その他論点(資料解説)

東中野教授批判の検証
 

 南京大虐殺否定派の東中野教授に対する人格攻撃の一つを検証してみましょう。虐殺派の中心的存在である笠原十九司教授の見解を引用してみます。


『南京大虐殺否定論13のウソ』 P210〜211 笠原教授
 一つは、東京裁判に提出された国際安全区委員会のマッカラムの日記を「支那人のなかから、強姦は支那軍やったのだと証言する者が現れる」と中国軍強姦説の「例証」に引用している(二七七頁)。ここで東中野氏は以下のように欺瞞的な引用のしかたをする。

 
 1938年1月8日――今、日本兵は安全地帯における我々の努力を信用せぬよう試みております。かれらは貧賤な支那人を脅迫して、我々が云った事を否定させようとします。支那人のあるものは容易に掠奪・強姦及び焼打ちなどは支那軍がやったので、日本軍がやったのではないと立証すらいたします。我々は今、狂人や馬鹿者を相手にしているのだと時々考えます。また、我々外国人は全部生きてこの厳しい試練を経たのだと不思議と思います。
(洞富雄編『南京大残虐事件資料集(1)極東国際軍事裁判関係資料編』青木書店、1985年、125頁)


 東中野氏は右のマッカラムの日記の傍線部分だけを引用して中国軍強姦説の「例証」にしているのである。マッカラム日記は、安全区国際委員会のメンバーが日本軍の残虐行為を阻止すべく日本大使館やアメリカ大使館に対して不法行為を告発、抗議しているのに対して、日本軍の特務機関関係者が、貧しい人々を金品で買収し、かつ「言うとおりにしなければ命を保証しない」と言った類の脅迫をして、安全区国際委員会の抗議している日本軍の暴行は、実は中国軍が行ったものだと証言するように迫り、実際にそれに従った難民、中国人がいたことを書いている。「狂人や馬鹿者を相手にしている」というマッカラムの厳しい言葉は、日本軍の強姦行為を中国軍の仕業に見せようと謀略を企てる狂人=日本軍と、それに金品と脅しで従い、命懸けで救済に奔走する外国人の恩を仇で返す馬鹿者=中国人がいることへの怒りの吐露なのである。その買収、脅迫された中国人のウソの証言を、中国軍強姦説の「例証」に「悪用」している学者が現在の日本にいることを天国のマッカラムが知ったら、なんと言うだろうか。

 という批判ですが問題点が二つあります。一つ目は「論点がすりかわっている事」。二つ目は「笠原教授の推測」がさも確定した事実であるかのように記されていることです。



 











■第一の問題点
 まず東中野氏教授の引用は「中国人証言者についての資料の部分」を引用したものです。つまり、「中国軍が犯罪を行ったと証言した中国人が存在する」という資料を引用したということですから、該当資料の解釈や信憑性は別の問題として議論しなければならないということです。 


(1)中国軍が犯罪を行ったと証言した中国人が存在した。
(2)マッカラムはその中国人が買収・脅迫されと考えた。


 ということですから、資料として(1)の部分を引用することは別に問題はないと考えられます。(無用な議論を避ける為に、東中野教授がこういう説明をしてから引用すればよかったということは確かですが)。資料を引用する場合は、出典を明記して、資料の部分を引用すればよいわけで、掲載者の意向に縛られる必要がないことは説明する必要はないでしょう。この場合資料を掲載したマッカラムの意図は無関係で、「中国人がそういう証言を行ったという事実」が重要ということです。



 例えば、「便衣兵の処刑は見たが虐殺はなかった」という証言資料に対して、証言者本人が虐殺はなかったと認識(明記)しているのにもかかわらず、処刑行為の部分だけを引用して「違法な虐殺はこのような方法で行われた」、という解釈が可能であるのと同じ理屈です。「ある事が発生したという資料」を、どのように分析するのかは各人が判断することで、記載者や証言者の意向だけに捕らわれる必要がないというのは説明する間でもないでしょう。。










 



■第二の問題点
 証言をした中国人が、本当に脅されたのか、もしくは買収されたのかについては確実な資料は無いようです(提示されていない)。マッカラムの日記には、日本軍の特務機関関係者が工作を行ったとか、「言うとおりにしなければ命を保証しない」と言った類の脅迫があったとかというような”具体的”な事は書かれていません。 特に、買収が行われたとは一言も書かれていません。(笠原教授の想像が巧みに挿入されているということ)
 
