9月某日 急に思い立ち、JTB「鉄道廃線跡を歩くU」を携えて筑波鉄道跡を巡ってみました。 (筑波鉄道についてご存知ない方は各自ググって下さい(激しく投げやり)) |
東飯田―樺穂区間にて (クルマなんか来ないかと思って写真撮ってたら、3台ほど続けて来てしまい大いに焦る) |
巡ってみましたと言っても、極めてお手軽かつ安直なもので。 というのも、筑波鉄道路線跡は数年前にほぼ完全に全線がサイクリングロードとして整備されており、所謂「廃線跡を辿る」という言葉から想像するそれとは、かけ離れたものだからです。 しかもそれを自転車でもって自分の脚で巡るのならばいざ知らず、サイクリングロード全線に渡ってその両側に延々と街路樹が植え揃えてあり、尚且つそれが沿線道路から見えるのをいい事に、クーラーの効いたクルマで木々の列を横目に見ながら「あー、あれがそーだ」等々とほざきつつ走るという、それは廃線跡を辿るとか言うのではなくタダのドライブと言うのではないのかと。ハイ。ドライブでスタダノ。 しかも急に思い立ったので下調べも何もなし。前述の本の大雑把な20万分の1の地図と、ナビ画面だけが頼り。更に全駅を辿るわけでもなく完全なツマミ食い状態。いい加減極まりなし。 それでも今まで、筑波鉄道というものがかって存在した事は知っていても、どこを通っていたかなんて事は全然知らなかったわけで。サイクリングロードになっているお陰で、風情はない代わりに車の中からでも判りやすい事ったらこの上なし。 「ああ!ここってそうだったんだ!」の連続でありました。 サイクリングロードとして改修された際、各駅のホームは残され、サイクリストの休憩スポットとされています。というか逆にいうと大多数の駅の名残は殆どホームしか残っていないわけですが、それでも駅の痕跡すらも何もかも消し去られてしまうよりも余程マシでしょう。 |
雨引駅跡 (中央を横切るのがホームの跡) |
何箇所か廻った中で気に入ったのが、ここ雨引駅跡。 何故かって言うとここも一旦休憩所として綺麗に整備され、西側ホームにはテーブルやトイレが設置されてるのですが、その後の草木の茂りっぷりがスゴイのです(過去の写真を見るに、整備前も相当凄かったようですが)。 つー事でお手軽ドライブながら一番「廃線跡」っぽさが感じられたと言う事で。駅舎も残され一番当時のものが残されている筑波駅は、逆にあまりにキレイに整備されすぎてしまっていて些か興醒めの感が。 かつて棄てられた駅が一旦は新たな役目を得て生き返ったのに、再び荒れ果てようとしている・・・とか考えるとちょっと悲しくなりますが。 |
藪の写真は撮らなんだな・・・ でも雰囲気は多少伝わるかと |
しかし、ここは少々荒れてはいましたが、決して忘れられた場所ではありませんでした。 そのすぐ横に小学校があるためか、この日も小学生が2人、テーブルの上に何やらオモチャを広げていました。すっかり草生した「茨城百景」の石碑の前ではご老人がビニールシートを広げ昼寝をしておられました。 駅に魂が宿るなんて事があるかどうか知りませんが、もしそうならば草木に埋もれて朽ち果て、あるいは造成されて跡形もなくなって存在を忘れ去られるよりも、かってには遠く及ばないにしても、こうやって人が集まって来てくれる場所であり続けられる方がずっと嬉しいのではありますまいか。 などと、厳しすぎる残暑の日差しと蝉の大合唱の中、柄にもない事を考えたりしたのでした。 |
奥に見えるのがテーブルとベンチ、それにトイレ (土浦方面より見る) |
尚、ここではちょっと発見があったのでついでにご報告を。 と言っても先の「鉄道廃線跡を歩くU」をお持ちでない方には意味がないんですが。 49ページ、「風情ある石蔵の前を廃線跡が横切る」のキャプションと共に、発刊当時(’96年)サイクリングロードとして整備される前の枯草が生い茂る廃線跡の写真が載っています。 この説明だと雨引駅から多少離れた場所かのようにも取れますが、何のことはない駅のすぐ真横(北側)にある建物でした。 |
アングルは同じだけど・・・ヒドい写真ですな・・・ 手前を横切るの青いのがサイクリングロード。 |
しかも、思いっきり廃墟でした。 |
木が・・・エラい事になってます。雷でも落ちたか?(まさか) |
藪の中には見えただけでも石灯籠が2つほど。普通、石灯籠なんて庭に1個あれば大したモンですよ? 駅側にはこれまた石造りの立派な門が。 |
つーか、これが最初に見えて気になって寄って行って発見した。 駐車スペースからキョロキョロすれば、藪の奥にこれが見つかるはず |
何か、豪農のお屋敷でもあったんでしょうか。 藪でベージュのズボンを汚したくなかったんで、深くはツッ込みませんでしたが。 気になる。 |