南京陥落までの主な記述 |
1937/10/末
戦災で家を失った貧しい難民の群れが、簡単な寝具や生活用品を背負ったり、
食料をありったけ担いだりして、さまざまないでたちで南京駅にたどりつき、下関に作られた
難民キャンプに収容された。多い日には1000人を超える難民が避難してきた。
(南京事件の日々P18) |
1937/11/19日
国民政府は南京から重慶へ遷都することを決定した。
正式発表は翌20日のことである。ここから避難は本格化し中産階級の南京脱出が始まった。 |
1937/11/23日「50万」
調査によれば本市(南京城区)の現在の人口は約50余万である。将来は、およそ20万と予想される難民のための食料送付が必要である」
南京市政府書簡(南京事件P220 笠原十九司) |
1937/11/27日「30〜40万」
在留外国人に対して「避難勧告」が出された。
「市民の脱出は続いているが、市長の話では30万から40万の市民がまだ南京に残っているとのこと」
米大使館報告 (アメリカ資料編P90) |
11/28「20万?」
警察庁長「王固盤」は「南京には中国人がまだ20万人住んでいると繰り返した」
(注、この20万は南京残留する市民の予測と思われる))
(南京の真実P77 文庫ラーベの日記) |
12/3
全ての城門は土嚢で封鎖されているが、中山門と長江岸へ通じる把江門及び撫湖へ向かう南門の三つは部分的に開いている。
米大使館報告(アメリカ資料編P93) |
12/4
下関地区では脱走兵が略奪をやったことが報告されている。
長江岸へ通じる把江門は混雑している。恐らく今日行われた南京城内に対する
爆撃によって流出者はさらに増えることになろう。
米大使館報告(アメリカ資料編P93) |
12/6「20万」
なぜ。金持ちを、約80万という恵まれた市民を逃がしたんだ?
(ラーベの日記P96)
農民たちは城内に連れてこられるか、そうでなければ浦口経由で北方においやられている。
(南京事件の日々P36) 浦口とは長江の対岸。 |
12/7日
門の近くにある家は城壁の内側であっても焼き払われるという噂が広まり、中華門の近くに住む住民はパニックに陥っている。何百という家族が安全区に押し寄せてはいるが、こんなに暗くてはもう泊まるところがみつからない。
(ラーベの日記P100)
何千という人々が南門から安全区に入ってきた。彼らの話によれば、5時までに立ち退くよう警察から命令されており、それに従わなければ家は焼き払われ、スパイとみなされる、というのだ。
(南京事件の日々P39) |
12/8日
南京防衛軍の司令官唐生智は、市が戦闘地区に入ったと宣言し「すべての
非戦闘員は国際管理下の安全地帯に終結しなければならない」と、布告した。市内他地区での移動は、黄色の腕章に特別の印で示される特別許可証所有者を除いて禁じられる。
1937/12/8NYタイムズ(ダーディン)(アメリカ資料編P390) |
12/8
把江門を通って江岸に出て行くのは今でも容易であるが、
中国人はそこから城内に入る事を許されていない。
昨夜警察官が、城壁外部の下関地区の家々を一軒一軒回って、
長江を渡って浦口へ行くように警告して歩いた。
米大使館報告(アメリカ資料編P95)
(注 下関地区の住民に渡河避難を強制(警告)したというところから
推測すると、この日を境に「城門は閉じられ」、難民の流入も、城内市民の脱出
も不可能になったと思われる。
ただし下関(長江岸)で船待ちをしていた市民はいたはずである)
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12/9日
今夜は南京市の南西隅の空全体を火炎が照らしている。〜中略〜AP特派員の
マクダニエルは、中国兵が灯油をかけて家に火をつけるのを目撃したと言っている。
(南京事件の日々P41) |
12/10日「20万」
なにしろ、この街の運命と20万人の命がかかっているのだ。安全区の道路は、
避難する人たちでごったがえしている。〜中略〜残念ながら軍人がまだ大勢、安全区に留まっている。
(ラーベの日記P107) |
12/11日
水道と電気が止まった。だが銃声は止まらない。〜中略〜ついに安全区に流弾が落ちた。福昌飯店(ヘンペル・ホテル)の前と後ろだ。12人の死者とおよそ12人の負傷者〜略
(ラーベの日記P111) |
12/12日
今夜の記者会見で聞いたところによれば、防衛司令官の唐生智には、
旗下の部隊に対する統率力が不足ために、城内のほとんどの場所で略奪が
行われているそうだ。
(南京事件の日々P47) |
運命の12/13日
言いかえれば、13日に貴軍が入城したときに我々は安全区内に一般市民のほとんど全体を集めていましたが、同区内には流れ弾による極めてわずかの破壊しかなく、中国兵が全面的退却を行った際にもなんら略奪は見られませんでした。〜中略〜もし市内の日本兵の間でただちに秩序が回復されないならば、20万の中国市民の多数に餓死者が出ることは避けられないでしょう。
(安全委員会公文書T-6) |