 結論を言ってしまうと、中国軍の犯罪を証言した中国人が、買収されたとか、脅迫されたというのは、マッカラムの想像にすぎないという可能性があるということです。脅迫が行われたというような噂を、潜伏中の中国兵が流布したという可能性はあるでしょうが、証言者が勇気をもって真実を語ったという可能性を否定できるものではありません。これらの中国軍の犯罪を証言した中国人がウソをついていた。すなわち、証言した中国人が買収・脅迫されたという確認をする為には、買収・脅迫が行われている現場を抑えるか、証言者本人から話を聞くかしか方法がないことになります。国際委員会の外国人が裏取引の現場を抑えたという資料は見当たらないし、マッカラムの日記にも記されていませんから、「現場を抑えた説」は現状では除外して構わないでしょう。すると、本人に直接確認したという可能性しか残らないことになります。

 本人に確認した結果、「証言しなければ殺されていた」というような具体的な話があった場合、「ウソの証言した中国人もまた哀れな被害者」ということになります。また、脅迫と共にわずかな金品を受け取ったとしても責めることはできないでしょう。するとこれら哀れな中国人に対するマッカラムのこの表現は如何なものでしょうか?。



≪我々は今、狂人や馬鹿者を相手にしているのだと時々考えます byマッカラム≫



 脅迫されて、止むを得ない事情で事実ではないウソの証言をせざるえなかった中国人を「狂人」とか「馬鹿者」と罵るとは普通の神経では考えられません。つまり、マッカラムは証言者本人から脅迫行為が行われたという確証を得ていないし、現場を抑えた訳でもない。単なる想像で「中国人たちは脅迫されたに違いない」と考えたということでしょう。

 








冷静に考えるとこのような結論になります。
 国際委員会の外国人は、日本軍が全ての犯罪を行っていると考えていたが、中国人難民たちは必ずしもそうは思っていなかった。だから、容易≪支那人のあるものは容易に掠奪・強姦及び焼打ちなどは支那軍がやった≫いうような証言が出てきたということでしょう。文章表現から考えると、容易にこういう証言者が出てくるということは、中国軍の犯罪を感じていた証言者が一人二人ではなかったというように考えられます。











笠原教授の問題点(1)


『南京大虐殺否定論13のウソ』 P210〜211 笠原教授
 日本軍の特務機関関係者が、貧しい人々を金品で買収し、かつ「言うとおりにしなければ命を保証しない」と言った類の脅迫をして、安全区国際委員会の抗議している日本軍の暴行は、実は中国軍が行ったものだと証言するように迫り、実際にそれに従った難民、中国人がいたことを書いている。

(と、笠原教授は思ったのでしょう。 筆者グース追記)

 この部分の記述を証明する資料は笠原教授の文中では見当たりませんし、南京事件資料集・アメリカ関係資料編記載のマッカラムの日記にも記されておりません。当然東京裁判関係資料にも、脅迫の具体例の記載はないし、その他現在日本で発売されている(外国人・国際委員会関係の)邦文資料でも、これらの具体例について言及したものはないようです。もちろん、批判する為の資料を引用しなければならないのは、批判する側の笠原教授ですから、資料提示がない段階で笠原教授の落ち度であることは論を待たないと思われます。

 根拠が示されていない以上、この一連の部分は笠原教授の「想像」であると判断する以外にないのですが、これらの自説がさも証明され確実な事実であるという風に「誤解を与える」ような記述をするのは如何なものでしょうか。


 笠原教授が東中野教授の引用手法を欺瞞と表現するのならば、資料の提示もせず、根拠のない具体例を、さも事実であるかのように挿入するのも欺瞞と言わねばならないでしょう。

 









笠原教授の問題点(2)


 笠原教授は、否定論13のウソで
≪マッカラムの厳しい言葉は、日本軍の強姦行為を中国軍の仕業に見せようと謀略を企てる狂人=日本軍と、それに金品と脅しで従い、命懸けで救済に奔走する外国人の恩を仇で返す馬鹿者=中国人がいることへの怒りの吐露≫という解釈をしていますが、笠原教授も編集に加わった南京事件資料の「訳」をみると、「狂人」も「馬鹿者」も「中国人」を指していると考えたほうが良いようです。東京裁判資料を普通に読んでも、狂人=日本軍という解釈はちょっと違和感がありましたが、これで確実といってよいでしょう。以下該当資料を引用します。

