね。

(2008.7月掲載)