平家滅亡過程年表
1156〜1186
西暦 | 年号 | 出来事 |
1156 | 保元1年 | 保元の乱勃発。上皇方破れ、讃岐に配流。 |
1158 | 保元3年 | 後白河上皇の院政始まる。 |
1159 | 平治1年 | 平治の乱、勃発。平清盛軍、源義朝軍に勝利。源義経、誕生。 |
1160 | 永暦1年 | 源義朝、没。頼朝、伊豆に流される。 |
1167 | 仁安1年 | 平清盛、太政大臣に。武臣太政大臣の初め。 |
1175 | 承安1年 | 法然上人、浄土宗を開く。 |
1177 | 治承1年 | 鹿ケ谷の陰謀発覚。 |
1179 | 治承3年 | 平重盛、没。清盛、院政を停止し、法皇を鳥羽院に幽閉。 清盛、宋との貿易をはかる。 |
1180 | 治承4年 | 以仁王の令旨(平家追討の令旨)。源頼政の挙兵。清盛、福原遷都。石橋山の戦い。 木曽義仲、挙兵。源頼朝、鎌倉入り。富士川の戦い、水鳥の羽音に驚き平家敗走。 平家、福原から再び京都に遷都。 平重衡、東大寺・興福寺を焼く。 |
1181 | 養和1年 | 中宮徳子、建礼門院と称す。平清盛、没。 |
1183 | 寿永2年 | 砺波山の戦い。平氏、西国に逃れ。木曽義仲、入京。 平宗盛、安徳幼帝・女院を奉じて西国へ。平惟盛ら平家一門都落ち。 義仲、平氏を追討して西国へ。 源頼朝、鎌倉で征夷大将軍の院宣を受ける。 木曽義仲、朝日将軍に。義仲軍、源平の水島合戦で平軍に敗れる。 義仲、都に引き返し、後白河法皇を幽閉。 平家一門、大宰府に着く(8月17日) |
1184 | 寿永3年 |
平氏、福原で播磨との国境に一の谷の城郭を構え、源氏に備える。 木曽義仲、征夷大将軍に。義仲、近江の粟津で戦死。 義経の鵯越えの逆落としで有名な「一ノ谷の合戦」 源平、藤戸合戦。 |
1185 | 文治1年 | 源平、屋島の戦い(2月)。 壇ノ浦の戦いを経て平氏滅亡(3月24日)。安徳天皇・二位の尼入水。 建礼門院助け出される。 |
1186 | 文治2年 | 鎌倉幕府の成立。 |