『南京事件資料集』 アメリカ関係資料編 P266
 日本軍は安全区におけるわたし達の尽力を無に帰そうとしている。哀れな中国人たちを脅迫して、私たちが言ってきたことを否認するように仕向けている。中には掠奪や強姦、放火は日本軍の仕業でなく、中国軍がやったのだと言わんばかりの中国人もいて、私たちは狂人や馬鹿者を相手に今まで苦労してきたのだろうかと情けなく思うときがある。


(筆者注 匿名資料だが、マッカラム牧師の日記ということで間違いないとされている)



 

 笠原教授が、「狂人=日本軍」としなければならなかった理由は、マッカラムが中国人を「狂人」と罵倒しているとした場合、「証言者が脅迫された」という根拠が揺らぐという理由からと思われます。上でも説明しましたが、脅迫された哀れな中国人を「狂人」と罵倒することは常識的では考え難いので、「証言者が脅迫された説」は、マッカラムの根拠のない推測であると考えて良いでしょう。





 またこちらの訳では、「中国軍がやったのだと言わんばかりの中国人」という表現です。この場合、「はっきりとは言っていないが、そういう風に理解できる態度、証言」をしているという意味になり、証言が強制されたのではなく自発的であるというニュアンスが含まれます。脅迫された証言なら「はっきりと答える」でしょうから、ここでも「脅迫説」が揺らぐ事を意味します。















東中野教授の引用文
 では問題となった東中野教授の引用文を見てみましょう。先に解説すると、問題の記述は平成10年の『正論』四月号に掲載された論文が初出のようで、同年8月初版の『南京大虐殺の徹底検証』では、マッカラム日記引用の該当記述が二ケ所あります。これは、『正論』に発表された論文に加筆補正したものを収録した為で、両方とも同書に掲載されていることから、批判する場合は、両方の記述を十分に理解したうえ行う必要があります。




『南京虐殺の徹底検証』P277 東中野修道著 展転社 
 注意すべきは、安全地帯の支那軍将兵たちは強姦の話を撒き散らしただけではなかった。それを証明すべく、自ら「強姦に携わった」か、強姦未遂に携わったことである。そのような舞台裏を知っていたのであろう、支那人のなかから、強姦は支那軍がやったのだと証言するものが現れる。東京裁判に提出されたマッカラムの1938年1月の日記は、「支那人ノ或ル者ハ容易ニ掠奪・強姦及ビ焼打チ等ハ支那軍ガヤッタノデ日本軍ガヤッタノデハナイト立証スラ致シマス」というふうに記す 

 こちらは、後になって書かれた本文なので、記述が簡略化されています。






『南京虐殺の徹底検証』P394 東中野修道著 展転社 
 他方、飯沼少将の陣中日記(一月四日)が「八十八師副師長」を逮捕と記す当の第八十八師副師長馬包香(マアポーシャン 音訳)中将は、安全地帯で「反日撹乱工作の扇動」を指揮していた。そのような舞台裏を、安全地帯の避難民が垣間見ていたのであろう。掠奪、放火、強姦は支那軍の犯行という者すら現れる。
≪支那人ノ或ル者ハ容易ニ掠奪・強姦及ビ焼打チ等ハ支那軍ガヤッタノデ日本軍ガヤッタノデハナイト立証スラ致シマス≫ 
 これは東京裁判に提出されながら朗読されなかったマッカラムの日記(1938年1月8日)の一説である。掻き乱して騒ぎを起こすことを攪乱というが、両大佐が撹乱工作のために残された可能性は否定できないであろう。安全地帯にあったラーベと唐生智の自宅が、格好の本部となっていたのかも知れない。


 こちらが、初出の『正論』掲載の論文です。『論』を批判するのならば、詳細に記された方を論点にする必要があるので、批判する場合はこちらの記述が対象にするべきだと思われます。






 以上のように、中国軍が放火・強姦・略奪をやったと考えていた中国人証言者がいたのはどうやら事実のようです。それが脅迫されたものであるという立証をしないで、笠原教授は自身の想像だけを根拠に「欺瞞的な引用」というのはちょっと問題です。



 アメリカ大使館報告では南京陥落前の12月4日文書で≪下関地区では脱走兵が略奪をやったことが報告されている。 ≫と、中国軍の脱走兵による掠奪を報告しています。同七日の文書では≪下関区とイギリス大使館近くの村で略奪を行った科で、6人の兵士 が昨日処刑された。≫とその結末を書き記し、同文書では更に≪4 イギリスからの情報によれば、鎮江の中国軍は組織的に市を略奪し、放火 しているとのこと。≫と、中国軍の略奪行為を報告しています。詳細はアメリカ大使館報告参照。







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