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東京裁判判決文 「日本軍が占領してから最初の6週間に、南京とその周辺で殺害された一般人と捕虜の総数は、20万以上であったことが示されている。これらの見積もりが誇張でない事は、埋葬隊とその他の団体が埋葬した死骸が15万5000に及んだ事実によって証明されている」 (日中戦争史資料集8 極東軍事裁判資料編P396)
東京裁判で検察側証拠として提出されたのは主に「紅卍字会」と「崇善堂」の二つの慈善団体の記録です。「紅卍字会」は43071体埋葬。(以後は約4万体と表記)、「崇善堂」は112266体埋葬。(以後は約11万体と表記)
「南京大虐殺の範囲」は「南京市(城)とその周辺」で、「被害者は20万以上」「期間は12/13日から6週間」であるというのが東京裁判認定です。 「紅卍字会」の埋葬については前のページで説明したように、数多くの資料が残されており、その存在に疑問の入る余地はありませんが、総数はともかく個々の埋葬記録の数値には疑問がのこります。(日本側特務機関記録と一致しない)
とりあえず、崇善堂について、南京事件調査研究会(虐殺派の団体)で埋葬記録に詳しい井上教授の見解を幾つか拾ってみました。
『南京事件を考える』 大月書店P100 井上久士
◎崇善堂が埋葬隊を組織し埋葬活動を行ったことは、おそらく確実であると思われる。しかし崇善堂の埋葬記録を裏付けるような当時の資料を筆者は目にしていない。
◎中国の研究所の中には、日本側の要請もあって安全区国際委員会が、遺体の処理と道路の清掃を紅卍字会と崇善堂に依頼することを決定したと述べているものがある。しかし、はたして国際委員会がそのような決定を実際にしたのかどうか、またそのように述べる根拠が何かを筆者は確認できない。 (同書P100 1行目〜4行目)
◎東京裁判に提出された埋葬記録が、当時のそれと同じ物であるかどうか、そして、どのような資料と証言よって作成されたものであるのかは、残念ながら資料がない。 (同書P100 18行〜P101の最初)
◎紅卍字会の埋葬記録と比較して、崇善堂のそれは疑問の多いことは否定できない。 (同書 P102 最初)
と、いうことです。
「南京大虐殺否定論13のウソ」のP120〜P137において井上氏は「遺体埋葬記録は偽造資料ではない」との記事を寄せています。その中で崇善堂が存在したという資料をいくつか引用していますが、その多くが「南京事件資料集 中国関係資料編」からの引用で、「1938年当時のものかどうかは不明」なものが多いようです。
簡単に理由を説明すると、南京事件資料集・中国関係資料編には以下の記述が存在するからです。
『中国関係資料編』P66 「資料集に収集するに際しては極力当時の原本に当たるよう努めたが、それが果たせず1980年代に出版された資料の中から採録したものもある」
以上のように説明し具体的書名として「侵華日軍南京大屠殺档案」他合計4冊をあげているます。「崇善堂」に係わる記録は「侵華日軍南京大屠殺档案」に記載されたものが多いことから「確実な一次資料とは言えない」 ということです。
『南京大虐殺否定論13のウソ』P136〜P137 井上久士 また崇善堂についての記述が南京特務機関の報告など日本側文献や安全区国際委員会の文献に出てこないことも事実であり、崇善堂埋葬隊が日本軍に認知されていたかどうかも今のところ不明と言うしかない。
文献に出てこない以上、崇善堂埋葬体は「認知されていなかった」と結論するほうが妥当かと思われます。
結 論
崇善堂の”存在”はともかく、埋葬記録11万を証明する資料は存在せず。埋葬を行っていたとしても小規模である可能性もある。紅卍字会に協力(実質的な指導下)で埋葬活動を行っていた場合、その活動は紅卍字会の埋葬活動として認知されるので、崇善堂が記録に出てこない可能性が高い。 |
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